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花綴り  作者: つま先カラス
第一章 江戸
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第13話 ベインとの再会

 凍り付くような朝晩の冷え込みも、薄紙を剥がすように徐々に和らぎ、固く閉ざされていた桜の蕾もふくらみ始めた。しかし、待ち望んでいた春の到来も、ここ長州藩邸にたちこめる重い空気を吹き飛ばすほどの力はないようだった。先月来の桂・伊藤に対する幕府の沙汰が未だ下りていないことに加え、さらに藩邸を揺るがす報が国元から届いたのだ。

 それは、薩摩の島津久光が兵を率いての上京準備を進めている、というものだった。まだ噂の域を出ないが、中には、薩摩が討幕の戦を始める気ではないかと疑う者もいて、邸内はいつになく殺気立っていた。

 顔を合わせれば喧々囂々と意見を戦わせる藩士たちの輪には入りづらく、草月は一人本を読んだりして過ごすことが多くなった。

(正直、戦だのなんだの言われても、全然ぴんと来ないし……。今は多分、一八六二年のはずだから、大政奉還まであと五年もある。きっと薩摩が兵を挙げても成功しない)

 それとも、草月が知らないだけで、戦は起こるのだろうか。

 答えはいつも堂々巡りだ。

 そんな折だった。

 ベインから手紙が来たのは。

 ベインとは、女将の一件以来、時々文のやり取りをしていたが、草月が藩邸に来てからも、花菱を介して断続的にそれは続いていた。中に目を通すと、近々品川に行く予定があるので久しぶりに会わないか、という誘いが綺麗な文字でしたためられていた。

 実はこの時、ベインたちイギリスの領事館員は、横浜にある外国人居留地へと居を移していた。攘夷志士による東禅寺への襲撃を受けた結果である。しかし、江戸から離れた横浜では、幕府との連絡に時間がかかるなど、何かと不便が伴う。諸外国からの強い要請を受け、幕府はやむなく各国の領事館を江戸のひとつ所にまとめ、警護しやすくすることにした。その領事館建設の候補地となったのが、品川にある御殿山である。

 ベインはその視察団の一員として江戸に来るのだ。

(会いたい……けど、本当に行ってもいいのかな)

 ただでさえ、今、藩邸には奉行所の目が光っているのだ。加えて、ベインたち外国人には、いつも護衛という名の監視がついている。役人に目をつけられている草月としては、どうしても躊躇してしまう。

「お断りした方がいいでしょうか」

 悩んだ末、無理を言って桂に相談をもちかけた。久しぶりに会う桂は、随分と疲れた様子で、こころなしか少し痩せたように見えた。

「しかし、君の事情は向こうも知っているんだろう?」

「はい。視察の後で相模屋に遊びに寄るから、そこで会おうってことでした。お花ちゃんの部屋を使わせてもらえば、人目を気にせずにゆっくり話が出来ますし」

「ふうむ」

 桂は顎に手を当ててしばらく考え込んでいたが、

「そういうことなら、大丈夫だろう。行って来ると良い」

「えっ!? 良いんですか?」

 思わず前のめりになった草月の驚きようがおかしかったのか、桂はちょっと笑った。

「そんなに驚くことか? 君には迷惑をかけたからな。楽しんでおいで」

「ありがとうございます! 絶対に怪しまれないよう、気を付けますから」

「ああ。ただ……。この誘いが、薩摩が動いたこの時期に、というのがいささか気になるがな……」

 独白のように呟いた桂の言葉の意味を、この時の草月はまだ知らなかった。


                       *


 さて、約束の日。

 ぐずぐずと降り続いた冷たい雨もようやく止み、その日は春らしい暖かな日和となった。ここしばらくの気鬱を晴らすような明るい気分で相模屋へ出かけて花菱の部屋で待っていると、

「ミス・ソウ! お久しぶりです!」

 流暢な日本語と共に、洋装の紳士が顔を出した。

「お久しぶりです! ジュードさんも、お元気でしたか?」

 夏に会って以来だから、ほぼ半年ぶりだ。嬉しそうに駆け寄って来たベインは、随分と可愛らしくなりましたね? と、草月の袴姿に軽い冗談を飛ばして、それから、流れるような動作で、ふわりと咲いた桜の一枝を差し出してきた。

「あ、ありがとうございます。きれいですね……、これ、御殿山の桜ですか?」

「はい。女性に会うのに、花の一つも用意しないのは紳士ではありませんから」

 澄まして言うのに、あははと苦笑で返して、工事は順調みたいですね、と外へ視線を向けた。

 明けた障子の向こうに見える御殿山には、薄く色づいた桜の間から、無骨な土台の骨組みが見え隠れしている。

「でも、友達のお花ちゃんが、江戸のみんなの楽しみを取り上げるなんて、って言って怒ってました」

 御殿山は江戸でも有数の桜の名所で、外国の領事館を建てることには江戸市民からかなりの反対があったそうだ。

「私も、できれば江戸の皆さんと桜を楽しみたいのですが……。歓迎しない客人が来ると、我々も困りますからね」

「ああ……。確かに、その機会に襲ってやろうと考える人がいるでしょうね」

 その筆頭にあげられそうな面々が即座に頭に浮かんで、心の中でため息を付く。

「私とジュードさんみたいに、日本も外国も、仲良くできればいいのに」

「ええ、本当に。……ですが、現実は厳しいものです。現に、薩摩が兵を挙げる動きがあるとか」

「良くご存知ですね。長州藩邸でも、そのことが話題になってます」

「――では、噂は本当なのですね?」

 ベインの目がきらりと光った。

「長州も、兵を挙げるのですか?」

「さあ……。薩摩に後れを取ってたまるか、って息巻いている人は大勢いますけど、藩としての方針がどうなのかまでは……」

「あなたの見た感じでいいのです。戦か否か、どちらが優勢のようですか?」

「そうですね……」

 やけに食いついてくるなあ、と思いながら考えて、――唐突に、桂の最後の言葉を思い出した。

「ジュードさん」

 自分でも、顔が強張っているのが分かる。

「今日、誘ってくれたのは、私から、長州の情報を聞き出すためですか?」

 ベインの青い瞳が、はっとしたように見開かれた。それが答えだった。

「私は、政治的な話は、本当に何も知りません。たとえ知っていても、あなたには話せない。やっぱり私は日本人で、長州にお世話になってて、その人たちを裏切れないから」

 まるで自分のものではないみたいに、固い声だった。

 鉛のような、重い沈黙がおりた。

「……So sorry, Miss Sou. 」

 ベインは深い憂いを湛えた目で真っ直ぐに草月を見つめ、ゆっくりと掠れた声で言った。

「本当にすみません。友人に対してする質問ではありませんでした」

 傷ついたような友の顔を前に、草月は言い過ぎたと後悔した。

「私こそ、すみません。失礼な言い方して……」

「いいえ。あなたの言ったことは事実です。私は、あなたから長州の情報が得られることを期待していた。けれど、初めてできた日本の友人と、また会いたかったことも、本当なのです」

「はい、信じます」

 その後は、互いの近況など、他愛ない話をして別れた。別れ際、

「次は、政治の話は一切抜きでお誘いします」

 と笑ったベインに、

「はい。是非。その日を楽しみにしています」

 草月も笑顔で返したのだった。




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