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花綴り  作者: つま先カラス
第一章 江戸
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第26話 花見

 町を歩いていると、通りを行く人々の間に、どこか浮き立つような空気がある。寒暖を繰り返しながら、しかし確実に春が近づいている気配を皆、敏感に感じ取っているのだ。

(今年こそ、藩邸の皆やお花ちゃんと一緒にお花見したかったな)

 ぽつぽつと薄桃色の花が開き始めた民家の桜を、草月はじれったい思いで眺めた。

 去年の春は、桂と伊藤が奉行所に連れていかれて、花見どころではなかった。この春こそは、と思っていたら、昨年末に御殿山の焼き討ち事件があり、久坂を初めとする実行犯のほとんどは早々に江戸を出て、残っているのは高杉や伊藤ら数人だけだ。

(それに……)

 あの一件以来、伊藤は一度も花菱に会いに行っていない。

 せめてきちんと別れを言わせてあげられないかと高杉に相談したら、

「本人同士が納得しちょるものを、横からとやかく言うのは野暮と言うもんじゃぞ」

と一蹴されてしまった。

(そうかもしれないけど……。でも、このままお別れなんて、寂しい。あんなに仲が良かった二人だもの。何とかしてあげたい)

 上手い策が浮かばぬまま藩邸に戻ると、ベインから手紙が届いていた。

 何気なく文面に目を落とし――、はっとひらめいた。

(――そうだ!)


                          *


 一度急な寒の戻りがあった後、数日暖かな陽気が続き、桜は一気に開花を始めた。まだ五分咲き程だというのに、桜の名所として有名な墨堤は、気の早い江戸っ子達で早くも賑わっている。今年は御殿山での花見が出来ないため、例年以上の人混みだ。

「あ、草月、昼からは急ぎの仕事ないだろ? 一緒に外へ遊びに行かない? 両国で面白い見世物やってるらしいんだ」

 有備館の一室から高杉と廊下へ出てきた伊藤は、足早にこちらへ歩いて来る草月を見て声をかけた。

「ごめんなさい、伊藤さん! この後用事があって。また今度誘ってください!」

 草月は立ち止まることなく、まるでつむじ風のように去っていく。

「最近、どうしたんですかね、草月は。仕事という訳でもなさそうなのに、毎日忙しそうにどこか出かけていってるようだし」

 伊藤は不思議そうに首を傾げた。

 その企みが明らかになったのは、二日後のことだった。

 伊藤と高杉のもとに、草月から書状が届いたのだ。表には、黒々とした墨で『果たし状』と大書されている。

「……決闘でもするつもりか?」

 いつものことながら突拍子もない草月の行動に、苦笑しながら中を開くと――


『 明日、巳の刻。

  御殿山まで参られたし。

  草莽攘夷をご覧に入れ申し候。

               草月 』


「はあ!?」

 声に出して読み上げていた伊藤は、仰天するあまりに途中で声が裏返った。

「草月の言う『草莽攘夷』って、確か、異人と交流して互いに理解を深めようってやつですよね? ……でも、御殿山でいったい何をするつもりなんだ?」

「さあのう。普通の尺では推し量れん奴じゃけえの」

 高杉は楽しげに口角を吊り上げた。

「どう出るか、お手並み拝見じゃ」

 そして次の日。

 御殿山を前にした高杉と伊藤は、眼前の光景に目を見張った。

 焼き討ちの後、閉鎖され、人気の耐えたはずの御殿山に、まるで江戸中の人間が集まったのかと錯覚するくらいの人々で溢れていたからだ。満開の桜の下、楽しげに弁当を食べる者や酒を飲む者、三味線を鳴らす者、大声で歌う者。団子や酒を売る行商人。

 驚いたことに異人の姿もちらほら見える。

 だが、お祭り騒ぎのような浮かれっぷりの中では、異人だろうと何だろうと関係ないのか、まるで違和感なく喧騒の中に溶け込んでいる。

「これは一体どういうことじゃ?」

 人混みの中からようよう草月を見つけて――下手くそな三味線を嬉しそうに弾いていた――問い詰めると、凡庸な見かけによらず大胆なこの袴姿のおなごは、まるで悪戯が成功した子供のように、にんまりと微笑んだ。

「ジュードさんたちが今日、江戸に来るって知って、草莽攘夷を実行する絶好の機会だと思ったんです。日本人はお花見が好きでしょう? 江戸の人は御殿山でお花見したくてうずうずしてたから、ここでお花見しようと言ったら、きっと来てくれると思って。それで、知り合いに片っ端から声をかけて、話を伝えてもらいました。ジュードさんにも訳を話して、同僚の人たちを連れて来てもらって。……もちろん、山に入る許可なんか取ってないから、勝手に、なんですけどね。でも、江戸中の人達が大挙してなだれ込んだら、いくらお役人でも、そうそう止めるのは無理でしょう? だから、応援が来るまでの間、皆で思いっきりお花見を楽しんじゃえ! って」

(まったく、こいつは……)

