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花綴り  作者: つま先カラス
第三章 京
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第35話 京名所散策

『時勢の中心は京にある』

 いつか高杉が言った言葉通り、表面上は穏やかに見える京だが、町を歩いていると、鋭い目付きをした武士や浪士たちをよく見かける。昨日はどこで人斬りがあったとか、誰それの家に斬奸状が投げ込まれたとか、血なまぐさい噂が当たり前のように飛び交っている。

 草月は、江戸にいた頃と同じように、藩邸の雑用をこなしながら、踊りの稽古にもいそしむ毎日だ。自活の道を探したいと言った草月に、桂が藩邸近くの三本木にある吉田屋の芸妓、幾松を紹介してくれたのである。幾松は桂の馴染みの芸妓で、綺麗な富士額と、気の強そうなくっきりした目が印象的だった。草月を見るや、開口一番、

「芸の道は死ぬまで精進や。二足のわらじでやれるような、生易しいもんやないえ。桂はんの紹介ゆうたかて、容赦はしまへん」

 そう言われてたじろいだが、

「それでもええゆうんやったら、うちがきっちり面倒みさせてもらいます」

 艶やかに微笑んで見せた姿がはっとするほど格好良くて、気付けばよろしくお願いしますと頭を下げていた。

 桂が積極的に外への使いを言いつけてくれるので、その機会を利用して屏風探しにも余念がない。

 大きく変わったことといえば、男装から、普通のおなごの姿に戻ったことだろうか。江戸を離れたことで、役人から身を隠す必要がなくなったからだ。久しぶりに髪を結い上げ、明るい色の小袖に袖を通すと自然に心が弾んだ。

 そうして京の暮らしにも慣れ始めた頃、伊藤が上京してきた。久しぶりに、草月、高杉、久坂、伊藤の四人が揃ったことになる。

「せっかくだから、また四人でどこかに遊びに行きたいですね」

 わがままを言うと、他の三人もそうだなと頷いてくれた。だが、それぞれに役目がある身、そうそう都合が合う日があるわけもない。特に久坂は、公家の間でもかなり顔を知られた存在になっており、今も、将軍在京のうちに攘夷実行の言質を取ろうと、公家への根回しに飛び回っている。

 『いつか』と約束したまま、日々が過ぎたある日の午後。

 神仏のお導きか、はたまた只の偶然か。ひょっかりできた空き時間が、四人ともぴたりと重なった。

この機を逃せば次はいつになるか分からない。たちまち話がまとまって、四人は昼飯もそこそこに、そろって藩邸を飛び出した。


                      *


 群青色の青空に、ふわりと布を広げたような薄い雲。日射しはぽかぽかと暖かく、絶好の行楽日和だ。

「あまり遠出する時間はないから、近場で良さそうなところにしよう」

 まず訪れたのは、藩邸から程近い場所に位置する知恩院である。浄土宗の祖・法然ゆかりの地に建つ壮大な寺院で、徳川家から庶民まで、幅広い信仰を集めている。五本の柱が支える巨大な二階建ての三門をくぐり、急な石段を登ると、御影堂の建つ広い境内に出る。

 先頭を歩いていた高杉がひょいと振り返り、人の悪い笑みを浮かべて草月を見た。

「そういえば、知っちょるか? ここに伝わる七不思議」

「七不思議? ……え、それって、開かずの間とか、そういう奴ですか!?」

 怪談話は大の苦手だ。たちまち及び腰になる草月に、高杉は、ほら、と通ってきたばかりの三門を指差し、

「あの門は大工夫婦が精魂込めて造り上げたものじゃが、費用がかさんだ責任をとって、自害したんじゃ。門の上には夫婦の木像を納めた白木の棺が今も安置されちょって、夜な夜な不気味な声で泣くそうじゃぞ」

「ええっ!」

 知らずに通って来てしまった。今更ながら気味悪くなって、距離をとるように後ずさる。

「よく皆平気で通れますね――」

 顔をしかめたその横で、高杉の肩が小刻みに震え出す。まさか。

「――冗談だったんですか!?」

 高杉は堪えきれないというように腹を抱えて笑いだした。

「幽霊が出るような寺じゃったら、こんなに信仰されちょるわけないじゃろう!」

「ひどい、信じちゃったじゃないですか!」

「まあまあ、七不思議があるのは本当だよ」

 久坂が宥めるように間に割って入った。

「よくある怪談の類いじゃないけどね。夜な夜な泣くっていうのは別にして、『白木の棺』もその一つだし、他にも、御影堂の『忘れ傘』なんてのもある。ちょうどあそこに見えてるだろう」

