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花綴り  作者: つま先カラス
第二章 東海道
37/54

      志道の恩返し・後

 さて、男達の出ていった『松屋』では、用心のために、潜り戸につっかい棒をし、表の蔀戸も下ろしておいた。曇り空に夕刻も近いとあって、家の中はたちまち真っ暗になった。

 『松屋』の造りは、縦に長い典型的な町家造りだ。潜り戸からまっすぐ伸びた土間に沿って、順に店の間、座敷、奥の間、裏庭と続き、二階は吹き抜けになった座敷を挟んで、表と裏に二部屋設えられている。

 他愛のない話をして気を紛らわせながら座敷で火鉢を囲んでいると、やがて上に乗せた鉄瓶がしゅんしゅんと音をたて始めた。お茶を煎れますね、と母親のおせつが席を立ち、お夏は棚からお茶請けの羊羮を取り出した。

「心配ないよ、お夏ちゃん」

 切り分けようとするお夏の手が震えているのに気付き、草月はそっと少女の手から包丁を取り上げた。

「高杉さんと志道さんなら、うまくやってくれるから。ああ見えて、剣術は免許皆伝なんだよ。普段のだらしなさからすれば、とてもそうは見えないけど」

 おどけて言うと、お夏はやっと笑顔を見せた。気丈に振る舞っていても、やはり不安だったのだろう。

「じゃあ、お夏ちゃんは、これ、お皿に取り分けててくれる? 私は、ちょっとおせつさんの様子見てくるね」

 切り分けた羊羹をお夏に任せ、その場を離れた。

「おせつさん? ……うわ、寒っ」

 土間に下りると、途端に冷え冷えとした空気が足を這い上がる。灯りのついた部屋にいたせいか、薄暗さに目が慣れない。うっかり竈に足をぶつけてしまい、もうっ、と毒づく。

「危ないなあ……。おせつさん、灯りがなくて大丈夫ですか? ……おせつさん?」

 返事がない。

 どうしたのだろうと眉をひそめた時、抑えた低い笑い声がして、草月は凍りついたように動きを止めた。

 闇の中からゆっくりと人影が現れる。五郎蔵と亥助、そして――、

「――っ、おせつさん!」

 おせつは気の毒に、卯吉の太い腕に喉元を押さえられている。

「おっと、動くんじゃないだ。この女に怪我させたくなかったら」

「あ、あんた達、高杉さん達と行ったんじゃ……!? 高杉さんたちはどうしたの!? それに、どこから入ってきたのよ?」

「へへっ。間抜けな侍どもなら今頃、崖の下でもがいてるはずずら。おみぁーもこの店の裏が山だと油断したな。俺っちにとっちゃ、周りの山は庭みたいなもんなんだよ。さあ、このババアを傷つけられたくなかったら、大人しく娘を出すだ!」

「おっかさん!」

 ただならぬ気配を察したのか、お夏が駆けつけてくる。

「お夏ちゃん、下がってて! ……あなた達お金が欲しいんでしょ。なら、私があげる。だから、おせつさんを離しなさい」

 草月は懐の巾着の中から、小さな淡い桃色の塊を取り出した。座敷から漏れる灯りを受けて、きらりと光る。

「これは珊瑚の中でも特に貴重といわれる桃珊瑚よ。売ればかなりの額になる。これとおせつさんを交換して」

「信じられねえだ。なんで一介の従者が、そんな高価なもの持ってるだか」

「何かあった時のためにって、上役から預かってたのよ。うちのご主人様は、有り金全部お酒と博打に使っちゃうような大馬鹿だから。さあ、どうする? ぼやぼやしてると、ご主人様達が崖を登って戻ってきちゃうよ」

