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クローバー(1)  作者: ディライト
第4章
9/10

第4章―(1)

「――え?」

 夕食のオムライスも平らげて、だらだらとゴールデンタイムのテレビ番組を見ながら談笑する。いつもなら。

 でも言うしかないと思った。決心したその時に口に出さなければ、多分ずっと塞ぎっぱなしだと思ったから。

「そろそろうちを出てもいいんじゃないか――って思ってさ」

「えぇぇ! なんでなんで!?」

 俺の突然の提案に、二葉が机に手をついて異議ありの構え。

「な、なんで急に……?」

 一葉もかじりかけの煎餅を手に理解できないという表情をこちらに向けた。

 俺は努めて明るい様子で答える。

「ほらさ、やっぱり限界あるんだよなー。嘘つき続けてわざわざ同居生活隠すくらいなら、葵に話してお任せしたほうがいいと思ってさ」

「……葵さん、かぁ……」

 三葉が頬を染めてお茶を啜る。どうやら葵とも家族ぐるみの付き合いはしていたようだ。嫌がっている表情ではないし。

「……ダメ、葵には迷惑掛けられないよ」

「どうして?」

「私はずっとずっと葵に迷惑掛けてきた……。もう大丈夫だって……、だから葵が苦しんでいたら次は私が助けたいって……そう思ってるから」

 一葉は湯呑みに注がれているお茶をぼんやりと見ながら、葵への想いの丈を語る。お互いに同じような事を話す二人の関係や過去の事はいまだによくわからない。ただ詮索したりもしない。友達同士でも隠し事はある。さっき葵がそう言ってたっけ。

 しばらく冷たい沈黙が居間に落ちる。テレビから鳴り響く人気お笑い芸人のコントも今となっては寂しいばかり。

「ハルキハルキ! アオイんちより、こっちのほうが小学校近くて通いやすいんだけどな〜!」

 沈黙を打ち消すように二葉が頭をかきながらおどける。というかまたお前は年上に向かって呼び捨てかい。

「――私、やっぱり迷惑かな……?」

 そこに一葉の呟く声。

「ち、ちがうよ! そうじゃない! ただ俺は、友人にも嘘ばっかりで息苦しい毎日にストレスを感じてるんじゃないかって――」

「ストレスなんか感じてない!」

 慌てて弁明する俺の言葉に被せるように、一葉は張り上げる声と同時に勢いよく立ち上がる。同時にテーブルの上の湯呑みが二つ倒れる。

「え、え? ちょっとちょっとなんで急にケンカになっちゃうの……?」

 ただならぬ空気を感じとったのか、二葉が困ったように慌てて倒れた湯呑みと零れたお茶を片付けようとする。三葉も驚いたように部屋の角で小さく体育座りしながら震えている。

 一葉は掠れるような低い声で「ごめん……」と一言謝ってから、崩れ落ちるように再び座布団に腰を落とす。

「ストレスなんて……感じてないよ……。感じるわけ、ないのに……」

 そう吐き捨てるように呟いた。俯いていて表情は見えない。流れるような髪も今は乱れている。

「私は…………あの時、ハルキが言ってくれた……――」

 徐々に薄れて行く声で後半は俺の耳には届かない。

 ……一葉は嫌がっている?

 葵のお世話になることをこんなにも嫌がるのは何故だろうか。

 お互いに助け合いたいと想い合っていることは確かなのに。

 俺は一葉にとって良いことであると思ってこの話を持ち出した。それは今でも変わらないし正しいと思っている。一葉達には少しの苦労も感じさせたくない。だから、気の知れた葵の元に行けば、周りの目も気にすることもなく楽しく幸せに笑って過ごせる。そう思ったのに。だから何故一葉が怒ったのか。哀しそうにしたのか俺には理解できなかった。

「――ううん、ごめん…………わかったよ。二、三日で荷物まとめてここから出ていく……ね」

「……お、おう……わかった。葵に……話しておくよ」

 目に見える程に肩を落とし、諦めるような口調でそう言い残して、先程の夕飯の洗い物を片付けに席を立った。結局一葉は俺の急な提案に了承した。一葉の意見も聞かず、多少無理矢理にだったが、これでいいと思う。嫌われたっていいんだ。

