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クローバー(1)  作者: ディライト
第1章
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第1章―(1)

 始業式。悠久の時のように感じられる校長の毎年毎年一言一句変わらない演説に耳を傾ける。ただでさえ憂鬱である上に、小一時間前の騒ぎのせいで、俺の憂鬱指数はメーターが振り切れる程に上がり切っていた。先程までの清々しさは、どうやら底無し沼の奥深くに潜り込んでしまったらしい。そりゃ急に後ろから背中を押されて底無し沼に突き落とされたら、這い上がれないのは当たり前だ。朝方誰かがいい事が起きるとかかしていた気がするが、どうやら毎日が薔薇色人生な奴の妄言であったらしい。目立たず騒がず波風立てず、毎日を平和に生きていたというのに、よりにもよって大事なスタートダッシュで豪快に靴紐を踏ん付けてしまうとは。この後のホームルームも絶対に注目されてしまうに違いないのだ。

 

 始業式もつつがなく終わり、体育館から次々に生徒が掃けて、各々指定されたクラスへと足を向ける。俺達は二年D組に振り分けられた。

 この学校の校舎は、三階建ての木造建築が西棟・東棟に分かれていて、所々寂れている辺りが趣ある古さを醸し出している。西棟が主に教室群であり、一階が最上級生の階で、階段を多く昇らなければならない三階は新入生の階だ。俺達は進級したので、今年からは真ん中二階に陣取る。これで階段の労力が少し減るので嬉しい限りだ。ちなみに東棟には理科室や音楽室などの移動教室群などがある。

「お〜ここだここだ」

 俺達三人が教室に着くと、既にまばらに新たなクラスメイト達が集まっていた。ざっと教室を見回す。どうやら例の碧原一葉はまだ来ていないようだ。

 しかしホッとするのも束の間。俺達が現れた途端、クラスメイトの視線は明らかに俺へと集まってきた。

「うう……、やっぱり朝のアレが原因なのか……?」

 いたたまれなくなった俺は、沢山の視線から目を逸らすように筑紫に助けを請う。

「うーん、あれは確かに衝撃だったからなあ……」

 そんな感心の言葉は求めてないんだよ。

「というかハルキ、本当に碧原の事知らなかったのか?」

 今だに信じられないというような顔の佐久間。

 なんだろう、この皆が知っている芸能人を俺だけが知らないという疎外感にも似たこの気持ち……。

 俺、もしかして疎い?

「「疎い!」」

 普段正反対な癖にこういう時だけ息ぴったりなんだこいつらは。

 

「ちょっとちょっとちょっとそこのお兄さんっ!」

 皆の視線が痛い中、唐突に一人の女子が片手をひらひら、近所のお喋り好きなおばさんのように俺達の方へと近付いてきた。

「ナニナニっ? ヒトハと知り合いなのかい!?」

 やけに滑舌が良くハイテンションな彼女は、肩ぐらいまで伸ばした黒に近い茶髪が全体的に外に跳ねており、前髪を可愛いらしい青い髪止めで抑えている。小顔で上唇が特徴的。どこか猫にも似た雰囲気を連想させる彼女は、可愛い村娘というのがしっくりくる。女子の中では平均的な身長という所だろうか。

「なんかなんか、朝来たら何やら大事件の雰囲気っ! て感じでざわついてるから何かな〜って思ったら、ヒトハがなんと見知らぬ誰かさんとお話ぶっこいてるじゃんっ! しかも男のコっ! ああヒトハ、アンタ高校デヴィゥーならぬ新学期デヴィゥー狙っていきなりの逆ナンかいっ! とかなんとか思った訳ですよっ! んでそこんとこどうなんですかいお兄さん!?」

 マシンガントークでまくし立てる彼女の眼は爛々と輝いていて、まるで初めて好きな子が出来た息子に、母親が興味津々で問い詰める様である。

「……え、いや、髪の色が似てるねって感じでちょっと声掛けられただけで、全くの初対面だよ」

「ありゃホント、ヒトハと髪色同じだあ。染めてるのかい?」

 彼女は人差し指を下唇に付けながらハテナマークを浮かべ、俺の髪を好奇心の眼で見つめる。

「いや地毛だよ。それよりその……碧原の友達なのか?」

「へえヂゲ……珍しいねっ! ウン、そうだよっ! 親友さ! わたしは枝村えだむらあおい! ヒトハとはもうかれこれ五年の付き合いなんだっ!」

 白い歯を見せ、ピースサインを出しながら、太陽も眼が眩むほどの笑顔を向けるくる。

「ヒトハもあんまし人付き合いが得意じゃないからさ……。そうっ! だからこそ今年はロケットダッシュをかましたといってもいいんだよっ! まさか新学期早々からねえ〜」

 俺はというと、ロケットダッシュどころかフライング二回やらかして失格になった気分です。

 それにしても筑紫もかなりの電力を持っているが、この娘はその十倍は明るいな。その大量の電力配給元の発電所を身体のどこに隠し持っているんだ。少し分けてもらいたい。

「そうそう、キミたちのお名前は何て言うんだいっ?」

「あ、悪い申し遅れた。俺は草野春樹。んでさっきから俺に引っ付いてるのが筑紫正志、こっちのイケメンが佐久間恵介だ」

「よろしくアオイちゃん!」

「よろしくな枝村!」

 いきなり馴れ馴れしい筑紫とイケメン否定しない佐久間に、プラス俺の紹介が終わるとちょうど良く予鈴が鳴り響いた。

「おっと、ホームルームが始まっちゃうね〜! んじゃ今年一年共に頑張ろ〜!」

 大きく手を振って、枝村は羽のような軽やかなステップで自分の席へと戻って行った。

 予鈴と同時にがたがたと椅子を引く音に混じって、俺も自分の席へと着く。一番後ろの席のためクラス中を見渡せるのだが、枝村と話し込んでいるうちにいつの間にかまばらだったクラスメイトも全員が揃っていた。

