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花綴り  作者: つま先カラス
第一章 江戸
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第14話 春夜の珍騒動

(何でこんなことになったんだっけ……?)

 廊下で一枚の紙片を握りしめながら、草月は酔いで回らぬ頭で必死に考えていた。


                      *



 事の起こりは三日前の三月十八日。

 その日、奉行所から、桂と伊藤に対する処分が言い渡された。長井雅楽の読み通り、『譴責』という軽いもので済み、藩邸の者たちは一様に胸を撫で下ろした。

「二人の放免を祝って、皆でぱーっと酒でも飲もうぜ!」

 有吉熊次郎の提案に草月、志道、大和国之助、長嶺内蔵太が乗り、ささやかな祝宴を催すことになった。驚かせようと桂と伊藤には内緒で準備を進めていたが、その甲斐あってか、部屋に並んだ酒や御馳走を目にして、二人ともこれ以上ないほど喜んでくれた。

「それにしても、これはうまい酒だな」

 珍しくたくさん杯を重ねながら、桂が感心したように言う。

「そりゃあ、京からの上物の下り酒ですからね」

「皆で金を出し合って買ったんじゃ」

 得意げに長嶺と大和が胸を張った。伊藤が、でも、とおどけたようにくるりと目を回し、

「どうせなら、綺麗どころも欲しかったなあ」

 会場となった有備館の一室に集ったのは、見事に男ばかり。紅一点の草月も、男装姿では華が乏しいというものだ。

「それが、酒と仕出し料理で金が尽きての」

「芸者さんに回すお金がなくなっちゃったんですよね」

 志道の後を草月が引き取る。

「なら、草月がやってくれれば良かったのに。また見たかったなあ、草月の芸者姿」

「何っ! 俊輔、お前そんなもの見たことあるのか?」

「あれ、聞多に言ってなかったっけ? うん、初めて会った時に。ちらっとだけだけど」

「へえ、俺はこの袴姿しか見たことがないから想像つかないなあ」

 有吉がしげしげと草月を見て、見てみたいなあ、と言った。すると、他の者も、それはいい、是非見たいと言い出した。

(な、なんか話が変な方にいっちゃったな……)

 草月は内心うろたえつつ、笑って手を振り、

「私の芸者姿なんて、見てもつまらないですよ。似合わないし」

「安心しろ、誰も期待はしちょらん。ただの余興じゃ」

「失礼ですね!」

 自分で似合わないと言ったものの、他人に言われるとなぜか腹が立つ。特に志道には。

「勝手に人を余興にしないでください! ねえ、桂さん」

「私も見たいな」

「桂さんまで!」

「ならこうしよう」

 桂は人の悪い笑みを浮かべ、

「これから、皆で勝負して、私が勝ったら、草月におなごの格好で一指し舞ってもらう。私が負けたら、勝った者を吉原に連れていってやる。花代は私の奢りで」

「ええっ!?」

「そりゃあ、ええ!」

「やろう、やろう」

 草月の抗議の声は、沸き上がった歓声に掻き消された。皆、すっかり悪酔いしている。

「それで、勝負の方法は?」

「飲み比べはどうじゃ」

 細面の顔に似合わず酒豪の長嶺が徳利を持ち上げると、大柄な大和が、いいや、と言ってがっちりとした二の腕をまくってみせる。

「こういう時は腕っぷしで決めるもんじゃろう」

「それじゃ私が不利じゃないですか! それよりもっと、お座敷らしい遊びで決めましょうよ。金比羅船々なんてどうです?」

「阿呆。男ばっかりでやったってつまらんわ」

 即座に志道が切り捨てる。まあまあ、と伊藤が宥めて、

「なら、草月の国の遊びとかないの? 男も女も関係なく出来るもの」

「私の国ですか? そうですねえ……」

 ううん、と首を傾けた草月は、あ、と言って、ある遊びの名を挙げた。


                            *


「よーし、準備はいいな」

 廊下にずらりと七人が並ぶ。

 合図と共に走り出し、紙に書かれた品物を探して、一番最初に持ち帰った者が勝ち。要するに、借り物競争である。

 後から考えれば、なぜこんな提案をしたのか甚だ疑問であるが、自分でも気付かぬうちに、かなり酔っていたらしい。

 それぞれ紙に持ち寄ってくるものを書いて、廊下の先に置いてある。

「では、いちにのさんで始めよう。……いち、にの、さん!」

 桂の号令で、七人は一斉に紙に向かって走り出す。我先に床に置かれた紙を拾って中を読んだ途端、揃ってぴしりと固まった。

(な、何だコレ……!)

 そこにはこう書かれていた。


『俺が部屋に隠した春画』

(俺って誰なんだ!?)

 長嶺が目を剥き、

『長州藩邸七不思議の一つ、道場にある夜中に動く鎧兜』

(あんな重いものを持って運べと?)

 桂が眉間に皺を寄せ、

『書庫の本に挟んでこっそり作ってある押し花』

(って、どの本だよ! 何百って本の中から探すのに、どれだけ時間がかかると思ってるんだ!?)

 伊藤が泣きそうな顔をし、

『厩にいる馬一頭』

(馬なんぞ部屋に連れてこられるわけないじゃろうが!)

