Brake
「ただいま〜」
学校を終え、帰りに一葉と夕飯の材料を買いに行き、我が家に到着現在十八時前。学校は四時前に終わり、平常通りであれば一度家へ帰って自転車を走らせ、麓の小さなスーパー南田でさっさと材料調達を終えて、五時前には家に着いている頃合いである。しかし一葉は、
「え、このまま行ったほうが早くない?」
と俺の数少ない楽しみである放課後サイクリングロードをあっさり棄却して、麓の小さなスーパー南田……ではなく、その向かいの大型ショッピングモール「ハナオカ」へと足を向けた。何故かと言えば、スーパー南田には約束を交わしあった友人がいるからだ。約束の共有というものは、お互いを信じようとする心から生まれるもの。葵は何やらバイトをしている事を親友の一葉にも話していないようだし、まあたとえ俺がこの事を一葉にばらしてしまったとしても、あの葵が腹いせに俺の一人暮らし情報をどこぞのB級ドラマよろしく公にしたりはしないだろう。それに葵はそんな約束抜きでも友達でいたいと思っている娘だ。ここは現場から離れた方が無難だろう。おっと、今は一人暮らしじゃなかったな。
まあそんなわけで、俺はスーパー南田の存在は言わず、ハナオカへと自然に歩を進めたのだった。
ここまでは良かった。一葉の言う通り、時間短縮という点では一度家に戻るよりは格段に早い。それはまぁ前からわかっていたことではある。しかしハナオカに着いてからが問題だった。
とにかく買い物が長いことこの上ない。一葉の買い物は、それはもう東京の各駅停車のように各コーナーでその都度止まっては色々な物に興味を示す。そしてまるでアイスクリームを買ってほしい子供のようなウルウル輝く瞳でこちらを伺ってくるもんだからたまったもんじゃない。特に洋服コーナーではあれやこれやと試着を繰り返していたために、いい加減げんなりしていた俺はついついこう言うしかなかったのだ。
「あ、明日は休みだからさ! また四人で来たときにしようぜ!」
……まぁ仕方ないさ。一葉たちの可愛かったであろう持ち服は全てエージェント御用達の黒服、……いやまあ悪く言えば炭と化してしまったわけだし、女の子が洋服に興味ないわけがない。制服も買い替えなければならないわけだし。
ああ、俺の怠惰で平穏で平和で淡々とした休日が……。
そんなことを頭の中で呟きながら、洋服コーナーに居座る一葉を無理矢理引きはがして帰って来て、現在こんな時間である。というか学校から直接来ると帰りがきついことにも気づいてしまった。どっちにしろ変わらないのかもしれないな。
「ヒトハハルキおかえりー!」
今だ貸している俺のロングTシャツを揺らし、頭の上で音符マークを浮かべているようなテンションで二葉が出迎えてくれる。
「ちゃんと留守番してた?」
「うんしてたぞー! お昼にオオヤがなんたらごぼーとかいうの持ってきてくれた!」
にひひとはにかみピースサインの二葉。おばちゃん呼び捨てかよ。というかそれ名前じゃないぞ。
「ミツバー起きろー! ごはんだぞー!」
靴を脱ぎ、台所脇を通って居間に行くと、先程まで寝ていたらしい三葉が二葉に起こされ、眠そうな眼をこすっていた。
「……耳元で大声ださなくても……聞こえてる……。……おかえりなさい」
少し機嫌が悪そうに二葉を一瞥した後、こちらに気づいて三葉は少し頬を緩めた。
「ただいまミツバ。眠くなっちまったか?」
「……ん、大丈夫……」
三葉は軽く下唇を噛んで今だ眠そうな眼で遠くを眺めながら答える。女の子座りでうとうとしている姿はまるで子猫のようだ。
「へへー! ミツバはごはんの事言うとすぐ起きるんだーくいしんぼー」
「それはフタバだろ! フタバカ!」
「あー! フタバとバカをくっつけたー!? それならミツバはミツバカだ!」
「なにをー!」
またしょうもない小突き合いの喧嘩を始める二葉と三葉。まぁ三葉が年相応になるのでこれはこれで面白い。二葉は小六にしては少し子供すぎるが。