 そう思っていたはずなのに一葉から家を出ていく旨を聞いた途端、俺の中の先程から発生していた得体の知れないどす黒い靄が大きくなった気がした。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 週のど真ん中。ただでさえやる気がない上に昨日あった一連のやりとりで心身ともに衰弱。快晴の朝に草野家の食卓だけは葬式状態。今にも木魚の音が聞こえてきそうな中、二葉はもちろんの事、三葉までも気を利かせて気まずい二人に話を振ろうとしてくれていた。しかし会話は一言二言上の空で返すのみ。二人の箸は見えない何かを掴めずにいるように宙を旋回している。居心地の悪さからか、朝食当番ではなかった一葉は早々に二葉と三葉を連れて家を出てしまった。まるで夫婦喧嘩で妻が実家に帰ってしまうのを見送る夫のように、掛ける言葉もなく、俺はその様子を未練がましく眺めているしかなかった。

 諦めて家を出れば大層心配してくれるおばちゃんに捕まり、ああだこうだ言い訳している内に完全に遅刻。もし今おみくじを引いたなら、見事に大凶を引き当てることが可能であろう。

 更には喧嘩中であることは学校でも同じ。擦れ違っても以前の輝く笑顔を向けてくれる事もないし、俺の名を呼んでくれる事もなかった。そしてそんな様子はどうあっても他のやつに感づかれてしまうのだった。

 

「なんでそんなに極端なんだ?」

 休み時間。

 俺がふて腐れて机に突っ伏していると、来なくてもいいのに佐久間が不在の前の席に腰掛ける。

「どうせまた寝てないんだろ?」

「……うるへー」

 俺はまた観念してどんよりした顔をあげる。佐久間は俺の顔を見るなり溜め息をついてくれやがる。どうやら俺と一葉の様子が違うことを早々に気づいたようだ。

「頼むから、碧原をあんまり悲しませないでやってくれよ」

「悲しませたくて悲しませたわけじゃねえ。俺は良いことと思ってしたことだったんだ」

 なのに……。俺は教室の黒板近くで葵と花咲と笑い合いながら楽しそうな一葉を見る。どうやら俺以外とは普通に接しているようだ。

 

 ――私は……あの時ハルキが言ってくれた……。

 

 昨日の一葉の言葉がふいに思い出される。表情は窺えなかった。今の表情からも何もわからない。一葉が何を言おうとしたのか。俺は一体何を言ったのか。また、それはいい言葉なのか悪い言葉なのか。もう頭の中はこんがらがった毛糸のようにぐちゃぐちゃだ。簡単にはほどけてはくれない。

「俺はあの娘の悲しむ顔は見たくないんだよ……」

 佐久間は憂いを吐き出すように言って席を立っていった。

 こいつも何故一葉にそこまで気にかける? 今までも接点なんてなかったはずなのに。まさか佐久間のやつ……一目惚れか?

 遠ざかる佐久間を見遣ると、相変わらず女子たちの振る手に愛想よく答えていた。

「……まさかな」

 

 昼休み。俺は飯も食わずして、ケータイの画面と睨めっこしていた。葵に一葉の件で事情を説明するためだ。当初は直接言うつもりだったのだが、学校では常に一葉・葵・花咲の豪華なスリートップを形成しているため、声を掛けにくい。そのためこの件について葵にメールで説明しようと、文字を考えるままに打ち続けていた。

「こんなもん……か……」

 既に文章は完成している。一葉が火事被害に遭ってたまたま居合わせた俺が匿ったこと。その流れで、一週間ほど同居生活をしていたこと。そのことについて黙っていて申し訳なかったということ。今後は一葉たちをお願いしたいということ。

 後は携帯の送信ボタンを押すだけなのだ。ただ、もう昼休みも終わりを告げようとしている。要するに、昼休み中ずっと送信ボタンを眺めていただけなのだ。理由はわからない。ボタンひとつでこの件ついては終わりなのに。一葉たちはそれで何のしがらみもなく暮らせる。それでいいはずなんだ。