「……分かっただ」

 五郎蔵が頷く。

「それをこっちによこせ」

 草月はゆっくりと近付き、珊瑚を渡すふりをして、さっと宙高く放り投げた。

「あっ!」

 男達の注意が珊瑚に逸れる。

 その隙を見逃さず、草月はおせつの手をひっつかむと一目散に逃げ出した。

「……こりゃ、ただの石っころじゃねえか!」

 一拍後、怒り狂った五郎蔵が獣のようなうなり声を上げて迫ってくる。

 ――が。

「ぎゃああ!」

 悲鳴を上げたのは五郎蔵の方だった。

 お夏が煮えたぎった鉄瓶の湯をぶっかけたのだ。大半は狙いを外れて土間の石にかかったが、それでも五郎蔵の勢いを削ぐには十分だった。

「お夏ちゃん、ナイス! 今のうちに!」

 店の間にある階段を駆け上がり、二階の部屋にあった衝立を框の所から防壁がわりに立て掛ける。勢い込んでやってきた卯吉が頭から衝立に激突し、後続の亥助を巻き込んで転がり落ちた。潰れた二人を踏み越えて上がってこようとする五郎蔵に向かって、手すりの隙間からお夏が箒を振り回す。

「えいからげんに諦めて帰るだ! もう、おめぁあさんらなんか怖くねえ!

 おせつも負けてはいない。草月と二人、渾身の力で衝立を押し返しながら、

「お夏の言う通りだ。いくら脅されたって、お夏は絶対に渡さねえだで! それにおまっち、その火傷、早く冷やさないと水ぶくれになるだよ!」

「うるせえ! これだけコケにされて、このまま黙って帰れねえだ!」

「この期に及んでなに女々しいこと言ってるの。さっきのお湯で脳みそまで沸騰しちゃったんじゃないの!」

「何をこのおとましい(うっとうしい)! おい、卯吉、亥助! いつまでしょろしょろ(のろのろ)してるだ! さっさと起きて手伝うだ」

 男三人の力に負け、徐々に衝立が傾き始めた。

「草月さん、このままじゃ持たないですだ!」

 追い討ちをかけるように、表でどんどんと戸を叩く音がする。

(まだ仲間がいるの!?)

 万事休すかと思われた、その時。

「お夏、おせつ! ――草月! 三人とも無事か!?」

「――高杉さん!」

 待ち望んだ声だった。

 草月は外に届くように、声を張り上げた。

「二階にいます! 早く来てください! あまり持ちません!」

「分かった、持ちこたえろ! 直ぐ行く!」

 だが、それより早く、力に押され、ついに衝立が突破された。隣の六畳間へと逃げ込んだ草月たちを、五郎蔵らが追う。

「ええい、来るでねえ、このろくでなしが!」

 手当たり次第に物を投げ付けて応戦するも、いつしか壁際へ追い詰められている。

(高杉さんたち、まだなの……?)

 開いた障子窓から、ちらりと階下を窺う。高い吹き抜けには剥き出しの太い梁が渡り、遥か下に土間の固い石敷きが見える。

「草月さん、後ろ!」

 鋭い声に、無意識に体が反応した。横に飛んでかわしたすぐ脇を、五郎蔵の手が掠める。空を切った五郎蔵の体が勢いのまま、開いた障子窓に突っ込み――、

「――うわああ!」

 窓の桟を乗り越え、真っ逆さまに吹き抜けへと投げ出された――かに見えた。

 その体が、空中でぶらんと止まる。

 草月が咄嗟に伸ばした手が、五郎蔵の着物の裾を掴んだのだ。

(ぐっ……!)

