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花綴り  作者: つま先カラス
第一章 江戸
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第20話 長州藩士たちの長い夜

 文久二年十一月十一日、暮れ六つ。

 いつものように品川の土蔵相模を訪れた高杉は、案内の女中を下がらせ、勝手知ったる建物を迷うことなく奥へと進む。最奥の座敷の前でひたりと足を止め、無造作に障子を開けると、中にいた男たちが一斉に大刀を引きつけて振り向いた。

「何じゃ何じゃ、物々しい。今からそう神経を尖らせちょったら、この先もたんぞ」

「高杉か」

 長嶺がほっと息をついて、刀の鍔から手を離す。

「だが、警戒はしておくに越したことはないだろう。万が一、計画が外に漏れるような事態になれば事だからな」

「――久坂さんは一緒じゃないんですか?」

 有吉が肉付きの良い大きな体をずらして席を作りながら、高杉の後ろを気にするようにして尋ねた。

「後から来る」

 簡単に言って、高杉はさっと部屋の中に視線を走らせる。

 長嶺、有吉、大和、品川弥二郎、白井小助、寺島忠三郎、赤根武人、山尾庸三――。

 久坂の他にも、一人足りない顔がある。

「聞多はまだか?」

「金策に走ってくれています」

 答えたのは寺島だ。全身が鋭い刃物のような雰囲気をまとった若い武士である。

「十一人分の旅費に加えて、ここの支払いもかなり溜まっていますから、かなりまとまった額が必要になります。僕らも手伝いに行くべきではないかと話していたところだったのですが」

「やめちょけ。あいつのことじゃ、なんとかするじゃろう」

 高杉はどっかり座ると、酒瓶に手を伸ばす。

 今宵、彼らが集まっているのは、ある攘夷の計画を実行に移すためである。早耳の志道が、近くイギリス領事が神奈川へ遊びに行くと聞きつけてきたのが始まりで、高杉以下攘夷派の同志は攘夷実行のまたとない機会だと、すぐさま襲撃計画を練った。

 周到に用意をし、決行は明後日。

 今日はいったんここに集まり、その後目立たぬよう何組かに分かれて江戸を発ち、神奈川を目指すことになっていた。

 久坂がやって来たのは、それから四半刻ほど経ったころである。沸き立つ一同とは対照的に、なぜか焦った様子の久坂は、高杉の腕を掴むと話があると言って廊下へ連れ出した。

「どうしたんじゃ、久坂。草月に会いに行っちょったんじゃろう。……まさか、おのし、計画を話したのではないじゃろうな」

「そうじゃない。だが、少しまずいことになった」

 久坂は険しい表情のまま話し始めた。


                           *


 今からおよそ半刻ほど前。

 久坂は、藩邸内にある草月の住む長屋へと向かっていた。久坂が京から江戸へ出てきて半月ばかり。久しぶりの再会を喜んだのも束の間、久坂は攘夷活動に忙しく、ゆっくり話をする時間もなくこれまで来てしまった。

 だが、異人を襲撃するとなれば、当然死は覚悟の上だ。その前に、きちんと話をしておきたかった。

(草月には、たくさん迷惑をかけたからな。僕らに何があったとしても、周布さんや桂さんがいるから、身の上は大丈夫だろうけど。……高杉も、最後くらい、顔を見ていけばいいのに)

 湿っぽいのは性に合わないと言って、さっさと出かけてしまった。

 訪ねた草月は、思いがけず旅支度の真っ最中で、驚いてどこか出かけるのかと聞いた久坂に、さらりと神奈川に行くんですと答えて久坂を仰天させた。

「実は、横浜にいるジュードさんから、今度神奈川へ遊びに行くから一緒に来ないかと誘われたんです。――そんな顔しないでください」

 久坂の動揺を反対だととったのか、草月は困ったように微笑んで、

「久坂さんたちが攘夷を目指してるのは知ってますし、その理由も理解してます。でも、やっぱり私は、力でどうこうしようっていうのは嫌なんです。せっかく縁あって知り合ったんだから、この関係を大切にしたい。外国の人に、日本の良さを知ってもらいたいんです。でも、絶対に長州の内情を話したりしないってお約束します」