 なのに、俺の親指は指定位置を触れることも許さない。まるで見えない何かに指を押さえ付けられているように。時間は待ってはくれないし、戻すこともできない。あの時何も言わずにいれば、ずっと平和で穏やかな生活が続いていたのかもしれない。もう一度時間をやり直す事ができればいいのに。

 色々なことに頭を悩ませて、結局昼休み中にメールが送信されることはなかった。もうこうなったら放課後に葵のバイト先に直接告げに行くしかないな。

 一葉たちのためなんだ。これは。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 午後の授業も耳から耳を一直線に通り抜けて行き、頭で展開されるのは一葉のことばかり。

 帰りのホームルームも終えて、各々自分の目的を果たしに学校を去っていく。一葉はどうやら俺が思案している間に帰ってしまったらしい。いつもなら一緒に帰るという手筈を事前に取っておくのだが、今日はそれもしなかった。というかできる雰囲気でもなかったのだが。様子のおかしい俺に気を利かせてくれた筑紫と佐久間の誘いもうっちゃってしまったし。

 仕方ない。俺は机の横にかけてある学校指定の鞄を半ば強引に剥ぎ取って、すっかり静かになった教室を後にした。昼間は青色に染めていた空も、だんだんと橙色に変わっていく。廊下の壁もその光が反射して、夕焼けのように塗られているようだ。

 帰り際、昇降口前にあるお知らせ用掲示板を確認してから下駄箱へと向かう。

「やっときた」

 いつの間にか俯いていた顔をあげると、出入口の前で寄り掛かりながら声を掛けてきた花咲を見つけた。花咲は夕陽に照らされていて、ふわっと広がる髪の毛が赤く見えた。溜め息混じりにぶつけた言葉には、どこか優しさも感じられる。

「……花咲、誰か待ってんのか?」

「あなたを待ってたのよ! まったく、三十分も降りて来ないとはね……」

「……へ、俺?」

 間抜けな声が出た。花咲が俺を待っていたという事にも驚いたが、なにより俺は三十分も教室で黄昏れていたってのか。

「そ。ほら、ちょっと話あるから来て」

 花咲はそう言うと、俺の腕を引っ張ってまた校内へと戻っていく。

「お、おい花咲! ちょ、どこ行くんだ!?」

「屋上」

 平淡に答える花咲の後ろ姿を眺めながら、俺はされるがままに屋上へと連行された。

 

「ふう、さてと……どうしたの、あなたたち?」

 屋上に設置されているベンチへと座らされ、花咲もその隣へ腰かけると突然あの話を切り出される。

「どうしたとは?」

 俺は平然を装って返す。

「惚けないでもわかってるの。あなたたちケンカでもしたの? この間はあんなに仲良くデートしてたのに」

「デートじゃねえし、一葉の妹たちがいたのも覚えてるだろ」

 生温い風が俺達の間を突き抜ける。

「そこに突っ込むの……。そうじゃなくて、なんでケンカしてるのよ」

「別に関係ないだろ」

 素っ気ない言葉をぶつけると、花咲は真剣な顔を近づけてきた。

「関係あるわよ! ……あの娘、休み時間とか一緒に話していてもどこか上の空だし、ちょくちょくあなたのこと見てた。その癖擦れ違ってもいつものように言葉を交わさないし……」

 どうやらバレバレなようだった。まぁ筑紫や佐久間にも悟られていたぐらいだしな。でもやはり一葉もずっと気にしてくれているようだと知ると、少し心が楽になる。

 うちに留まりたい、この生活をやめたくない、そう思ってくれているだろうって事は一葉が怒った時から薄々感づいてはいた。何故かはわからんが。でもそう思ってくれるのは素直に嬉しい。でも、このままの生活で不利益が働くとしたら俺にじゃない。一葉にだ。男の家に居座ってただの、変な誤解が噂に転じて、そうなったら一葉はまた独りになる。そうさせないためにも一葉達にはうちを出ていってもらう。それが最善の方法なんだ。

