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花綴り  作者: つま先カラス
第三章 京
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第39話 出会いと別れ

 怪我から数日が過ぎ、傷口にはうっすらとかさぶたが出来てきた。まだ体を動かすと少し痛みが走るが、いい加減寝ているのにも飽きた草月は強引に床払いをした。縁側に座り、久しぶりの日の光を存分に浴びて、猫のように目を細める。

 とことことやって来た子猫がぴょいと草月の膝に乗り、そのまま器用に足を折り畳んで丸くなった。

「小萩も、久しぶりだね」

 部屋に入ろうとする小萩を、病室に猫などもってのほかと、所が頑として入れなかったのだ。いつも草月の布団に入り込んで寝ていた小萩は、寝床を失ってかなり機嫌が悪かったらしい。ふわふわとした毛を撫でてやりながら、ごめんね、と呟くと、小萩は満足気に目を細めた。ぽかぽかと暖かい陽気に包まれているうち、草月もだんだん目がとろんとしてくる。

「なんじゃ、そうしちょると大きな猫みたいじゃな」

 顔を上げると、おかしそうにこちらを見下ろす僧衣の男と目があった。

「怪我はもういいのか」

「はい、もともと大した傷じゃなかったですし」

 東行法師にお経を読んでもらえなくて残念です、と軽口を叩けば、すかさず頭をはたかれた。

(……あれ?)

 ふいに既視感を覚えて目を瞬く。

(こんなやり取り、前にもあったような……)

 ふっと浮かび上がった記憶は夢のようにおぼろげで、現れた時と同じにすぐに消えてしまう。

 高杉は草月の戸惑いに気づいた様子もなく、隣に腰を下ろして小萩の頭をくりくりと撫でている。

「そうだ高杉さん」

 記憶の残滓を払い、草月はとある寺の名前を挙げ、知っているかと尋ねた。

「いや、聞いたことがないな。……その寺がどうかしたのか?」

「実は江戸を発つ前、お初さんに頼まれてたことがあるんです」

 草月は、明後日がお初の母親の命日であること、お初の代わりに墓参りに行くと約束したことなどを話して聞かせた。

「それで、そのお寺が五条大橋の近くにあると聞いたんですけと、はっきりした場所が分からなくて」

「どれ、ちょっと待っちょけ」

 高杉が持ってきてくれた地図で調べてみると、ちょうど寺社が集まった一画に位置すると分かった。少し入り組んだ場所にあるが、地図があればなんとか迷わずに着きそうだ。


                       *


 二日後。

 草月は、同行を申し出た高杉と共に寺へと向かった。坊主と妙齢の女性という取り合わせが珍しいのか、ちらちら目を向けてくる者もいたが、泰然自若とした高杉を見ていると、気にする方が馬鹿らしくなって、草月も無視を決め込んだ。

 目的の寺は割合すんなり見つかった。緑の木々が生い茂るこぢんまりとした境内に、半ば埋もれるように本堂がおかれ、その裏が墓地になっている。

 お初以外に身内はいないと聞いていたため、墓が荒れ放題になっているのではと心配していたが、寺の坊主が手入れしてくれているのか、墓は小綺麗に掃除されていた。

 墓地ですれ違った女性に声をかけられたのは、お参りを済ませて帰りかけた時だった。年の頃は二十代半ば。丸髷に品の良い着物を来て、お付きの女中を連れているところからすると、どこかの商家の内儀か何かだろうか。

「あの、失礼どすけど、『荻のや』はんの縁者の方どすやろか?」

 『荻のや』は、お初の両親が営んでいた店の名だ。草月は高杉と顔を見合わせ、

「いえ、亡くなった『荻のや』さんと直接の面識はありません。私たちは娘のお初さんの代参で来ただけで――」

 草月がお初の名を出した途端、女の顔色が変わった。

「お初ちゃん!? お初ちゃんを知ってはるんどすか。今どこに……、達者にしてはるんどすか」

「え、ええ、元気ですよ。でも、あなたは……?」

「――あ」

 女性は我に返ったように顔を赤らめ、非礼を詫びると、改めてこの近くで小間物屋を営む三好屋の女将、絹だと名乗った。

「お初ちゃんとは家も近うて、仲のええ幼なじみだったんどす。良かったら、話聞かせてもらえへんやろか。立ち話もなんやし、うちの店はすぐそこやさかい、寄っていっておくれやす」

 半ば強引に連れていかれた先は、大小の商家が多数軒を連ねる中の一軒だった。

 『三好屋』と染め抜かれた濃紺の暖簾を潜ると、目にも鮮やかな色とりどりの櫛や簪、化粧品などの日用品が目に飛び込んでくる。帳場に座る番頭に軽く挨拶をして、横の土間を奥へ奥へ進み、縁側から庭が臨める奥座敷へと通される。

