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花綴り  作者: つま先カラス
第三章 京
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第37話 負傷

「桂さん、草月です。お呼びと聞いて伺いました」

「ああ、入ってくれ」

 はい、と返事をして障子を開けた途端、薄茶色の塊が弾丸のように部屋に飛び込み、書き物をしていた桂の膝の上にかけ上がった。

「おっと」

「あ、こら、小萩! もう、どこに隠れてたんだか。……すみません、私以外の部屋には入らないように言ってるんですけど」

 草月は恐縮しいしい桂の前に座った。膝に乗った虎柄の子猫は、桂に撫でてもらって満足げにごろごろ喉を鳴らしている。

「それにしても、すっかり桂さんになついてますよね。名付け親って分かってるんでしょうか」

 子猫を藩邸で世話すると決まり、どんな名前がいいか、皆でああでもないこうでもないと言っていた所へ、通りかかった桂があっさり言ったのだ。

「長州藩邸の子猫なんだから、『小萩』でいいんじゃないか」

 そこで子猫が満足げにナァンと鳴いたものだから、晴れて彼女は『小萩』と名付けられることになった。

「どうかな」

 桂はちょっと意地悪な表情を浮かべ、

「最初オス猫だと思われていたから、拗ねてるんじゃないか?」

「女の子だって気付いたの、桂さんだけですもんね。確かに私も、男装してた時、あんまり男にしか見られないと、ちょっと落ち込みましたもん。――あ、それでご用というのは?」

「ああ、実はね、高杉の所に行ってもらいたいんだ」

「……高杉さん?」

 草月は複雑な気持ちでその名前を口にした。

 ――実は、防長割拠の持論が容易に容れられないことに業を煮やした高杉は、麻田の「十年後には状況も変わるだろう」との言葉を受け、「では十年の暇をもらいます」と言って、あろうことか、あっさり頭を丸めてしまったのである。

 得意げに坊主頭を見せに来た高杉を前に、草月は衝撃のあまり、すぐには言葉が出てこなかった。

「ええと、高杉さん……、なんですよね」

 ようよう出てきたのは、我ながら間の抜けた言葉だった。

「今は高杉晋作改め、東行じゃ」

「とうぎょう?」

「西行法師にあやかって、東へ行くと書いて、東行じゃ。いい名じゃろう?」

「はあ……」

 不敵な笑みは確かに見慣れた高杉のもの。しかし、その青々した剃り跡も痛そうな禿頭と墨染めの袈裟姿はまるで別人だ。

 剃髪には来島や寺島らが立ち会い、世子定広も高杉に理解を示したというが、草月にしてみれば酔狂以外の何でもない。

(時を待て、って言われて、いきなり出家する方もありえないけど、それを容認しちゃう周りもどうなの!?)

 戸惑う草月をよそに、高杉は一人悦に入って、歌まで詠んでみせた。

「今の心境を表すなら、


 西へ行く人を慕うて東行く 我が心をば神や知るらむ


 といったところか」

「私の心境を表すなら、


 昨日見た人が今日から違う人 神様どうにかしてください


 ……ですけど」

 やけくそ気味に歌を返せば、新米坊主は愉しげな笑い声を立てた。

 今は、藩邸を出て、寺町にある妙満寺境内の一室で起居している。

「――出家して大人しくなるかと思えば、過激になるばかりでね。鷹司卿の屋敷を訪ねて国事の意見を陳情したり、姉小路公知卿に京坂防備についての意見書を送ったり……。まあ、それくらいなら構わないんだが」

 桂は眉間の皺を深くした。

「将軍が朝廷の意に反して、京を退くという噂があったのは君も知っているだろう? あいつ、もし将軍が本当に江戸へ帰る気なら、将軍を斬るから刀をくれと麻田さんに言いに行ったそうだ」