「だから、どうしたらあなたたちが元に戻ってくれるかって思ったのよ」

 花咲は真剣な顔つきで俺と顔を向き合わせている。普段の物静かなクールっぷりは今は薄れていて、真摯に俺達のことを心配してくれているようだ。

「……なんでそんなに俺達を気にかける?」

「前は面白いそうだから、なんて言った気がするけど、今は一葉のため」

 前にみんなで昼飯を食べていた時花咲が言ってたことだ。葵に聞かれてぶっきらぼうに答えていたが、あれは俺達のことを言っていたのだろうか。

「見たくないのよ……あの娘の悲しい顔」

「……一葉と花咲って、このクラスが初対面じゃなかったっけ?」

「そうよ。なんで?」

「いや、まだ出会って一週間も経ってないのに、すごく仲良くなったなって……」

 俺がそう言うと、花咲は俺から眼を離して赤く彩る空を見上げた。そして、

「似てるのよ一葉は。私と」

 そう一言漏らしてから、再びこちらに眼を向けた。その眼は「話さないと帰さないわよ」と言っているようだ。

「それに、一週間も経ってないのはあなたも同じでしょ?」

「……わーかったよ。話すよ。できる範囲でな」

「それでいいのよ」

 ふふんと鼻を鳴らして、花咲は俺が話し始めるのを待っている。

「全部は話せないぞ?」

「それでいいのよ」

 同じように、でも今度は優しく答えて早くなさいと促す。

「じゃあ相談として聞いてくれ。俺は一葉を助けたいって思ってる。訳あって一葉のことを知ってから、幸せであって欲しいって望んでる。でも今はその幸せを邪魔するネックな問題があるんだ。それが俺だ。俺から離れれば一葉にネガティブな問題なんてなくなる。だから一葉に現状を変えるある提案をしたんだ。でも一葉にとってそれは嫌なことだったらしくて……でも一葉は嫌々ながらにも了承してくれた。そして現在この有様。そして俺はこれから現状を変えるために向かう所だったんだ」

 どう思う? なんて二の句には告げない。あまりに漠然としすぎていて解決策を聞き出すなんておこがましいにも程がある。

 花咲はボーっと前だけを見ていた。

「あなたは?」

 ふと耳に入ってきたハスキーな声。

「俺?」

「そうよ、あなたはどう思ってるの?」

 急に花咲から突き付けられる選択という名の剣。

「だから俺は、一葉が幸せになるなら――」

「そうじゃない。一葉があなたの元から離れて、あなたはそれでいいの?」

 花咲の剣はそのまま俺の鼻先へと向けられる。


 俺。


 俺は一葉があの家から出ていってしまうことをどう思っているのか。

 ずっと一葉が笑って過ごせるならそれでいいと思ってた。

 それは今でも変わらない。

 不変の想い。

 では俺自身は?

「あなたのそれは、彼女にとって決して幸せなことだって思わない。彼女が感じる幸せは、彼女にしかわからないのよ」

 いい聞かせるように言う花咲の言葉によって、先程からぐちゃぐちゃに絡まっていた毛糸のような黒い靄がだんだんとほどけていくように感じた。

「……お前、俺らについてどこまで知ってるんだ?」

 なにもかもお見通しな彼女は、京美人のような落ち着いた笑顔を向けて、

「さぁね」

 と曖昧な答えを置き土産に帰っていった。満足そうなその背中はどこか大きくて頼もしささえ感じた。

 

 

 俺の足は現在スーパー南田へと向いている。

 形だけは。

 

 ―――あなたはどう思ってるの?

 

 花咲の言葉が頭にこびりついて離れない。一葉を匿ったあの時は、まさか生活を共にすることになるなんて夢にも思わなかった。おばちゃんの有り得ない提案から始まった新たな生活。俺の無色で透明な毎日に彩りが加わった。

 最初は面倒臭いと思っていたさ。彩りなんかもいらないし、透明のままどの色とも混ざる必要はないって。でも一葉達が来てからの一週間、悪くねえって思い始めてた自分もいた。家に帰れば待っていてくれる人がいる。賑やかな食卓がある。自分に向けてくれる笑顔がある。


 そうか、簡単なことだった。

 

 助けられてたのは俺の方じゃないか。

 

「あれれ? ハルくんまたきてくれたんだっ!」

 いつの間にか南田へと足を踏み入れていたらしい。葵は俺を見つけるなり花火のように笑顔を咲かせる。

「お、おう。話あんだけどさ……終わったら話せないか?」

「おっけー! もうちょいで終わるから待っててくれい!」

 