「……そうどすか、今は所帯を持って幸せに……」

 一通り説明すると、お絹はしみじみ呟いて、ふーっと息を吐いた。

「おおきに。それを聞いて安心しました。お初ちゃんのことは、ずうっと気になっとりましたよって」

 お絹とお初は家が近く、年も同じだったことから、小さい頃から姉妹のように仲良く育ったそうだ。だが、お初の両親が病で相次いで亡くなり、他に身寄りのなかったお初は売られることになってしまった。二人がまだ十三歳の時のことである。

「せやけど、お初ちゃん、生まれ育った京で身を売るのはどうしても嫌や言い張らはって……」

「それで江戸に」

「へえ。それ以来、全然消息も知れんで……。せやさかい、元気でやってはるいうんが分かって、ほんまに嬉しいんどす」

 お絹がそっと目尻の涙をぬぐった。その時、

「おかあはん」

 四、五歳くらいの男の子がひょっこりと顔を出した。

「こら、太助、あかんえ。お客様がおいでてはるのに」

「いや、かまわん。そろそろ暇ごいをしようと思っちょったところじゃ」

「可愛いですね、お子さんですか?」

「へえ。太助、言います。ほら、たあ坊、お客様にご挨拶は?」

「おいでやす。まいどおおきに」

 周りの大人を見て覚えたのだろう、舌足らずな物言いがなんとも可愛い。高杉の僧形が珍しいのか、しげしげと見つめている子供に、じゃあね、と手を振り、草月と高杉は店をあとにした。

 五条大橋に差しかかった時、草月はふとあることを思い出して足を止めた。

「……そういえば、ここって弁慶と義経が出会った場所ですよね。襲いかかる弁慶の太刀を、義経がひらりひらりと舞うようにかわして、ついには降参させたっていう」

「ひらりひらりはそうじゃろうが、出会ったのはここではないぞ。清水寺じゃ」

「えっ!? そうなんですか?」

「ああ、『義経記』にそう書いてある。……といっても、書かれたのは何百年も後のことじゃけえ、真偽のほどは知らんが」

「なんだ、ちょっとがっかり」

 草月の脳裏には、小さい頃に絵本で見た、欄干に立つ義経の優雅な姿が固定観念として刻まれている。今さら違うと言われて詐欺にあったような気分だ。

 そのまま何となしに二人並んで川面を眺めていると、高杉が話がある、とおもむろに切り出した。

「実はな、長州に帰ることにしたんじゃ」

「え……?」

 驚いて見上げた高杉の表情は、しかし、頑なに水面を見つめていて窺えない。

「僕を連れ戻すために、堀が来てな。……最初は、誰が言うことを聞くものかと思っちょったんじゃが……」

 堀真五郎は、決して饒舌ではない。だが、その分、ひとつひとつの言葉に重みがあった。

「帰ろう、高杉。長州に、帰ろう」

 ――帰ろう。

 百の言葉を並べられるより深く、何でもないその言葉が、荒んだ高杉の心に染み入るように響いた。

 思うようにならない時勢も、周りの何もかも気に入らないと自棄になっていた自分も。

 急に故郷が懐かしく思えた。

 白いなまこ壁が続くのどかな萩の城下町。

 誇らしさを胸に何度も門を潜った城。

 志を語り合った松下村塾での日々。

 家に残してきたままの母や妻の顔。

 気付けば、素直に頷いている自分がいた。

「最初の計画通り、十年は読書に励んで時を待つつもりじゃ」

「そう……、ですか」

 胸を通り抜けた冷たい風は感じぬふりをして、草月は努めて明るく言葉を継いだ。

「いいことですよ。今までずっと走ってきたんですから、たまには立ち止まってゆっくりするのも。……でも、きっと、十年もしないうちに、高杉さんの出番が来ますよ」

 なんといっても、奇兵隊を作るという大仕事が待っているのだ。自信たっぷりに言い切ると、高杉は少し笑ったふうだった。

「まるで知っちょるかのように言うんじゃな」

 その言葉で、失言に気付いた。

「……」

 打ち明けるなら今だ。もう、二度と会えないのかもしれないのだから。本当は、未来から来たんだと。

 しかし、草月の唇は張り付いたように動かなかった。

「何て顔しちょる」

 その声が、思いのほか優しくて、堪らなくなって目を伏せた。

「……ごめんなさい」

「何がじゃ?」

「……本当のこと、言わないで」

「謝ることではないじゃろう。お初が身の上話をしなかったように、おのしにも話したくないことがあるんじゃろう。たつみ屋の女将にも言われたしの。女の過去を聞くのは野暮じゃと」

 高杉はふんと笑って欄干から身を起こした。

「ああそうじゃ、忘れるところじゃった」

 言って、懐から、幾重にも布で包まれた塊を差し出す。受けとるとずっしりと重い。覚えのある重みだった。

 これは――、

「……ピストル?」

「餞別じゃ。今度何かあったら、それで身を守れ」

 見上げた顔は、いつもの不敵な表情の高杉だった。

「ありがとうございます。高杉さんも気を付けて。……行ってらっしゃい」

 高杉の旅立ちを祝福するように、努めて明るく微笑んだ。

 上手く笑えていたかは分からなかった。





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