「今日は私たちが夕飯当番だよね」
「おう、そうだな〜。じゃあ悪いけど宜しく頼むわ」
二人の小突き合いは無視して、一葉が腕まくりをしながらやる気に満ちた表情を見せてくる。そういえば、女の子からの手料理なんて初めてだな。これは役得役得。
「おっけー! じゃあミツバお願いね〜」
「え?」
三葉は二葉を攻撃していた小さいグーの手を解き、こちらに振り向いて小さく頷いた。
「お、なんだ三葉はお手伝いかあ。偉いな〜」
「私がお手伝いだよ」
お手伝いという言葉が発せられたのは、相変わらず眠そうな眼でふらふらと台所へ向かう三葉ではなく、俺の隣で綺麗に切り揃えられた爪が張り付く人差し指を自分に向け、満面の笑みで立つ一葉であった。
「は!? 三葉が作るのか!?」
「そ!」
語尾にハートでもつきそうなほどに可愛く答えて、「ミツバ〜、私なにすればいい〜?」などと言いながら三葉の方へ向かっていく。
三葉って料理できるのか! 何から何まで大人びてるな。というか末っ子って甘えん坊だとかとなんかの本で見た気がするんだが、全然そんなことないんだな。俺なんかよりもずっとしっかりしてるわ。
そんな事を考えながら、手持ち無沙汰になった俺は、ふと遊びの相棒を失って同じく暇という宝を手に入れた二葉と眼が合った。
「……二葉はお手伝いしないのか?」
「だって手伝うとミツバがうっさいんだもん! フタバは食べる係ーとかいってのけ者にするんだ!」
大体想像はつくけどな。
「……フタバはすぐ余計なことするから……」
「この前だってちょっとミツバの顔にお塩ぶっかけちゃっただけじゃん!」
それは誰でも怒ると思うぞ。三葉の素っ気ない指摘に二葉は頬を膨らませ、台所で手際よく野菜を洗っている三葉の後ろ姿を睨んでいる。
「そうだフタバ、ちょっと外散歩しにいくか?」
ここでテレビ見て笑ってるのも欝陶しいだろうしな。
「え、ホント!? 行くー!」
頬に膨らませていた風船を一瞬で割って、猪も顔負けのタックルで抱きつく二葉。胡座を掻いていた俺は少し後ろにのけ反って、二葉の体重ごと堪える。
「もう暗いけど今日は晴れてるし、もうちょい上に行けば星が見えるかもな」
「星かー! 綺麗か!?」
「そりゃあもう」
「おおお! 行こ行こー!」
二葉は勢いよく立ち上がって、俺の手首を掴みぐいぐいと引っ張ってくる。
「おぉおいおい、そんな引っ張るなって。つうわけでヒトハ、ちょっくら行ってくるから」
「はーい、七時までには戻って来てね」
一葉は肉を切りながら、目が離せない代わりに声だけかけてくれた。
「ハルキはーやーくー!」
「ちょ、待てまだ靴履けてない!」
◇◇◇
「おおおおおわあああ! すっごいきれーだー!」
通学路とは反対側の坂を少しのぼって行くと、車のすれ違いスペースが設けられている所がある。そこだけは空を隠す木々がなく、麓の町並みも一望でき、上を見上げればそこはセルフプラネタリウムだ。
「どうだフタバ、綺麗に見えるだろ?」
「うんうん! すっごいすいこまれそー!」
これ以上首が曲がらないほど上を見上げ、二葉の無垢な輝く笑顔は夜空の星々にも負けないほど綺麗に見える。姉に似て、整いすぎている顔の造形は、暗い中でも確認できた。そういえば、星をまじまじと眺めたのはいつ以来だろう。よく小さい頃、親に連れられて星を見に行った覚えがある。当時の事はあまり記憶にないが、その時に見た流星群の映像だけは今でも頭に焼き付いている。二葉の言う通り、不規則に流れる流れ星が、俺を吸い込んでくれるようなそんな錯覚。
「……フタバ、流星群って知ってっか?」
「りゅーせーぐん?」
「流れ星は知ってるだろ?」
「うん!」
「その流れ星が、シャワーみたいに夜空を彩るんだ」
「シャワー!? それってすごい数なのか!?」
「数え切れないほどさ! お願いだってたくさん流れれば三秒なんて関係なしだ」