 もう答えは決まっている。

 

「おまた〜! なんだい話って? ……一葉のこと?」

 もう辺りは暗くなってきているのに、葵だけは光を帯びながらこちらへ小走りでやってくる。しかし俺の表情を見て、何やら察したらしい。

 何も言わずに頷くと、葵は「よし、では行こう!」と冒険家の如く大きな一歩目を踏み出す。

「なんか一葉とケンカしてるみたいじゃん? どしたの?」

 早速本題に移す葵。というかやっぱり誰の目にも明らかなのね。

「この間、話したこと」

「ん? この間?」

 葵はオウム返しで首を傾げる。

「一葉のピンチを独り占めしないで――ってやつ」

「ああ、あれね! なんだい話してくれる気になったのかい?」

「それなんけど、ごめんな。独り占めしてるつもりでもないし、お前が誰よりも一葉を気に掛けてきたってのもわかってる。でも――」

 一拍置く。葵は表情を変えずに俺の第二声を待っている。

「今回だけは、俺と一葉の問題なんだ。俺が一葉を助けたいんだ。俺もあいつに助けてもらったから。スマン……でも、一葉への気持ちは俺もお前も同じだと思うから」

 これが俺の答えだった。一葉がとか葵にとかそんな言い訳で固められた物ではない俺自身の気持ち。俺がどうしたいのか。

 俺は嬉しかったんだ。そして楽しかった。

 まるで家族のような温もり。

 非日常も悪くない。失いたくない。そう思ったから。

 だから葵には任せない。同居の件も言わない。

 エゴだと思う。でも一葉の幸せを勝手に推し量ることもまたエゴなんだ。

「…………そっか。わかった! 今回はハルくんにお任せしとくかっ!」

 そう言いながら葵は俺の両肩をばんばんと叩いてくる。

「ただし! 泣かせたら承知せんぞ! はっはっは!」

 どこぞの社長のように腹の底から笑う葵。

「おう、まかせとけ」

「ふふ、じゃあ明日学校で会えば元通り、だねっ!」

 まるで百メートル先の人に手を振るようにして、いつもの太陽のような笑顔で葵は帰っていった。

 

 

 本当にどうしようもないな。

 あれだけ平凡なぬるま湯が大好物だったっていうのに、いつの間にか刺激的な熱湯じゃないと満足できなくなってるんだから。

 結局これまでの俺はなんてことない、ただの強がりで、意地っ張りで、寂しがり屋だったのだ。

 

 我が家への帰り道、俺は今の正直なこの気持ちを一葉たちに告げることを決めた。わざわざ一時間以上も寄り道して、手土産を確保してまで。正直、大変面倒なことをしたとは思う。こんな時でもこんなことを思う性格は俺のどうしても治らない癖のようなものなのである程度はしょうがない。折り合いをつけていくしかない。でも、失いたくないものがあるとき、それを「まぁいいや」で済ませて置けるような薄情者にはなりたくない。

 すっかり暗くなった少し不気味な上り坂を踏破して、俺は見飽きたボロアパートを眺める。

「あれ……?」

 地上と二階を繋ぐ鉄製ボロ階段に向かう途中、ふと俺の部屋の窓を見上げてみると、部屋が暗闇に包まれている。

 一葉は俺に気を遣ってどこかで寄り道をしている可能性も無きにしも有らずではあるが、二葉と三葉はとっくに下校して我が家に帰宅している頃合いである。

 胸の底のほうで何かがざわつく。

 嫌な予感がして壊れるほどの音を立ててボロ階段を上がって行く。

 少し立て付けの悪いドアをこれでもかというほどに抉じ開けて、中へと入る。

「ヒトハ!」

 部屋は暗闇に塗られ、人の気配はしない。

 直ぐに玄関とキッチンの電気をつけて、辺りを見渡す。

 人の気配がないと見るや見慣れたキッチンを横目に居間へ。

 居間の中央にぶら下がる照明を乱暴につける。

 

『出ます』

 

 暗闇を追い出して、部屋が照らされる。

 そしてすぐに目に入ったのは、居間の四角いテーブルの上に佇むように置かれていた少し汚く殴り書きされた無常な三文字の置手紙だった。

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