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花綴り  作者: つま先カラス
第三章 京
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第38話 皮肉屋と直情人

 痛みと熱で朦朧とした意識の中に、懐かしい家族の顔が次々に浮かんでは消えていく。今が朝なのか夜なのか、時間の感覚もなくなってきたころ、水から顔を出すようにふっと意識が浮き上がり、闇の中に、怒ったような坊主の顔が浮かんだ。

「お坊さん……? 悪いですけど、お経は早いですよ」

 まだ生きてます、とかすれた声で告げると、間髪入れずに頭をはたかれた。

「当たり前じゃ。馬鹿なこと言っちょらずにさっさと治せ。この程度で寝込むなど、情けないぞ」

 言葉とは裏腹に、額にかかった後れ毛をそっと直してくれるその手は思いのほか優しい。その手に導かれるように、草月はいつしかすんなり眠りに落ちていた。


                     *


 次に目が覚めた時、意識はすっきりとして、熱もずいぶん下がっていた。

 翌日には起き上がれるようになった草月を診て、

「この分なら、もう大丈夫だろう」

 そう太鼓判を押してくれたのは医師の所郁太郎だ。

「多少傷跡は残るだろうが。……おそらく、斬られたのではなく、辻斬りとぶつかった時に、抜いていた刀の刃がちょうど当たったんだな。でなければ、お嬢さんはとっくにあの世に行ってるよ」

 はっはっはと意地悪く笑う年若の医師を、草月は口をとがらせて軽く睨んだ。 

「笑えませんよ、先生」

 美濃出身の所は、長州藩邸の近くで開業していたことが縁で、長州藩医院総督に任じられた医師である。草月といくつも違わぬ年齢ながら、適塾で学んだ秀才とあって、医術に止まらず、政治や軍事方面にも力を発揮している。

 ただ、才がありすぎて多少性格が悪いというか、人を食ったようなところがあるのが難点だ。

 今も、

「そういえば、あんたが回復したと聞いて、例の浜田殿が見舞いに来られているぞ。その膨れっ面を見せてやれば、少しは喜ばれるんじゃないか?」

 と、さらりと重要なことを告げた。

「浜田さんが!? いつ!? なんでもっと早くに言ってくれないんですか」

 まんまと術中にはまるようで悔しいけれど、客の前でみっともない格好はしたくないというのが乙女心だ。慌てて衿元を整え出す草月をにやにやと見ながら、

「お嬢さん、そう無理に良く見せようなんてしなくても大丈夫だよ。どうやったって、そのひどい顔色は隠せないから」

 けらけら笑うろくでなしを追い払い、ほつれて絡まった髪に櫛を入れて何とか見られる格好になった時、障子に影が射して浜田の声で訪いがあった。

「わざわざ来ていただいてすみません」

 頭を下げながら、絶対に所が、身支度を整えるぎりぎりの時間を狙って浜田を案内したんだろうと確信していた。

「いや、起き上がれるようになったち聞いて、安心したぜよ」

 浜田がほっとしたように息をつく。

 と思うや――、

「――まっことすまんじゃった!」

 突如、がばりと頭を下げた。

「え!?」

「俺が一緒にいながら、怪我させてしもうて……。許してつかあさい!」

「そんな、顔上げてください! 全然、浜田さんのせいなんかじゃないですよ! むしろ助けてもらって、私がお礼を言わなくちゃいけない立場なのに。藩邸まで運んでいただいて、ありがとうございました」

「いや、しかし、おなごの体に傷を負わせてしもうて、このままというわけにはいかん。この上は、しっかりと責任を取るつもりじゃ」

「はあ……?」

「まだまだ未熟者ではあるけんど、どうか俺の嫁になっとうせ!」

 言葉の意味が浸透するのに丸々呼吸五回分かかった。

「……は!? え、ま、待ってください。傷っていっても、ちょっと刀が当たったくらいですよ? ……その、先生もほとんど痕は残らないって言ってましたし――」

 多少残ると言われたが、それはほとんど残らないのと同義だろう。

「――そんなことしてもらうわけには……」

「いや、それでは武士の面目がたたん。俺に男を通させてつかあさい!」

 そう言われてはむやみに断るわけにもいかず、草月は困り果てて左右に目を泳がせた。進退窮まった時、からりと戸を開けて茶菓子を乗せた盆を持った所が顔を出した。

「まあまあ浜田殿。少し落ち着かれては? 藩邸中に聞こえておりますよ」

「ああ、これはすまんちや」

 まさか所の顔を見て嬉しいと思う日が来るとは思わなかった。しかしこうも都合の良い時に来るとは、近くで聞き耳をたてていたのではと邪推してしまう。

「彼女の傷が浅いことは医者の私が保証します。何日もぐーぐー寝こけていたのは、単に疲労が溜まっていたせいでしょう。こんなじゃじゃ馬を娶ろうとする貴方の勇気には感服しますが、その素晴らしい武士道精神はもっと有用な場所でこそ発揮されるべきだと思いますよ。……お嬢さんもそう思うだろう?」

「え? あ、そう、そう思います!」

 目配せされて、慌ててこくこくと頷いた。何気に酷いこと言われた気がしないでもないけれど。

「しかし……」

 なおも納得いかない様子の浜田に、

「それじゃあ、いつか、私が困った時があったら、浜田さん、助けてください。それでおあいこってことで。どうですか?」

「……草月さんがそう言うんじゃったら」

 浜田は迷っていたふうだったが、最後には頷いた。

「ほいたら、草月さん。その時は何時でも言ってつかあさい。たとえどこにおっても駆けつけるきに」

 どこまでも大真面目な浜田を床から見送り、草月は所を振り返った。

「ありがとうございました、先生。助かりました」

「まさか、嫁にと言い出すとはな」

 所は、くくっと含み笑いをして、

「本当は惜しいと思ってるんじゃないのか? この先、あんなこと言ってくれる奇特な御仁はそういないだろうからな」

「だからって、ほいほい頷けるわけないでしょう」

(土佐の人って、みんなあんな一本気なのかな)

 妙に疲労感を覚えて、草月は深々とため息をついた。

「しかしお嬢さん、浜田殿の手前ああ言ったが、実際あんたは危なかったんだぞ」

「え? でも、傷は浅いって……」

「傷の大小は関係ない。あんた、酒を飲んでただろう。体に大量の酒が入っていると、なかなか血が止まらなくなるんだよ。幸い、浜田殿の応急処置が的確だったのと、俺の腕前のおかげで大事にはいたらなかったが。それに、酒を飲んでなくても、浅い傷だからって油断は禁物だ。傷口が炎症を起こして、化膿してみろ。悪くすれば、死ぬことだってあるんだぞ。今後は気を付けることだな」

 思いがけず強い言葉に神妙に頷いた草月だったが、

「――それと、身だしなみにも。……後ろ、寝癖がついたまんまだ」

 最後に付け加えられた一言に。

「――こんっの、性悪医師!」

 草月は顔を真っ赤にして櫛を投げつけた。

 ちなみにこの求婚騒ぎは浜田の大声によって周囲に筒抜けになっており、後で草月はさんざんからかわれるはめになる。



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