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花綴り  作者: つま先カラス
第一章 江戸
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第15話 西からの兆し

 両手いっぱいに買い出しの荷物を抱え、有備館に戻った草月の耳に、二階から闊達な議論の声が届く。

(私が外に出る前からやってたのに、相変わらず熱心だなあ)

 さぞや喉が渇いているだろうと、買って来たばかりの茶葉を取り出し、茶の準備を始める。

『薩摩の島津久光が討幕の兵を挙げて上京した』

 その急報が藩邸にもたらされたのは、つい先日のこと。国許では、『大乱必死、藩主父子をお守りせよ』を合言葉に、身一つで藩を飛び出す者が続出しているらしい。その中には、久坂を初めとする村塾の仲間もいると聞いて、血気盛んな有備館の若者たちは自分達も京へ乗り込もうと息巻いている。

(久坂さん、大丈夫かな……。本当に戦が起きたりしたらどうしよう)


こぽっ……、こぽっ……


 湯の沸く音が、草月を物思いから呼び覚ました。

 気を取り直して、少し冷ました湯を急須に注ぐ。ふわりと立ち上る湯気と香ばしい茶葉の香りが、不安に揺れた心をゆっくりと鎮めていく。

「やあ、良い香りだな」

「――周布さん!」

 懐かしい声に弾かれたように振り向けば、周布が入口から中を覗き込んでいた。昨年、勝手な行動をした罰として、久坂と共に帰国謹慎を命じられた周布だったが、謹慎が解かれるや要職に返り咲き、この四月に再び江戸に出てきていた。

 直接話すのは、半年ぶりである。

「久しぶりだね。ここの暮らしには慣れたかい?」

「はい、おかげさまで。……桂さんに御用ですか? 生憎、今日は土佐藩の人と会うとかで、夕方まで戻らないそうなんですけど」

「そうか。いや、急ぎの用じゃないからいいんだ」

 話している間にも草月の手は止まることなく、あっという間に十数個の湯呑に茶が注がれていく。

「随分と手際がいいな」

「そうですか? 毎日やってるので、自然と上達したのかもしれません。……あ、良かったら、周布さんの分もお淹れしましょうか?」

「それは嬉しいね。じゃあ、後で俺の部屋に二人分、持ってきてくれるかい」

「二人分ですね、分かりました」



                      *



 周布の執務室は、重臣たちの実務の場である表御殿の中ほどに位置している。当然ながら、草月がここに出入りする機会などほとんどなく、入ったことがあるのは一度きり。初めて周布に挨拶に行った時だけだ。

 気後れしながらも、教えられた道順を辿って無事周布の部屋にたどり着く。

「草月です。お茶をお持ちしました」

「ああ、お入り」

「失礼します」

 一礼して部屋に入った草月は、あれ、と首をかしげた。

「周布さん、お一人ですか」

 すっきりと整えられた室内には、周布の姿があるだけ。『二人分』と言われたから、てっきり客人がいるのかと思っていたが。

「ああ、それは君の分」

「え?」

「せっかく久しぶりに会ったんだ。ゆっくり話したいと思ってね。まあ座りなさい」

 相変わらず、ちっとも重臣らしくない気さくさで、周布は機嫌良さそうに菓子を勧めた。

「貰い物の菓子だが、これがなかなか美味くてね」

 若葉を思わせる淡い萌黄色をした、一口大の上生菓子である。礼を言ってそっと頬張ると、ほのかな甘みが口内に広がる。たちまち頬を緩ませる草月に、周布は姪っ子に小遣いをあげる叔父さんのような顔をした。

「桂に聞いたが、色々と有備館の手伝いをしてくれているそうだね。このお茶もそうだけど、良くやってくれてるって褒めていたよ」

「いえ、そんな全然大したことはしていません。掃除とか、買い出しとか、ホントにそのくらいしかできなくて……。何から何までお世話になっておいて、申し訳ないんですけど」

「なに、もとはといえば、高杉たちの暴走が原因なんだから、気にすることはない。一日酒でも飲んでふんぞり返っていてくれてもいいくらいだ」

(いえ、とてもそんなことできません)

 引きつった笑みをどう捉えたのか、周布はおもむろに、じっ、と草月を見つめて、

「――それで、さっきの君の憂い顔は、京のことが原因かな?」

「!」

 びっくりしたように草月が肩を揺らしたのを見て、周布は、やはりそうか、とひとりごちた。

「……すみません、部外者が藩内のことに興味を持つべきじゃないと分かってるんですが」

「謝ることはない。戦が起きるかもしれないと聞けば、不安になるのは当たり前だ。かく言う俺も、萩を出る時には討死も覚悟でいたからな」

「え――」

 さらりと言われた言葉に頭がついていかぬうちに、周布は、だがな、と言葉を継ぐ。

「京坂の様子を見る限り、どうも戦とは様子が違うようだ。薩摩の動向も探らせてはいるが、久光殿の本意がどこにあるのか、いま一つはっきりしない」

「薩摩は、討幕の兵を挙げたんじゃないんですか?」

「当初は、そう思われていた。だからこそ我々も、薩摩に後れをとるまいと兵を挙げたんだからね。だが、最近では、一部の過激攘夷派が勝手に動いているだけだとの見方もでてきている。……過激といえば、うちにも血気盛んな連中がわんさかいるからな。焦って事を起こして、長州の勇み足なんてことにならなきゃいいんだが」

 困ったように笑った、その時だった。

 血相を変えた藩士が飛び込んできたのは。

「ご報告申し上げます! 只今、京より早馬が到着し、京が……! 京にて、島津久光殿が攘夷派を粛清! 長州藩士の安否、定かならずと――!」

 くらり、と。

 世界が揺れた気がした。



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