 久坂の指差す先を辿って見上げると、なるほど正面の軒下から、古びた傘の先端がちらりと覗いている。

「あ、ホントだ。でも、どうしてあんなところに傘が?」

「さあ、どうしてだろう。大工の左甚五郎が置いたとか、白狐の化身が置いたとか言われてるけど」

「確か、ここを火災から守ってるんですよね」

 伊藤も並んで見上げた。

「俺も七不思議は聞きかじったことがあるけど、実際に見るのは初めてだなあ」

「面白いですよね。他には何があるんですか?」

「そうだな、例えば……。いや、せっかくだから、順に辿って行こうか。ちょうど院内を一周できるし、その方が良く分かるだろう」

「あ、良いですね!」


                         *


 御影堂から大方丈へ続く、長い『うぐいす張りの廊下』、大方丈の入り口の梁に置かれた『大杓子』、あまりにも見事に描かれていたために生命が宿って飛び去ったとされる襖絵の『抜け雀』。どこから見ても正面から睨んでいるように見える『三方正面真向の猫』。一つ一つ、興味深く観賞しながら、大勢の参拝客に混じって伽藍を巡る。

 七不思議最後の一つは、小方丈を過ぎて、黒門を通った先の道端にある『瓜生石』だ。知恩院の建立以前から存在するといわれる大きな石で、一夜にして瓜の蔓が伸びて花が咲き、実がなったと伝えられている。

