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クローバー(1)  作者: ディライト
第2章
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第2章―(2)

 朝のホームルームも岩崎教諭の快活な声で締め括られて、五分後から始まる今年最初の授業の用意を各々始める。早速の一限は物理で移動教室のため、すぐにでも新たなクラスメートとお話に花を咲かせたい生徒にとってはとんだ誤算である。

「おーいハルっちゃん、次移動教室だろ〜? 行こうぜ行こうぜ〜」

 俺が机の中の教科書を漁っていると、筑紫が紫のマフラーと身体を揺らしながら佐久間も伴ってこちらへ片手をあげながらやってきた。

 どうでもいいけどそのマフラー、先生に注意されないのか?

「二人とも悪いな。先約が入ってるんだ」

「先約?」

 筑紫は黒縁メガネの奥で眼を見開く。

 なんだそのお前に他に友達いたっけ? みたいな眼は。

「ハルキ早いな。もう新しい友達できたのか!」

 佐久間が清涼飲料水のような笑顔で大層嬉しそうにしきりに頷く。いちいち人の行動に喜びを感じる奴である。まあ嫌ではないけどな。

「なんだよハルっちゃ〜ん! 水臭いな〜。俺達にも紹介してくれよ〜」

 筑紫は猫撫で声で気色悪くブレザーの袖を引っ張ってくる。

「おうそのつもりだ。だがこの移動教室だけはちょっと待ってくれ」

「なんでよ?」

「見せ付ける必要があるからだ」

 筑紫が再び疑問詞を口に出す前に、俺は席を立って行動に移す。幸いまだ半数以上のクラスメートがこの教室にいる。今が絶好のチャンスだ。俺は一つ大きく深呼吸をして、教室最後尾の席から先頭に座る一人の女子と側にいるもう一人の女子の背中に向かってこう叫んでやった。

「ヒトハ、アオイ! 次物理だよな! 一緒いこうぜ!」

 気だるさナンバーワンを決める大会があれば準決勝までは残る自信がある俺の精一杯の明るさで、教室中に響く声で言ってやった。クラスが変わったばかりでまだ教室全体がお互いを様子見している状態だったため、さほど騒がしいほどではなかった教室の空気はさらに冷却し凍結した。しかも俺が話しかけたのは学校でも随一のお金持ちと噂の一葉とその親友葵だ。しかも軽々しく呼び捨てである。江戸時代なら無礼者! と斬られても文句は言えないだろう。

 一瞬の無音が響く。

 笑顔状態の俺がそのままの笑顔でちらりちらりと周りを見渡すと、教室のクラスメート達は案の定呆気に取られていて、後ろでは筑紫と佐久間も大口開けて間抜け面。俺の声と同時に振り向いた一葉と葵もUFOでも見たかという表情でこちらを凝視している。

 なんだこの文化祭で一生懸命みんなで力を合わせて作った出し物を壊しちまった時のようなやっちまった感は。というか一葉も葵もボーッとしてないでフォローしてくれよ! 恥ずかしさと気まずさで俺のハートは口から大脱走を敢行してしまいそうだ。

「――――い、いいよハルキ! アオイも一緒に行くでしょ!?」

「……へ? ……あ、う、うんっ! 行く行く〜!」

 一時は何事かと呆けていた二人であったが、俺の意図を察したのか大根役者よろしく乗ってくれた。二人の了承を得たのを機に、俺は二人を連れだってそそくさと教室の外へ出る。それと同時に教室内がざわついたのがわかったが、今はそんなことはどうでもよかった。

「――ぷはあああ! 息するのも忘れてたぜ~!」

「……ハルくん? なんで私たちを?」

 胸の前で教科書を抱えながら、後ろをついて来る葵が申し訳なさそうに問い掛けてくる。

「……心配すんな、おまえらの新学期デヴィゥーは必ず成功させるから」

「ハルキ……」

「い、言っとくけど、俺の大声はかなりレアだからな。もう二度と聞けないだろうから耳に焼き付けとけ」

 もうあと五年はないというくらい目立った瞬間だったな。今だに胸の高揚が止まらない。もう大多数の前で大声張るなんて金輪際したくないね。でも俺なんかじゃこうすることくらいしかできないのだ。今自分が精一杯できることをやればいいのさ。

「……くく……あっはははは!」

 発電所は再び復活したのか、葵は溜まり溜まったパワーを吐き出すように吹き出した。

「ふふ……流石あたしのトモダチだねっ!」

「――そりゃどうも」

 どうやら一世一代の大勝負は成功したらしかった。


 飛んで物理の授業。初っ端から実験をするという暴挙に出た禿げた物理教師は、三人組を作って勝手に始めといてなどと教師にあるまじき適当さで何やら自分の作業に没頭している。