「ああ、いや、別に、行くなと言うんじゃないんだ。その、道中、気を付けてな」

 挨拶もそこそこに、久坂は品川へと急行した。


                       *



「……というわけだ。草月がいると分かった以上、この計画は中止したほうがいい」

「それがなんじゃ。草月がいようといまいと、この期に及んで中止など出来るか! 聞多がすでに金策に走っちょる。皆もやる気じゃ。この日のために計画を練って来たんじゃぞ」

「しかし、皆は草月のことを何も知らないんだ。万一、彼女に危害が及ぶようなことがあったら……」

「女一人のために、千載一遇の機会を捨てられるか! そんなことが他藩に知られたら、僕らは天下の笑い者じゃ。今でさえ、長州は朝廷におもねるばかりの佞臣じゃと言われちょるのに、この上恥をさらす気か! そんな弱腰で国の大事が成せるか!」

「無関係の者を巻き込んでまで成す大事に大義などない!」

 互いに一歩も引かず、激しくなるばかりの応酬に、部屋で控えていた八人が見かねて間に入り、部屋に連れ戻した。

 それでも止まらずあわや斬り合いになりかけたその時、金策を終えた志道が戻ってきた。その場の有様を見て、癇癪玉が一気に炸裂。

「人が苦労して金を工面してきたというのに、お前たちは揃いも揃って何をしちょるんじゃ!!」

 皿が飛ぶ、銚子が飛ぶ、盆が飛ぶ。

 暴れる志道をどうにか宥め終えた時には、計画をやるかやめるかという議論は吹っ飛んでおり、結局当初の予定通りに決行されることになった。


                           *



 明けて十二日。

 物騒な計画が進められているとは思いもよらない草月は、予定通り横浜にいた。一月ぶりにやってきた横浜は、相変わらずたくさんの人や船が行き交う賑やかさだった。草月はベインの案内で雑貨屋や時計屋などを冷かして歩き、夜は彼の宿舎で夕食をごちそうになった。

 今日はここに泊めてもらい、明日の神奈川行きに備えることになっている。

「……それで、今にも出港しそうな蒸気船を追いかけて、包みを交換してもらったんです。もう、小舟が転覆するんじゃないかって、気が気じゃなかったですよ」

「それは大変勇気ある行いでしたね」

 食後に葡萄酒を飲みながら談笑していると、部屋の戸を叩く音がして背の高い男性が入って来た。

 ベインの同僚の一人だ。

 彼は険しい顔をして大股に近づいてくると、ベインに何やら耳打ちした。

 はっとして立ち上がったベインは、草月に断りを入れるとその男性に向き直り、早口で会話を始める。

(……何か、あったのかな)

 早すぎて何を言っているのかは全く聞き取れないが、良くないことが起こっていることだけは見当がつく。

 やがて男性が足早に去り、振り返ったベインの顔には先ほどまでの陽気さは消えていた。

「大変な報せです。明日の神奈川行きに乗じて、公使を暗殺しようという計画があるようなのです。首謀者は……、長州の者、だとか」

「え――」

 絶句して固まる草月の脳裏に、昨日の久坂の様子が甦る。

 草月が神奈川へ行くと聞くと、急に慌てて来意も告げずに帰ってしまった久坂。

(――まさか!?)

「すみません、ジュードさん。私、行かなきゃ!」

「! お待ちなさい!」

 飛び出して行きそうになる草月を制し、ベインは彼女を宿舎の裏手へ導いた。厩につながれている馬に手早く馬具をつけると、手綱を草月に差し出す。

「これに乗って行きなさい。馬は後で返してくれればいい。馬には乗れますね?」

「……はい。ありがとうございます!」

 草月は礼を言って、長州の者が集っているという下田屋に向かって急ぎ馬を走らせた。


                      *


 宿の戸を叩く音。

 ばたばたと走る足音、言い合うような人の声。

 浅い眠りの中でそれらを認識するや、久坂の意識は一気に覚醒した。ゆっくりと大刀を引きつけながら身を起こすと、いち早く起きていたらしい寺島と目が合った。

 ――藩の追手か?