 大和がわなわなと手を震わせ、

『台所にあるこのような形の皿』

(こんな絵で分かるか! 潰れた饅頭にしか見えんぞ!)

 志道がこめかみに青筋を浮かべ、

『柄杓一杯に入れた井戸水。一滴たりとも零すべからず』

(これ、負けさせる気満々じゃろう!?)

 有吉が頭を抱え、

『じい様秘蔵の酒』

(じい様って、あの来島さん?)

 草月は頭が真っ白になった。

 それでもとにかくやらねばならない。勝てば褒美が待っているのだ。七人は目的のものを求めて藩邸内に散らばった。


                          *


「何じゃ、さっきから、やけに騒がしいな」

 どたばたと人が外を駆け回る気配に、同僚と碁を打っていた来島は太い眉をぐいと吊り上げた。

「ああ、若い奴らでしょう。桂と伊藤の放免を祝うと言って、何やら準備しておりましたけえ。まあ、今日くらいは大目に見てやりましょう」

「ほう、祝いなあ」

 ぱちりと石を打って、来島は思案するように顎を撫でた。


                          *


 さて、その頃、草月は来島を探して藩邸中を歩き回っていた。執務室も、自室も覗いたのに見当たらない。まさか、外へ出ているのではと門番に確かめると、外には行っていないという話。

「すみません、来島さん見ませんでしたか?」

 明かりのついた部屋を見つけて問うと、碁盤を片付けていた男は手を止めて振り返り、

「来島殿なら、ついさっき、宴会をしてるという有備館に行かれたぞ。とっておきの酒を飲ませてやると申されちょったが」

「ええ!?」

 礼もそこそこに、踵を返す。が、有備館へ戻る途中、ぎくりとして足を止めた。

 廊下の先に、怪しくうごめく黒い影が見えたからだ。

 よくよく見てみると、それは借り物を探しに行ったはずの六人で、重そうな鎧兜をえっさえっさと運んでいる最中だった。

「何やってるんですか、みんなして……」

「あっ! 草月!」

 思わず零れた草月の声を聞きつけ、伊藤が焦ったように振り返る。

「まさか、もう、自分の品物、持ってきちゃったの!?」

「え、いえ、まだですけど……」

「よっしゃ、なら望みはあるぞ!」

「え? どういうことですか?」

 桂が苦笑して、

「それが、皆、お題の品が難しすぎて吉原行きは諦めたようでね。せめて、君の舞を見ようと私に協力してくれているんだ」

「そんな! ずるいですよ!」

「別に協力するのがいかんとは言わんかったじゃろ!」

「言わなくても、普通やりませんよ!」

 負けずに志道に言い返して、草月もまた有備館へ走る。

「ちょい待ち、草月! お題の品物は持ってないんじゃろう? じゃあ、先に部屋に戻っても勝ちにはならないぞ!」

 有吉が慌てて言うのに、

「大丈夫です! 私のお題は、来島さん秘蔵のお酒なんですけど、今、来島さんがそのお酒持って宴会場に向かったらしいんです」

「何だって!?」

 大所帯の六人より、身軽な草月の方が早い。

 たちまち追いつき、追い越した。

「いかん、熊次、草月を止めろ!」

「承知!」

 桂の指示で、有吉が後ろから太い腕で草月を羽交い絞めにして足止めにかかる。

「ちょっ……、これ、いくらなんでも反則ですよ!」

「悪く思うな草月、これも大義のためじゃ!」

「それ、絶対、大儀の意味が間違ってます――!!」

 むなしくもがく草月の前を、がちゃがちゃと重そうな音を立てて鎧兜が運ばれていく。

(このままじゃ、マズイ!)

「有吉さん、離してくれたら、吉原行き、譲りますよ」

「えっ! 本当か!」

「……なぁんて、嘘ですよー!」

「っ、痛って――!?」

 有吉が、足を押さえて叫んだ。草月が思いっきり、足の甲を踏みつけたのだ。

「くっそー、騙したな」

「先にズルしたのはそっちですよ! 私だって、吉原行きたいですから!」

 痛がる有吉を置いて、草月は再び五人を追いかける。先に行かせまいとする桂たちとの間で押し合いへし合いしながら、最後の角を曲がった。

「――あ、来島さん!」

 前方に、酒瓶を手に下げ、あとほんの数歩で宴会場に入りなんとする来島の後姿。

「……桂さん、念のため聞きますけど、題目の品だけ先に着いた場合はどうなるんですか」

「それは俊輔、品物と人が揃ってなければ遊びの趣旨に反するから、引き分け勝負なし、だな」

「ええええ!?」

 ――ここまできてそれはない!

 この瞬間、全員の気持ちが一つになった。

「来島翁、しばらく!」

「じい様、待った!」

「来島さん、ちょっと待ってください!」

「ん? 何じゃあ?」

「「あ――――――!!!」」

 絶叫する七人の前で、無情にも来島の足が敷居を越えた。

 同時に揃ってその場に倒れこむ。

 鎧が、ずしぃぃぃん、と地響きを立てて床に落ちた。

「何じゃあ、おのしら?」

 屍のようにぴくりとも動かない面々に、一人事情を知らぬ来島だけが、豪快に笑って言った。

「良く分からんが、飲むぞ! とっておきの酒を持ってきた」



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