「すげー! 見たい見たい!」
「今度四人で見に行くか?」
「おお! 行きたい行きたい! いつ見に行く!?」
「そうだな〜、結構周期的に見れるらしいから、今度調べておくよ」
「そっか! へへ〜楽しみ〜! ハルキ好きだぁ〜!」
何故この流れで好かれるのかはわからなかったが、二葉は大層嬉しそうに俺の腕に抱っこちゃん人形のように抱きついてくる。へへ〜と独特にはにかむ笑顔につられて笑ってるしまうのは、二葉の天真爛漫な人懐っこい性格が成せる業なのだろうか。そのままの状態で俺達はしばらく星を眺めていた。春の少し冷たい夜風が肌を擽る。傍から見ればロマンチックなカップルにも見えるかもしれない。いや、どちらかと言えば仲の良い兄妹、はたまた身長差があるので関係良好な親子というところだろうか。
……流石に兄妹で腕組はないか。
そんな事を考えていると、二葉はさらに頭を俺の腕に埋ませてくる。
「…………きっとね、わたしだけじゃないんだ……。ヒトハだってミツバだって―――」
そしてふと囁くような二葉の一言。その言葉につられて二葉に眼を向けるが、表情は見えない。ただ腕に纏わり付く二葉の体温が少しあがるようにも感じた。いつものように白い歯を見せはにかんでいるのだろうか。ただ声の調子は、いつもの幼さを含んだ物ではなく、落ち着いていて、それでいて温かく、そしてとても優しい声だった。
「だってさ…………んーん、やっぱいいや!」
腕に付けていたおでこを離して、俺を下から蕩けるような笑顔で見上げる二葉。
「へへ〜ハルキもう帰ろー! おいしーごはんが待ってるのだ!」
「……はは、フタバも十分食いしん坊だな」
「えー、ちがうよー!」
いいからいいからとぐいぐい俺の腕を引っ張る二葉。それに引きずられながら、さっきの言葉を頭に巡らせる。
――わたしだけじゃないんだよ。
この言葉は一体どこに繋がるんだろう。二葉が見せたほんの少しの胸中。
ただ流星群が楽しみだというだけか、それとも……?
まだ出会って間もないのに、どうしてここまで信頼してくれるのだろうか。
この言葉に隠された意味を、この時の俺はまだ気づく事などできやしなかったのだ。
家に帰ると既に夕飯の用意は済まされており、何故か遅いと怒られてしまった。まだ七時回ってないのに……。でも、家に帰ると飯が用意されているなんて、いつ以来だろうな。なんだかジーンときちゃうな。
三葉と一葉の特製極上回鍋肉を平らげて、九時過ぎまでだらだらと居間のテレビを見ながら談笑。その後は部屋も分かれて各自就寝に向けて用意といったところ。特になんの問題もなくその日は終わるはずだった。俺はここ最近の急な状況変化のためか、布団でだらだらと小説を読み耽っていたが全く頭に入ってこず、そのままあっさり睡魔に主導権を握られてしまった。
「…………ルキ……」
遠くの方で誰かが呼ぶ声がする。
「……ハルキィ…………」
身体が揺すられて、俺は暗闇の世界から解放された。いまいち焦点の合わない眼を凝らして声のする方へ振り向くと、そこにはいつもポニーテールをおさげにしている筈の三葉が、さらっと流れる髪そのままに枕を大事そうに抱きしめながら立て膝を立てていた。髪を下ろすとそのままミニ一葉だ。
「……ん、ミツバ……どした? こんな時間に……」
時計に眼を向けると午前二時過ぎ。丑三つ時といわれる頃だ。
「……な、なんか窓が揺れてて…………」
「窓?」
そういえば俺の寝ている部屋には雨戸があるが、さらに奥の一葉達の部屋には雨戸がない。窓の建て付けが悪く、風や雨が強いと音を立ててかなり揺れる。向こうの部屋ではさぞ「お前も巻き込んでやる〜」と言わんばかりに窓が奇声を吐いていることだろう。
小学四年生にはまだ流石に怖いかな。
「ミツバ怖いのか?」
「え、や! 怖くなんかなくて、ちょっとうるさいなあと思って……眠れなくて…………」