「ようしっ、ハルっちゃん説明してもらおうじゃん」

「え? 俺が物理苦手なの知ってるだろう」

「ああ、そっか! 忘れてたわ〜……って、その説明じゃない!?」

 息巻く筑紫は何とかナトリウムだかの何とかをピンセットでつまみながら突っ込みを入れてくる。

「じゃあなんだよ?」

「なんでチミは新学期開始早々からべっぴんさん二人侍らせているのかい!」

 言い回しが昭和だし、侍らせた覚えもないし。

「まぁ、何事にも関わりたがらないハルキが二人の女子を連れだって移動教室だもんなあ」

 考える人みたいに見せながら冷静に解説する佐久間。ていうかお前ら俺の事一体どう思ってるんだよ。

「まぁ昨日一日で色々あったんだよ」

「だからその色々ってなんだよ!」

 アルコールランプ持ってる手の指で犯人はお前だ! みたいに俺を指すな。仕方ない、アホなこいつらにも理解しやすいよう説明してやることにしよう。

「……例えばだ。オセロで俺の白駒がほとんど相手の黒駒で埋められてるとする。ただし逆転可能の四隅は開いてたんだ」

「なんだその解り難そうな例えは?」

「いいから聞け。そこでなんと何の因果か知らんが、俺の白駒が四隅全部に置かれたんだ。しかも順番無視で」

「ほうほう」

「するとどうだろう? 盤面の黒優勢の筈だった状況が全て白駒にひっくり返った! 大逆転勝利! やったね! ……これが昨日一日を表す最もわかりやすい例えだ」

 筑紫は少し思案するようにオシャレ気取りな黒縁眼鏡をあげてから、佐久間顔負けな涼しい笑顔を浮かべた。

「なるほど、全くわからん!」

「これ以上簡潔に説明することはできん!」

「まったく簡潔じゃねえじゃねえか! うやむやにしようったってそうはいかんぞ!」

 わあわあと筑紫と言い争っていると、佐久間はしたり顔で口を開く。

「それって、ハルキにとっては喜ぶべき出来事だった……ってことだよな?」

 たったの一日で毎日の平和で平凡な生活は一変した。満足してるつもりでいながらもどこか判然としない今までの暮らしにメスを入れたような出来事。俺は一体どう思ってるのだろう。

「…………どうだろうね」

 直ぐに答えを見いだせなかった俺は、少し苦笑しながらそう答えてやった。佐久間は俺の答えに満足しなかったのか、二の句を告げようと息を吸い込んだ所で授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 

 少し開いて昼休みの事である。俺は筑紫と佐久間と弁当を連れだって、一葉の席へと向かう。勿論目的は一つ、こいつらと仲良くなってもらって、クラスに一刻も早く馴染んで貰おうという魂胆だ。食卓……とは違うが、皆で飯をつつきあえばどうあっても仲良くならざるを得ないだろう。いわゆる完璧なプランってやつだな。

「ヒトハ〜、飯一緒食おうぜ〜」

「あ、うんいいよ!」

 俺が声を掛けた途端、振り向きざま大層嬉しそうな笑顔をくれる一葉。よほど誰かと飯食えるのが嬉しいのかな。

「こいつらも一緒にいいだろ?」

「どもども、筑紫正志でーす!」

「佐久間恵介だ。ハルキの友達なんだけど、一緒にいいかな?」

 相変わらずアホさを醸し出している筑紫と、落ち着いた笑顔で王子チックに問い掛ける佐久間。

「え! ……あ、は、はひ! ダイジョーブデス……」

 手元でスカートを握ってすっと俯き、声を裏返させながら答える一葉。顔がトマトのように真っ赤であろうことは、流れるようなサイドの髪で隠れてはいるが、大体想像がつく。本当に大丈夫かな。というかまさか佐久間に顔を赤らめたわけではあるまいな?

「およよ、ごはんたべるのかい? あたしたちも一緒してよろしいかなっ?」

 ふと後ろから声がすると、いつもの快活な様子で葵がやってきた。しかし葵の隣に眼を移すと、もうひとり女子を連れだっていた。

「……」

 葵に無理矢理引っ張られた形で目線だけくれたその娘は、綺麗に切り揃えられた前髪、胸の辺りに下がる髪はウェーブしてふわふわとした印象。しかし細い眉は鋭くボーイッシュで、切れ長でありながらくりっと大きい眼に奥二重が特徴的。不機嫌そうな少し尖った唇も相俟って、少年のような印象も受ける。可愛いと捉えるよりも格好良い美人と言ったほうがいいだろう。彼女は目に見える程度に頭を下げて、すぐにそっぽを向いてしまった。