 草月は長々と桂の渋面を見てから言った。

「あのう、あえてお尋ねしますけど……、冗談ですよね?」

「分かっているなら聞くな、あいつはいつでも大本気だ。しかも麻田さんときたら、止めるどころか、殿より拝領の刀を渡して激励したらしい。流石の高杉も、毛利家家紋入りの刀で斬るわけにもいかないから思いとどまったようだが。まったく、師弟そろってとんでもないことを言ってくれる」

「師弟?」

 聞けば、かつて吉田松陰も、幕府の要人を暗殺するから武器を用意して欲しいと、堂々藩に申し入れたことがあるという。

(うわあ、なんて似た者師弟……)

 その問題児は今、東山にある料亭に連日居続けては酒に酔って暴れているらしい。

「様子を見に行って、できることなら、連れ帰って欲しい。頼めるか?」

 あの高杉が素直に言うことを聞くとも思えないけれど……。

「分かりました。行ってきます」

 腹をくくって頷いた。



 案内を乞うて連れられた先の部屋では、高杉が華やかな芸妓たちに囲まれてどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。

「何しに来た」

 高杉は草月に気付くや、僧形にはそぐわぬ酒で座った目でぎろりと睨みつける。視線だけで射殺せそうな迫力だが、今さらそんなものに怯む草月ではない。

「それはこっちが聞きたいですよ。何やってるんですか、こんなに酔っぱらって」

 負けじと真っ直ぐに睨み返す。

(まったく、何のために出家したんだか。これじゃ今までと何も変わらないじゃない)