 ――いえ、分かりません。

 ひそひそと囁きかわす。傍らで酔いつぶれていた仲間たちも一人また一人と目を覚ました。階下の気配は、久坂たちのいる部屋の前でぴたりと止まった。

 刀の柄に添えた手に力が入る。

 緊張の一瞬。

 そして――……

「――久坂さん!」

「っ、草月!?」

 飛び込んできたのは、なんと横浜にいるはずの草月だった。

「どうして君がここに――」

「……ばれてます!」

「何だって!?」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、草月は懸命に言葉をつむぐ。

「ば、幕府に……、計画が、知られて……、すぐにも、役人がやってきます! 早く逃げてください!」

「役人が!?」

「――熊次!」

 高杉の言葉に有吉が表通りに面した障子を開け放った。振り向いて、叫ぶ。

「本当です! 提灯の灯りがこっちに近づいて来ちょります!」

 灯りは見る間に宿を取り囲み、志道は怒りもあらわに拳を壁に打ち付けた。

「どうする、久坂。ここまで来てやめる手はないぞ。強行突破するか?」

「そうじゃ、こうなったら、異人も幕吏も叩っ斬るだけじゃ!」

 周りも次々に志道に賛同する。

(――そんな)

 草月はすがる気持ちで高杉を見た。

 高杉はただ、黙って鋭い視線を久坂に向けている。

 一拍後、久坂が固く結んだ口を開きかけた、その時だった。

「姉小路公知様使いの者である!」

 玄関先で、厳かな声が響いたのは。


                        *


「即刻退去せよ」

 使者の口上を聞いた一同は、断腸の思いで計画の中止を決めた。

 時を同じくして駆け付けた長州藩世子定広の使いに連れられ、草月を含めた十二人は世子の待つ蒲田梅屋敷へとやって来た。

 梅屋敷はその名の通り、春には広大な敷地を埋め尽くさんばかりに梅を咲かせることで有名な名勝であるが、冬の只中の今は、ただ節くれだった枝が寒々と月明かりの下見えるばかりである。

 草月は一人、他の十一人とは別室で待つように命じられ、落ち着かない気分で辺りを見回した。素っ気ないほど飾り気のない一室で、唯一調度品と呼べそうなものは、壁に埋め込まれた納戸くらいだ。

「ああ、やっぱりいたね」

 面白がるような声と共に顔を覗かせたのは、草月も良く知る人物、周布政之助だった。安堵の息をつく草月に、周布は納戸の扉を開けて草月を中に招き入れた。

「君が横浜に行くことは知っていたからね。君のことだ、高杉たちのことを知ったら、すっ飛んで行くんじゃないかと思って」

 だから、もし下田屋に草月がいるなら、一緒に連れてくるようにと使者に頼んでおいた、と周布は言った。

 納戸の中は思ったより天井が高く、大人二人が入っても余裕があるくらいの広さがある。

「私が連れてこられた経緯は分かりましたけど、この部屋はなんですか? なんだか、まるで隠し部屋みたいですけど」

 暗がりの中でも、周布が悪戯っぽく笑うのがはっきりと見えた。

「まあそれは見てのお楽しみ。俺は世子様のお側についてないといけないからもう行くけど、くれぐれも音だけは立てないようにね」

「え、周布さん?」

 謎めいた言葉を残し、悪戯小僧のような笑みを浮かべた齢四十の重役は、納戸の戸を閉めて行ってしまった。

 たちまち草月は真っ暗闇の中に取り残される。

 いや、完全な暗闇ではない。入口の扉と反対側から細く光が漏れてきている。壁だと思っていたのが実は扉であり、つまりはこの納戸は隣の部屋とつながっているのだ。

「あ!」

 隙間から見えた光景に、思わず声を上げた。

 何十畳もあろうかという広間に、高杉や久坂ら十一人が、かしこまって座っているのが見えたからだ。

 間もなく、周布を従えた若い武家が入って来て、上座に腰を落ち着ける。

(あの人が、世子定広様……)