そうか怖いのか。三葉にいつもの余裕はないようで、枕をぎゅーっと抱きしめ、あたふたと身体を揺らす。よく見れば震えているじゃないか。
「こっちはあんまりうるさくないけど……、俺が向こうに行くわけにはいかないし、ミツバがいいなら隣で寝とくか?」
自分の布団の隣を指しながら促すと、三葉は髪を大きく揺らして首を二回縦に振った。俺が布団を開くなり、逃げ込むように俺の右隣の布団の中に侵入を図る三葉。それにしてもさっきまでは気付かなかったが、かなり大雨だし風もあるみたいだな。
「……」
「……」
お互いに背を向けるようにして、無言の状態が続く。無言なのは寝ようとしているので当たり前ではあるが、変な時間に起こされてしまったため、妙に眼が冴えてしまった。隣の一葉たちの部屋ほどではないが、先程までは気にならなかった雨風の音も、今ではいやに耳に入る。
「…………ハルキ……もう寝た……?」
そんなことを考えていると、既に眠り姫になったと思っていた三葉が声をかけてきた。
「ん、まだ起きてるぞ」
「……そっか…………」
「……? おう、どした?」
布団の中でもぞもぞと動く三葉。
「………………て……」
「て?」
耳に入る一言では意味がわからなくてそのままに聞き返すと、三葉はまた口を紡ぐ。三葉は俺の後方で何やら深呼吸でもしているように背中を大きく動かしている。心なしか背中に感じる三葉の体温もやけに暖かく感じる。
「あの……手、繋いでて……いい……?」
「え? 手をか?」
「あ! やっぱりうそ! 今のなし――!!」
「――こうか?」
三葉が慌ててこちらに振り向いたのと、俺が仰向けにして手をとったのがほぼ同時だった。何かを言いかけていた三葉は俺が手を握るや一度驚くようにビクッとしたが、すぐに手を握り返してくれた。とても小さな手で、これ以上少しでも強く握ってしまえば折れてしまいそうだ。
「……ねぇ、ハルキは……」
「ん〜……?」
三葉はまた何かいい掛けて、そのまま続く言葉を口にしまう。迷っているのか、躊躇っているのか、三葉はしっかりと俺の右手を握りながら黙りこくる。
「…………あ……えっと……そだ、今日のごはん……おいしかった……?」
え、そんなこと? もっと重要な話を切り出されると思い、若干の拍子抜け感が否めないが、よく考えれば彼女はまだ小四の子供なのだ。少し大人じみた言動や行動で忘れがちになるが、可愛らしい様や怖がる姿だって見せる普通の娘だ。先程の二葉の意味深な言葉のせいで、また何か言われるのではと過敏になっていたらしい。
「お〜めちゃめちゃ上手かったぞ。いつから料理してるんだ?」
「……ん、小学校入学してすぐ……くらい……」
「まじかよ。そりゃ料理の腕もあがるってもんだな」
横に振り向いて三葉の顔を覗こうとするが、三葉は反対に向いていて顔は覗けない。ただ暗い中でもわかるくらいに耳が真っ赤に染められていて、どうやら照れている様子であった。
「……ハルキは……何が好き……?」
「料理か? たいていのモンは好きだけど、いやあでも今日の回鍋肉は最高だったなあ。大好物なんだ」
「…………そっか」
「おう」
「……じゃあ、毎日作る……」
「嬉しいけど、流石にそりゃあ飽きるぞ」
「……フフ……」
ようやくこちらを向いてくれた三葉は、頬をばら色に染め、少し遠慮するように微笑した。その大人びているようで、無邪気な様子も絡んだ笑顔は、暗い部屋の中でも輝いてみえるようだった。
「……おやすみなさい…………」
「おうおやすみ」
結局その後も三葉は俺の手を握りっぱなしで、普段にないシチュエーションにいまいち眠気を催すことができず、悠久の夜を過ごすことになるのだった。その隣で三葉は穏やかな表情を浮かべ、とても幸せそうに寝息を立てていた。
「……うん……むにゃ…………ソフトクリームおいひ……」
……どうやら二葉の三葉情報はかなり確かな情報筋らしい。