 凄まじい重みにたちまち自身も引っ張られて、窓の敷居に腹を強打する。そのまま宙に投げ出されそうになったのを、誰かが草月の腰を掴んで引き戻した。

 卯吉だ。

「五郎蔵、大丈夫だか!? ……おい、あんた、死んでも離すんじゃないべ!」

「無茶言わないでよ!」

 五郎蔵の揺れる体の遥か下には、固い石の土間がある。落ちれば、怪我は必至。打ち所が悪ければ、死ぬかもしれない。

「お、落ちる、落ちる! た、助けてくりょー!!」

「馬鹿、暴れないで! 余計に手が滑るでしょ!」

 腕はすでに重みに耐えかね、ぷるぷると震えている。

「五郎蔵、これに掴まるだ!」

 亥助が横から、箒の柄を五郎蔵に差し出す。だが、逆さになった体勢からはとても手を伸ばすに至らない。

「お夏、座敷から、ありったけの座布団を持ってきな! あたしは布団を!」

「分かった!」

「おい、お前ら、何を……」

「亥助って言っただか? ぼさっとしてないで、あんたも手伝うだよ! 友達が怪我してもいいだか?」

「……っ!」

 おせつを先頭に、お夏、亥助が階段を駆け降りる。両手に大量の座布団を抱えたお夏がそれを土間に敷き詰めていく、その時だった。

 ずる、と草月の手から五郎蔵の着物が滑り落ちた。

「あっ!」

 という悲鳴は、誰のものだっただろうか。支えを失った五郎蔵の体が、まっ逆さまに落ちていく。下には、座布団を敷いた姿勢のまま、上を見上げて固まるお夏の姿。

「――お夏っ!」

 おせつの悲鳴に重なるように、戸板の壊れる音がした。高杉と志道が店に飛び込んでくる。

 そして――。

(え、うそ……)

 ふわりと体が浮く感覚。

「――草月!」

 高杉の焦った声を聞いたのを最後に、草月の視界は暗転した。


                 *


 一瞬、気を失っていたようだ。

 どういう体勢になっているのか、思うように体が動かせない。焦ってやみくもに暴れる草月の手が、がし、と何かを掴んだ。同時に、すぐ下から、ぐえ、という呻き声。

「……高杉さん?」

 もがくのをやめて、下を見ると、高杉と五郎蔵が重なるように座布団の上に伸びている。落ちる草月を、高杉が受け止めてくれたらしい。

「うわ、ごめんなさい!」

 ようやく状況を把握して、もたつきながらも慌てて高杉の上から飛び起きる。お夏は、と探すと、少し離れた所に志道といるのを見つけた。志道が助けたのだろう。青ざめてはいるが、怪我はないようだ。

 おせつが駆け寄り、我が子を力一杯抱き締める。

 卯吉と亥助もわんわん泣いて五郎蔵の無事を喜び、とんだ騒動は幕を閉じた。


                  *


「助けて頂いて、ふんとになんとお礼を申し上げたらいいだか。気の利いたお礼の一つも差し上げたいとこだけんど、こんなことしか出来んで……」

 宿場の出口まで見送りに来てくれたお夏とおせつは、せめてものお礼にと持ちきれないほどの団子を土産に持たせてくれた。

「なに、食い物はなによりの土産じゃ。それに、わしはただ、前にお夏に助けられた恩を返しただけじゃしな。あいつらもあれに懲りて、二度と悪さはせんじゃろう」

 無体を働いていた相手に命を救われて、すっかり反省したらしい五郎蔵は、卯吉、亥助と共に手をついて詫びた。そして、皆の目の前で証文を破り、壊れた戸口は自分たちが直すと申し出たのだ。

「二人とも達者でな」

「皆様も道中お気をつけて」

 旅立つ三人の姿を、母娘は小さくなるまでずっと見送っていた。

「やれやれ、とんだ寄り道になったな」

 高杉は両腕を高く突き上げ、思い切り伸びをし、ついでぐるぐると肩を回した。

「なんか、弥次さん喜多さんを地でいってますよね、私達」

「まったくじゃ。お前といると、やっかいごとが次から次に寄ってくる」

「人を疫病神みたいに言わないでくださいよ、志道さん。言っときますけど、やっかいごとの大半は、私じゃなくて、お二人が引き起こしてるんですからね」

「まあ、旅にやっかいごとは付き物じゃ。多少騒ぎがあったほうが面白い」

「……私としては、平穏無事に着けるほうがありがたいんですけど。こう毎回、大立ち回りしてたら、体が持ちません」

「そういえば草月、足の具合はどうじゃ。歩けそうか?」

「はい。半日楽させてもらったので大丈夫です。……あっ、そうだ!」

 突然足を止めた草月に、何事かと高杉と志道が振り返る。

「藤枝でほととぎす漬け食べなきゃ!」

「……まだ覚えちょったのか」

 高杉が呆れたように頭を振り、

「食い意地だけは衰えんのう」

 志道は気にして損したと言わんばかりにさっさと歩き出す。

「えっ、ちょっと、何ですかその反応。待ってくださいよー!」

 騒がしい声を後ろに聞きながら。

『ほととぎす漬け』は、辛子をまぶして紫蘇で巻いたウリの粕漬で、その味は脳天を突き抜けるほどの辛さである、ということは言わずにおこうと、高杉は思った。


(知らずに食べた時の反応が楽しみじゃ)



 


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