 会心の笑みを浮かべる草月を見て、徐々に笑いが込み上げてくる。

「よし、なら僕も大いに楽しむぞ!」

 草月の手から三味線を取り上げると、べん! と撥を弾き、拍子の良い音を奏で出す。

 思わず体が動いてしまうような音曲につられて周りも踊り出し、やがて踊りの輪は大きなうねりとなって山中に広がった。

 その中で草月はそっと伊藤の袖を引き、何事かを耳打ちした。するりと人波の中に消えた伊藤と入れ違いに、風に金色の髪をなびかせた顔なじみの異人がやってくる。

「ジュードさん! 楽しんでますか?」

「ええ、ミス・ソウ。最高です! 護衛の役人を撒いてきたかいがありましたよ」

「ふふふ、なら良かった」

「ミスター・タカスギも、お久しぶりですね」

「十兵衛か」

 一瞬ひやりとした草月だったが、二人は自然に挨拶を交わした。

「おのしも草月に唆されたクチか」

「こんな楽しい祭り、参加しないではいられないでしょう?」

「ところで、どうしたんじゃ、それは?」

 高杉が言ったのは、何故かベインが両手一杯に団子やら酒やらを持っていたからだ。洋装のイギリス人に串団子という取り合わせがちぐはぐで、なんとも可笑しい。

「これは……、その、極めて親切なる妙齢のご婦人にすすめられて、買い求めました」

 ベインは紳士らしく、ものすごく婉曲かつ好意的な言い回しをした。

「……ジュードさん、そこははっきり、押しの強いおばちゃんに無理やり買わされた、で良いんですよ」

 草月はくすくす笑って、

「でも良かった、こうやってジュードさん達にも楽しんでもらえて。この計画は、ジュードさんの手紙を読んで思い付いたものでしたから」

「私が公使のお供で江戸を訪問するのに合わせて、大々的に花見をしようというのですからね。最初に話を聞いた時は驚きましたが……。でも、今は来て良かったと心から思っています。こんなふうに、日本人と楽しい時を過ごせたのですから」

 乱れ咲く満開の桜を仰ぎ見る。

 薄桃色の花の下、誰も彼もが笑顔でこの時を楽しんでいる。この瞬間、ここに集った人々に国の違いはなかった。


                     * 


 日が中天に上る頃、祭りのような喧騒を切り裂いて、突如、鉦の音が鳴り響いた。

「何じゃ、この音は?」

「――銀次さんだ! 役人がやって来た合図です! ジュードさん、ご友人を連れて急いで逃げてください!」

 草月もまた用意していた鉦をかんかんと打ち鳴らす。

「みんなー! 役人です! お花見は終わりです! 早く逃げてくださーい!」

 あれほど賑わっていた人波は、蜘蛛の子を散らすように引いていった。だが、逃げる表情は皆どこか楽しげだ。

「草月、僕らも逃げるぞ!」

「はい!」

「こっちじゃ!」

 高杉に続いて、山道を駆け下りる。海岸までひた走り、追っ手が来ないのを確信して、ようやく止めていた息を吐き出すと、二人同時に、示し合せたかのように笑いだした。

「まったく、こんなに腹の底から笑ったのは久しぶりじゃ!」

「ホント、最高でしたね! 役人から逃げるタイミングは、結構ぎりぎりセーフでしたけど」

「『ぎりぎりせーふ』というのは初めて聞くな。『ぎりぎりで間に合った』という意味か?」 

「あ、そうですそうです」

 先の大喧嘩以来、草月は高杉と二人の時だけ、元の普段使いの言葉を使うようになっていた。最近はあまり意識せずともカタカナ語などが出てくることはなくなっていたが、それでも言葉に気兼ねなく話せるというのは、自分で思っていた以上にすごく気が楽だった。

「……伊藤さんは、お花ちゃんに会えたかな」

「それも狙いか」

「はい……。たとえ別れるしかなくても、最後に、一緒にお花見をしたっていう思い出だけでも作ってあげたくて。でも、江戸の人も、ジュードさん達も、一緒にお花見を楽しんで欲しかったのも本当ですよ」

 草月は一度言葉を切って、後ろに見える御殿山を振り返った。

「高杉さん、前に言いましたよね。文句を言うだけなら誰でもできる。大事なのは、自分で考え、行動することだって。……小さな一歩かもしれないけど、私にとっては、これが、自分で考えて行動した最初の一歩です。たとえ甘いと言われても、今日のことで、少しでもお互い親しみを持ってくれたら、それはすごく嬉しい」

 日本人とか、外国人とか、それぞれの国の、それぞれの思惑が色々あって。憎んだり、傷つけたり、殺したり……。

 それを全部忘れて仲良くしようなんて、そんな虫の良いこと考えてる訳じゃない。それでも、せめて今日だけは、ただ共に桜を楽しみたい。そう思ったから。

 空を見上げ、草月はベインを想った。

 届いただろうか。


 同じ頃、ベインも空を見ていた。

(ミス・ソウ。私も信じます。いつか、外国と日本が共に笑いあえる未来を)


 遠く距離を隔てて、二人の思いは一つだった。



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