 悪びれない姿にふつふつと怒りがわいてくる。

「どうせ桂さんにでも言われて、連れ戻しに来たんじゃろう。言っておくが、僕は帰る気はないぞ」

「あらそうですか。毎日毎日、何もせずに飲んだくれるばかりで、国の大事なんて、忘れたみたいですね。さすが頭を丸めた人は違います」

 皮肉で返すと、高杉がぴくりと頬をひきつらせた。だが、高杉が反論するより早く、

「まあまあ、お二人とも。そうかっかせんと、ちっくと落ち着いてつかあさい」

 芸妓の間から、見知らぬ武士がひょっこりと顔を出した。

「あ、これは失礼しました。お客様がいらっしゃるとは思わずに」

 慌てて居住まいを正して、長州藩邸でお世話になっている草月ですと名乗ると、

「俺は土佐藩の浜田辰弥じゃ。どうぞよろしゅう」

 色黒の年若い武士は快活な笑顔を見せた。

「せっかくの宴に水を差してすみません。でもこちらもお役目で来ている以上、何もせずに帰るわけにはいかないんです」

 きっぱり言って、高杉に向き直る。

「どうするつもりじゃ? 僕を説得するつもりか?」

「まさか。簡単に説得して聞いてくれるような性格じゃないのはとっくに分かってますよ。ですから、ここはひとつ、勝負をしませんか」

「勝負?」

「はい。私が勝ったら、一緒に藩邸に戻る。私が負けたら、諦めて大人しく帰ります」

「ほう」

 高杉の瞳がきらりと光った。

「じゃが、それだけではつまらんな。僕が勝ったら、おのしも酒に付き合え」

「ええ!? 駄目ですよ! 酔っ払って帰ったりしたら、桂さんに何言われるか……」

「じゃけえ面白いんじゃろう? どうする? やるか、やらんか。やらんのなら、この話は終わりじゃ。さっさと帰るんじゃな」

「……」

 できれば全力で拒否したいところだったが、ここで臍を曲げられては敵わない。しぶしぶ条件を呑んだ。

「それで、何で勝負するつもりじゃ? たいていのお座敷遊びなら、おのしには負けんぞ」

「ええ、そう思って、ちゃんと考えてきました」

 草月は大きく深呼吸してから言った。

「古今東西ゲームです」

「古今東西ゲーム?」

「はい。これは私の国にある遊びなんです。単純な言葉遊びですけど、頭の回転の速さと運の強さが必要となる遊びでもあります。……どうですか?」

 いいだろう、と高杉が了承した。

 草月は興味津々に見守る浜田や芸妓たちにも声をかけた。

「大勢でやった方が面白いですから、皆さんもご一緒に」

 やり方を説明し、簡単なお題で練習したところでいよいよ本番開始。先に三勝した方を勝ちとし、お題は公平を期すため芸妓に決めてもらうことにした。

 第一番は草月の勝ち。

 第二番はまたしても草月の勝ち。

 後がなくなったところで、持ち前の勝負強さを発揮した高杉が続けて勝ち、勝負は最終五番にもつれ込んだ。

 運命のお題は『源氏物語の巻の名前』。

 桐壺、葵、花散里と出たところで早々に浜田が抜け、三週め、四週めで芸妓二人が抜け、残ったのは草月、高杉、芸妓一人の計三人。そして五週め。

「えー……っと、待って待って、ああああ出てこない!」

 とうとう草月が詰まり、高杉の勝利が決まった。


                     *


 約束通り、たっぷり酒に付き合わされるはめになった草月は、覚束ない足取りで店を出た。すでに日は西へ沈み、すっかり夜のとばりが降りている。分厚い雲に覆われて、月明かりもない空の下では、一歩裏道に入ると文目も分かぬ暗闇である。物騒な事件が絶えない昨今、こんな夜に好き好んで出掛ける者はいないのか、人通りはごく稀だ。

「面白いお人じゃのう、高杉さんは」

 提灯の明かりを手に少し前を歩く浜田が、弾む口ぶりで言った。

 帰ろうとする草月に、おなごの一人歩きは危ないと、同道を申し出てくれたのだ。

 土佐藩邸と長州藩邸は同じ高瀬川沿いの通りにあり、わずかに五、六丁を隔てるばかり。ならばと草月もありがたく送ってもらうことにした。

 浜田はおどけたように自分の頭をぽんと叩いて、

『坊主頭を叩いてみれば、安い西瓜の音がする』

 高杉の真似をして謡った。

「単に滅茶苦茶なんです」

 真っ直ぐ歩いているつもりが、なぜか柳に激突しそうになっていて、慌てて軌道修正する。

「浜田さんはお酒強いですね。私以上に飲んでたのに、全然顔色も変わらないし」

「土佐もんは酒が強いき、あれくらいどうってことないぜよ」

 ひっそりとした通りに、浜田の明るい笑い声が響く。

(土佐、か……)

 草月は酒でぼんやりした頭で考える。

(浜田さんは坂本龍馬のこと、知ってるのかな)

 聞いてみたいけれど、なぜ彼を知っているのか問い返されても答えに困る。上手い聞き方を思い付かないまま三条大橋の手前まで来た時だった。

 横合いの細い路地から走ってきた男と出会い頭にぶつかった。尻餅をついた草月には目もくれず、あっという間に男の姿は闇に紛れる。

「何じゃあいつは、ぶつかっておいて謝りもせんと。……大事ないか、草月さん」

「ええ、大丈夫です」

 立ち上がろうとした草月は、意に反してふらりとよろけた。

「すみません、酔っぱらい過ぎですね、私」

 浜田がとっさに支えたその手にぬるりとした感触が伝った。

「おい、こりゃあ……」

「辻斬りやー! 辻斬りが出たー!」

 男が出てきた路地の奥から、若い男の悲鳴が上がった。

「まさか、さっきの奴……!」

 草月の左胸の辺りから、じわじわと暖かい血が染み出していく。

「草月さん!? しっかりするちや! 俺の声が聞こえるか!?」

「あれ、私斬られてたんですか? いつの間に……」

 言いながらも、ずるずるとへたりこみそうになる。

 それを両手で抱き抱え、

「気ぃを確かにもつぜよ! 藩邸はもうすぐそこじゃき」

「ああ、すみません、着物、汚しちゃいましたね……」

「馬鹿、そんなこと心配しゆう場合か! ……くそ!」

 浜田の悪態を聞いたのを最後に、草月の意識は途絶えた。 



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