「さっきの物理の授業で一緒になってさっ! 一緒にいいでしょ?」

 後ろに隠れるように立っていたその娘を、紹介するように背中を押して前に出す葵。ほらほらと肘で発言を促す葵に、少し疎ましい表情を返しながらも、彼女はようやく口を開いてくれた。

「……花咲嘉穂」

 ぶっきらぼうに答えてその場を離れると、仕方なさそうに自分の席の椅子を寄せて一葉の前に腰掛ける花咲。

「よおーし、俺も椅子もってこよーっと!」

 花咲が座るのを皮切りに筑紫も動き出すと、残りのメンバーもつられるように一葉の席へと椅子を運ぶ。流石に6人となると一つの机では狭いため、隣の葵の席もくっつけて食べることになった。おお、なんというか普通に一葉人気者みたいじゃんか。いい傾向だな。

「あれ? ハルキ今日コンビニ飯か。珍しいな?」

 佐久間は俺が鞄から出したコンビニ袋を見て不思議そうな眼を向ける。それもそのはず、学校始まって以来昼飯をコンビニで買うなんて今までなかったからな。しかし必ず弁当を作ってきていた俺の記録が途絶えたのは……、

「あれ? 一葉もコンビニなのかい?」

 葵もさも不思議そうに一葉に問い掛ける。

「う、うんちょっと今日は寝坊しちゃって……」

「寝坊って、フタチャンとミッチャンも遅れちゃうじゃん?」

「え!? や! フタバ達はガッコまだでさ! それでちょっと油断しちゃったぁ! えへへ……」

「へー珍しいねえヒトハが〜」

 どうやら一葉も弁当派だったらしいが、べつに寝坊して弁当が作れなかったのではない。いや一葉は実際寝坊だったのだが、ちゃんと弁当は二人分用意してあったのだ。しかし一葉が、弁当が全く同じなのは流石にまずいでしょということで仕方なく置いてきた。今頃お留守番の二葉と三葉が喧嘩でもしながら食べている頃だろう。

「ねね、サッキーはなんであたしたちと友達になってくれたんだい?」

 各々弁当箱を開けていただきますを済ませると、葵は早速本題と言っていい質問をぶつける。それは俺も是非お聞きしたかった。

「べ、べつに物理でちょっと一緒だっただけじゃない……。っていうかサッキーって……」

「でも一緒にご飯食べてくれてるじゃん? あたしと一葉の噂知らないわけないのに」

 うっとうしそうに葵を一瞥した後、ボーイッシュな印象とは打って変わる可愛いらしいピンクの箸を弁当箱に置くと、ジーッとこの場にいる全員と眼を合わせた。

「……まぁ、しいて言えば面白そうだったから……かしらね」

 そう呟いて目に見えるか見えないか程度に微笑すると、また箸を手に白飯を粒単位でちびちびと食べはじめる。

「ふ、ふーん! ま、まぁそんなに言うなら仲間に入れてあげないでも……ないけど?」

 そんな花咲の様子を見て、ここぞとばかりに初めて出会った時のような尊大な態度で腕を組む一葉。なんでそこでお嬢になるんだよ。ご飯粒鼻につけて言う台詞でもないぞ。

「別に仲間になるとは一言も言ってないわ。……鼻、ご飯粒ついてるわよ」

 花咲は黙々と自分の弁当に手をつけながら、一葉の発言にピシャリ。

「うそどこ?! ……じゃなくて、な、なに〜!」

 ガタッと椅子を後ろに倒すほどに立ち上がる一葉。妙な所でプライド高いんだな。

 というかご飯粒はいいのか。

「そんな事だからお金持ちだなんて根も葉も無い噂が立つのよ」

「……え、気づいてたの?」

 一葉の問いに花咲は、少し一葉を一瞥して、

「登校からずっとジャージ姿の御令嬢がいるかしら」

 と不敵な笑いで嘆息した。

「こ、これは違うの! ……っていうかお金持ちが違うのは合ってるっていうか、ジャージで登校することが違うっていうか……っもう! ハルキ説明して!」

「はっはっは……って俺!?」

 無茶振りにもほどがあるだろ! ていうか同居してんのばれたくないのにここで俺に振るか普通!?