「これにはもう一つ言い伝えがあってな。石の下を掘ると空洞があって、二条城まで繋がっちょるらしい」

「へぇー、……あ、じゃあ、今ここを通ったら、二条城にいる将軍様に会いに行けるわけですね」

 そうなるな、と高杉は愉快そうに笑った。

「将軍もさぞかし驚くじゃろう」


                          *


 知恩院を後にした草月達は、南へ進んで音羽山の中腹に建つ清水寺に参拝した。崖にせり出すように作られた有名な舞台から、萌木色の木々の向こうに京の町が一望できる。

「こうして見ると、本当に綺麗な碁盤の目になってますよね。それに、大きなお寺がいっぱい」

 草月が住んでいた京都の町と記憶を重ねてみるが、残念ながら、懐かしいと感じるものはなかった。

 並んで飽きずに見下ろしながら、四人はたくさんの話をした。

 草月と高杉が江戸から京までの道中の出来事を面白おかしく語り、久坂が京で知り合った公家や同志について熱弁を振るう。

「男のことより、久坂、馴染みの妓は出来たのか?」

 高杉が茶化すと、久坂は、今はその話はいいだろう、と僅かたじろいだ。

「お、その反応は、いるってことじゃな? どこの妓じゃ。歳は? 美人なんじゃろうな?」

「うるさいな。絶対にお前にだけは教えないよ」

「私も気になります! どんな人なんですか?」

「いずれ、機会があれば紹介するよ。それより、草月は幾松さんに弟子入りしたんだろう? 稽古の方はどうなんだ?」

 上手く話を逸らされた、と思いながらも草月は大変ですよ、と言葉を返した。

「江戸の舞と京舞とじゃ、だいぶ違いますから、新しく覚えることがいっぱいあって。もっとおいど(お尻)落として! って、毎回叱られてます」

「容赦なさそうだもんなあ、幾松さん」

 伊藤がにやにや笑って、

「桂さんも、一度こっぴどく振られてるんだぜ?」

「え、桂さんが!?」

 高杉と久坂も初耳だったのか、驚いた顔で伊藤を見る。

「野暮な男は嫌いどす、ってはっきり言われたらしい」

「桂さんが野暮!? いっつも隙がないくらい完璧な立ち居振舞いなのに!?」

「そこが面白味がなかったんじゃない? あの桂さんが、気の毒なくらいしょげかえっててさ。ここは長年の従者であり、女心に精通した俺の出番だと思って」

 ただの女好きの間違いじゃろ、と突っ込んだ高杉の言葉を伊藤は綺麗に聞き流した。

「渋る幾松さんを何とか宥めすかして、もう一度桂さんに会ってもらえるよう頼んだんだ」

 そしてどうにか約束を取り付け、最後の機会とばかりに真正面から果敢に挑んだ桂が口説き落とした。

「政治の根回しは得意なのに、こと女に関してはそれが出来ないんだもんなあ」

「格好いいじゃないですか!」

 草月は目を輝かせて、

「私は変に回りくどい言い方されるより、すぱっと言ってくれた方が嬉しいです」

「駆け引きするのが男と女の醍醐味だろ?」

「そりゃあ、遊びの上では面白いのかもしれませんけど、真剣に付き合う相手なら、断然桂さんみたいな人ですよ。きっと幾松さんも、桂さんみたいな人は初めてで、その誠意に打たれたんじゃないかな」

「誠意ねえ……」

 男衆はまるでピンとこないようだった。


                         *


 長くなった初夏の陽も、やがて西に傾き、四人の影を長く伸ばしていく。

 話は尽きなかったが、そろそろ帰ろうと腰を上げて、けれどこのまま藩邸に帰るのが惜しくて、誰ともなく、ゆっくりと歩く。遠回りしようと普段通らぬ道を歩いていると、気付けば人気のない小路に入り込んでしまっていた。

「あれ、こんなところに寺があったんだ」

 伊藤が覗き込んだのは、どん詰まりにある古びた寺だ。屋根瓦は所々剥がれ落ち、土壁は今にも崩れそうになっている。だが廃寺ではないらしく、お堂の床は塵一つないくらいに磨かれ、庭も綺麗に掃き清められている。

 草月は、その庭の片隅にひっそりと咲く、白い花に惹き付けられた。夕日に照らされ、花びらがまるで黄金のように輝いている。

「きれい……」

 草月が言うと、隣に立った高杉が、

「ほう、こりゃ空木じゃな」

「ウツギ?」

「空の木と書いて空木。四月頃に咲くけえ、卯の花とも言うが。古くは万葉集にも詠われちょる有名な花じゃぞ。確か、大伴家持の歌が……。何じゃったかな」

  

 ――卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす

  来鳴き(とよ)めよ (ふふ)みたりとも


 高杉に水を向けられた久坂が朗々と吟じた。

「よくご存じどすなあ。それに惚れ惚れするような良いお声や」

 しゃがれ声に振り向くと、眉の白くなった僧が、にこにことこちらを見ていた。

「あ、ご住職ですか? すみません、勝手に」

「いやいや、どうぞお好きに見ていっておくれやす。滅多にお客もきぃひんボロ寺ですよって、この花も綺麗や言うてもろて喜んでますわ」

 僧侶は話好きらしく、自分で剪定しているという庭木の説明などを嬉しそうに話した。

「ほら、あの松なんかは一度枯れかかったのを、どうにか工夫して蘇らせたんどす」

 指差した松のそば。

 お堂の柱の影から、子供の大きな瞳が覗いている。

「こりゃ! 書き取りはどうしたんや! さぼっとらんでやりよし!」

 僧侶の一喝に、子供は飛び上がって、ぱっといなくなった。

「いや、お恥ずかしいとこをお見せしました。身寄りのない子を引き取って読み書きを教えよるんどすけど、目を離したらすぐにさぼろうとしますよって」

 そう言う住職の表情は優しい。

「ああそれ、俺も覚えがあるなあ」

 伊藤が懐かしそうに目を細めた。

「まだ小さい頃、寺に預けられてたことがあったんだけど。和尚がそりゃあ厳しい人で、なかなか友達とも遊べなくて。良く抜け出す算段したなあ。竹筒を床下に隠しておいて、それでこっそり手紙のやり取りしたりしてさ」

「へええ」

「和尚に見つかって、危うく三食飯抜きになるところを、これからは心を入れ換えて勉学に励みますっていってやっと許してもらった」

「所が違ちごても、子供のやることは同じゆうことどすな」

 楽しげに和尚が笑い、草月達はそれを潮に礼を言って寺を辞した。

「……きっと、また皆でこんなふうに出かけましょうね」

 藩邸の門前で。ぽつりとこぼした草月の言葉に。

「……ああ、きっと」

 笑顔で返してくれたその言葉を。

 この時は疑いもなく信じていた。



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