第20.5話 長い夜のその後で
「まったく、公家というもんは、所詮は口だけの輩じゃな」
無精ひげの生えた顎を苛立たしげに引っかいて、志道が鼻息荒く言い捨てる。白い息が殺風景な部屋に現れては消えた。
神奈川の騒ぎから一夜明け、藩邸へ連れ戻された十一人は、まとめて邸内の一室に押し込まれ、謹慎を申し付けられていた。
窮屈そうに身を寄せる中、ごろりと横になった大和が、まあなぁ、と答えた。
「あれだけの攘夷派で、かつ勇猛なことでも知られる姉小路様でさえ、いざとなると及び腰になるんじゃけえのう」
「じゃから、あんな命令無視して飛び出せば良かったんじゃ。それを揃いも揃って畏まりおって」
「いや、聞多。公家の力というのは侮れないぞ。僕は京に長くいたから良く分かるが、幕府を動かすに朝廷の権威は必要不可欠だ。そして、朝廷を動かすには公家の力がいる。今ここで逆らうのは得策じゃない」
「ふん、相変わらず回りくどいな、久坂」
一人机に向かって何やら書きつけていた高杉が、偉そうに口をはさんだ。
「そねいに他力本願では、昨日の二の舞になるだけじゃぞ」
「それについては一言もない」
久坂は悄然と頭を垂れた。
実は、今回の計画が発覚した原因は、土佐藩の武市半平太という人物にある。攘夷派で知られる武市は久坂とも親交が深く、久坂は襲撃計画のことを武市に打ち明けていた。しかし、武市はそれを、前土佐藩主山内容堂に注進したのだ。
藩主を退いたとはいえ、山内容堂は未だ絶大な権力を握っている。彼は、直ちに幕府と長州藩へ計画を知らせ、それを聞きつけた姉小路公知卿が下田屋へと急使を送った、というのがあの夜の真相だ。
「土佐藩だけではない。長州にしても、本当に攘夷をする気があるのか? 政府が中々腰を上げんけえ、僕ら草莽の士が立ち上がろうとしちょるというのに」
「草莽と言えば」
白井が大きな体をゆすり、面白いものを見つけたというように楽しげに笑って、
「草月が下田屋に飛び込んできた時は、さすがに仰天したぞ。藩邸でわしらのことを聞いたんじゃろうが、いやはや大した行動力じゃ。……それにしても、藩邸からここまで、よくあんな早くに着いたのう」
「――!!」
うっかり筆を滑らせそうになって、高杉は努めて冷静を装った。万一、草月が横浜にいたと知られると色々説明が面倒だ。
「その草月というのは、何者なのですか?」
斬りこむように尋ねたのは、隅で静かに端座していた寺島忠三郎だ。
「あ、それ、俺も気になってた」
反対側から、品川弥二郎が学生のように手を上げる。
「有備館で何度か見かけることはあったんですけど、まだちゃんと話したことがなくて。白井さんは親しいんですか?」
「二人は江戸に来たばっかりじゃから、知らんのも無理はない。とは言っても、わしも会えば挨拶する程度じゃ。草月のことなら、高杉や久坂のほうが良く知っちょるじゃろう」
白井の視線を受けて、久坂が後を引き取る。
草月は桂の知り合いの娘で、訳あって一年前から藩邸で預かっているという表向きの説明を話して聞かせる。
「勉強熱心で、有備館の細々した用事なんかも進んでやってくれて……。ん? どうしたんだ、二人とも。変な顔して」
「ちょ、ちょっと待ってください、久坂さん。娘って……、おんなァ!?」
「なぜおなごがあのような恰好をして、しかも馬で乗り込んで来るんだ、久坂!?」
「訳ありって言ったろう? それに、彼女は男顔負けの度胸の持ち主なんだ」
苦笑気味に久坂が言うと、なぜか周りもしみじみと呟いた。
「そういえば、草月っておなごじゃったな」
「俺たちといても、全然違和感ないもんな。あんまり袴姿が堂に入ってるから忘れてた」
本人が聞いたら、真っ赤になって怒りそうな、散々な言われようである。高杉は吹き出しそうになるのを抑え、これ以上草月の素性に話が及ぶ前にとさらさらと懸案の文を書き上げた。
「よし、出来た!」
「おお!!」
墨痕鮮やかな、高杉の掲げた紙の前に一斉に皆が集まる。
『此度我々共、夷狄を誅戮しその首級を掲げ罷り帰り、急度攘夷の御決心あそばされ――』
攘夷の志を忘れず、上は叡慮に、下は君意に従い、国家の楯となる覚悟を示したものだ。
「我ら一同、いかなる艱難辛苦にあおうともこの志を忘れず、例え捕えられようとも秘密を漏らすこと罷りならず。互いに助け合い、必ずや攘夷を成すべし!」
高らかに宣言した高杉に続いて、次々と血判が押されていく。
――攘夷組織、『御楯組』結成の瞬間であった。