 顔を真っ赤にしてわたわた胸の前で手を振りながら慌てている一葉に冷静な判断は無理なようだった。急に視線と矛先が俺の方に向けられたため、事前に考えてあった完璧な言い訳など宇宙の彼方へ飛んでいってしまった。

「な……なんというか、その……なぁ?」

 俺が視線を泳がせながら、新たな言い訳を開拓しようというところで、このクールビューティーはさらなる追い撃ちをかけてくる。

「……というかあなたたち付き合っているの? 朝から仲良く登校していたみたいだし」

「は、は、はぁ!? 付き合ってなんか……ないわよ! あ、あるわけ……ななな、ないじゃない!」

 朝目撃されてたんですね。というか一葉さん、あなたもそんな顔をたこのように真っ赤にして全否定せんでも……。だんだん俺の居場所がなくなってきたよ。一葉は息を荒げながらコンビニそぼろ弁当をがつ食いする。

「まぁまぁヒトハ落ち着いてっ! 付き合ってる付き合ってないはまぁ置いといて、それよりもいつのまにハルくんと仲良くなったんだい?」

 怒る一葉を制して、葵は興味津々といった表情であまり聞いて欲しくない質問をぶつける。

「そうそう! 登校んときも、かなーりハルっちゃんのウチの近くから既に一緒に歩ってたしよお」

「余計なことを言うんじゃない!?」

 筑紫がさらなる言い訳必要な懸念材料を増やしてくれやがった。くそ、まだ考えがまとまってないっていうのに!

「そうだな〜。碧原が初っ端からジャージ姿っていうのも気になるしな」

 サクマ、お前もか。ああもう今まさにカエサルの気持ちが痛いほどわかるよ。佐久間くん、君だけは僕を裏切らないと思っていたのに。ただ確信犯だったブルータスと違って、無意識で核心を突くような攻撃をしてくる佐久間は厄介極まりない存在である。

 

「――命の……恩人かな」

 頭の整理のつかない俺を現実に戻したのは、囁く様に発した一葉の言葉だった。

「ハルキはね……枯れ切った雑草に水をくれて生き返らせてくれた、私の恩人なの」

 憂いを帯びた表情に控えるように見せる微笑が、俺の眼にとても優しげに、そしてとても美しく映させた。……鼻にご飯粒付いてるけど。

「ヒトハ…………」

「……や! 雑草とか水とかは何というか……例え! そう比喩表現というか! うう…………あ、そうそう! 私が制服で川で溺れてるところを助けて貰ったのが本当のお話! 制服がボロ雑巾に大変身しちゃって参っちゃったよー、なんつって! あははは…………」

 急にまた顔を真っ赤にさせて、ごちゃごちゃと早口で捲くし立てる一葉。そして言葉の最後で恥ずかしさが頂点に達したのか、また俯いてしまう。というかその一瞬でばれそうな嘘はなんだよ。それまさか先生にも言おうとしてたんじゃないだろうな?

「…………」

 一葉の急な発言に、皆箸を止めて眼を見開きながら呆然としていた。

「……ヒトハ」

 先陣を切って口を開いたのは葵だ。

「大変だったねぇ……! アンタ泳げないんだから川の近くに行っちゃだめだって言ったろう?」

 何やら瞳に涙を浮かべながら俯く一葉の頭を撫でる葵。

 …………え? まさかこれ信じたの?

「おいおいマジかよ、結構な事件じゃんか! いやぁ本当良かった! 俺がハルっちゃんを育てた甲斐があった!」

 筑紫も大層驚いたように見せて体全体を使って一葉の生還を喜んでいる。

 何度も言うがお前に育ててもらった覚えはないけどな。

「そうだったのか! ハルキすごいな! 溺れている人を助けるなんて、なかなかできることじゃないよ!」

 あの秀才佐久間でさえも、まさにお前の喜びは俺のもの、俺の喜びも俺のものと言わんばかりに、オーロラのような笑顔を振りまいてくる。

 ちょっと待ってくれ、これってリアリティある話かな? 事情を知っている身としては、学校サボりの理由によく使う「父が危篤で」の次に胡散臭い理由だと思っているんだが。まぁ火事のことも同居してるってことも事情を知らない側からしたらかなり胡散臭い話ではあるが。

 しかしそれでも、人の命が救われたことに素直に喜んでくれるやつらがいる。そんなアホだけど純粋で気持ちの良いやつらの方が、一緒にいて楽しいことも確かなのだ。だから俺は、見た目どうにも合いそうにない筑紫と佐久間とつるんでいるんだ。そして葵も花咲もまたそういう心を持っているから、こうやっていつのまにか集まって笑いあっているだろう。嬉しいのか感動しているのか、一葉は未だ俯き葵に撫でられながらうんうんとしきりに頷いている。理由が嘘でも、これだけ心配されれば、嬉しいだろうな。

「……新学期早々に何事もなくて良かったわね。それで碧原さんは草野くんが好きになっちゃったのね」

「うん…………ん? ってだから違あああああああああああう!」

 このクールビューティーもどこか抜けている娘である。

 

 

 第2章―――完

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