 おっとりとした動作に、面長な顔。光量が乏しくて、はっきりと表情まではうかがえないが、きちんと膝の上で揃えられた両手に人柄が現れている。

 定広は平伏する臣下を鷹揚に見渡し、ゆっくりと口を開いた。

「此度の暴挙、土佐の容堂公から話はうかがっておる。エゲレス公使を誅せんと謀ったこと、相違ないか」

「恐れながら、世子様」

 高杉が決然と顔を上げ、

「暴挙ではございません。義挙でございます。長州は奉勅攘夷を掲げながら、その実何も行動にうつしておりません。先には薩摩に先を越され、長州は口先ばかりじゃと他藩の謗りを受けております。この屈辱を晴らさんがため、我らは異人を斬り、攘夷の魁となって死する所存でございました」

 世子を前に臆すことなく言い放った。

 定広は怒らなかった。悲しむでもなかった。ただ、自分の非力を詫びた。

「私の力が及ばず、お前たちに苦労をかけること、まことすまなく思う。じゃが、私に課せられた責務は重く、これを全うするにはお前たちの力が不可欠じゃ。どうか才乏しき私を見捨てず、これからも力を貸してほしい」

 訥々として語られる言葉は真心にあふれ、殺気立った若者たちの心に染み入るように届いた。感動にむせび泣く男たちの中で、高杉だけが、傲然と世子の顔を見つめていた。


                       *


 その後、場を改めて、世子や、様子を見に遣わされた土佐藩士四人も交えての酒宴になった。

 草月もまた末席を与えられ、おっかなびっくり一座に連なっていた。周布から「高杉たちを助けに宿まで単騎駆け付けた者がいる」と聞いた定広が、「我が藩士の恩人は我が恩人である」と言って、同席を許してくれたのだ。

 和やかなうちに宴は終わり、草月は高杉と共に外へ出た。緊張が解けたせいか、途端に眠気が襲ってくる。

(そりゃそうだ、夜通し慣れない馬走らせてたんだから)

 盛大なあくびを手の平に隠して隣を見ると、高杉はじっとある方向を睨みつけている。

「そんなに見てたら、土佐藩の人に気付かれますよ。せっかく世子様が両藩力を合わせて攘夷を目指そうっておっしゃってたのに」

「構うものか。僕は他藩の奴は信用ならん」

 ふん、と言って、土佐藩士と親しげに話す久坂に背を向けて歩き出す。

 その時、乱れた馬のひづめの音がして、酒で顔を真っ赤にした周布が危なっかしい手綱さばきで突っ込んできた。

「す、周布殿、危のうござる!」

 危うく轢かれそうになった土佐藩士の一人が青い顔で馬を宥めた。

「ちっくと御酒が過ぎたのではないですろうか」

 だが周布は据わった目で彼を見下ろし、

「容堂公こそ、酒が過ぎるのではないか? 攘夷、攘夷と言うわりに、やっていることはその正反対。容堂公は尊王攘夷をちゃらかしなさるおつもりだ!」

「な――っ!」

「聞き捨てなりませんぞ、周布殿!」

「大殿様を侮辱されては、我らとて黙ってはおれませんきに!」

 色めき立った土佐藩士らは、一斉に刀の柄に手をかけた。

 だが、それより早く刀を抜いた者がいる。

「貴公らのお手を煩わせるには及ばん! 周布の無礼、僕が始末をつける」

 叫ぶや否や、高杉は大仰に刀を上段に構えてためらいなく振り下ろした。

「――待て、高杉!」

 間一髪。

 はっしと久坂が高杉を後ろから羽交い絞めにしたおかげで、かすかに切っ先が逸れ、馬の尻に当たった。驚いた馬は、いななき一つを残して、あっという間に駆け去って行った。鞍に周布を乗せたまま。

「こ、このことは容堂公にご報告し、正式に長州に抗議しますき!」

 怒り冷めやらぬ様子で土佐藩士が去って行く。

 久坂が高杉を怒鳴りつけた。

「高杉、お前、本気で斬る気だっただろう! よくもそんな――」

「必ずおのしが止めると思っちょったけえの」

「――」

 虚を突かれて黙り込んだ久坂に、高杉はにやりと笑いかけた。

「周布さんが僕の言いたいことを言ってくれたおかげですっきりした。僕らも藩邸に帰ろう。くたくたじゃ」

「ああ、私もです!帰ったら、もう、絶対、昼まで寝ます」

 草月はううんと伸びをする。

 見上げた東の空が、白々と明け始めていた。

 長い夜が、ようやく終わったのだ。



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