 ――と思いきや、中央の俺の列の一番前が空席である。そこにいない人物はすぐに検討がついた。同じクラスであるという碧原一葉だ。一応顔見知りであることで、教室をざっと見回して存在の有無が判明した訳だが、まさか最初のホームルームに遅刻してくるなんてことは――、

「おっし! 最初のホームルーム始めるぞ〜!」

 遅刻ですね。

 筋肉質な体育会系で、白いノースリーブに下は青ジャージという体育の先生と言えばこれ! ってほどに王道まっしぐらな先生が、拡声器でも使っているのではないかというくらいの響く声で颯爽と教室に登場した。どうやら今年の担任はこのお方らしい。体育で教わったことがないので、前年は違う学年を取り持っていたのだろう。

「今年二年D組を担任することになった、岩崎いわさき勲夫いさおだ! 今年一年ビシバシ行くから覚悟しとけよ〜!」

 え〜〜という生徒の批判も気にせず、岩崎教諭はさっさとホームルームを進行する。初日のホームルームということで、やる事といえば各々の自己紹介くらいなもので、その日の学校は午前中で終わりを告げた。

 ちなみに自己紹介では筑紫がいきなり笑いを取っていたり、佐久間の自己紹介中には女子達の「今年大当りだよね〜!」という気に入らない声が聞こえてきたり、枝村が一人一分くらいで終わる簡単な自己紹介を五分も早口で喋っていたりと、それはそれは大盛り上がりだったよ。そして極めつけは、あの岩崎教諭がまさかの数学教師だと判明したことだな。まあクラスとしては本当に大当りなんじゃないだろうか。

 ……ん、俺か? 勿論無難な自己紹介で早々に「じゃあ、次の人〜」でしたよ。いいだろう平和だろう? 

 ……まぁ俺の事はいいんだ。

 それより何より……一つだけ気掛かりだったことがある。

 

 その日、碧原一葉が自己紹介することはなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 放課後、俺は家へ帰るなり学校指定の通学鞄を玄関先に放り投げると、アパートの敷地内に置いてある自転車を引っ張り出した。これから隣町まで片道三十分掛けての買い出しだ。面倒臭がり怠け者である俺にとっちゃこれほどまでに苛酷なものはない筈なのだが、俺はこの買い出しが意外に結構好きなのだ。慣れってのは本当に恐いものだな。今日は学校も早く終わったため、大変余裕を持って行くことができるのも吉である。

 通学路でもある木々に囲まれる下り道路を心地良く風を切りながら走り抜ける。車は殆ど通ることもないため事故の心配はない。学校前を通り過ぎて、さらに一つ林を越えると一軒家の住宅街に差し掛かり、だんだんと人通りも増えてくる。そんな町並みをゆったりとしたスピードで眺めるのもまた一興。

 ちなみに学校に自転車で行けばいいだろうと思われる方もいるだろうが、家から遠い人には通学バスが手配されているため、自転車通学は禁則なのだ。何故かは校長にでも聞いてくれ。

 そのまま行くとさらに賑やかになってきて、もう普通の街並みである。ちょっと前までは小さな商店街くらいしかなかったが、今じゃどでかいショッピングモールやカラオケやらボーリング場なんかもできて、だいぶ栄えてきた印象だ。

 といっても俺が向かっているのはそんな大きいショッピングモールではなくて、行きつけの小さなスーパーマーケット、『スーパー南田』である。正直言って奮発する機会などない一人暮らしの食材調達など、小さいスーパーで充分なのだ。

「……っしゃいませ〜」

 店内に入ると買い物篭の整理をしているアルバイトのチャラいお姉さんが、それはもう無気力極まりない態度で慣用句を読み上げる。前はもっと愛想の良いスーパーだったのだが、最近アルバイトに教育が行き届いていない気がする。ショッピングモールに客を取られつつあって店長ふて腐れてるのかな。

 やる気のない店員に軽く一瞥くれてやって、俺は持ってきた買い物袋を広げて獲物の探索を始めた。

 

 そう、これもいつもの変わらない日常。

 精巧に作られたゼンマイは、一つの取っ掛かりもなく回り続ける。

 急に別の事をやれと言われて、直ぐに適応できるほど器用でもない。

 いまあるそれを楽しめばそれでいいのさ。

 

 材料調達も完了して、俺はあまりに空きすぎているレジに今にも破裂しそうに膨れ上がった買い物袋を置いた。

「いらっしゃいませ〜!」

 やけに威勢のいい声。新しいバイトさんだろうか? 

 そう思ってふと好印象で元気なアルバイトさんの顔を見ると、

「……あ、あれ、枝村!?」

「……げっ、草野くんじゃあないか〜……あはは」

 制服にエプロン姿で、悪戯がばれた子供のように口角をひくつかせる枝村がいた。

 ていうかげってなんですか、げって。……っとそっか、そういえばうちの学校はアルバイト禁止だったな。アルバイト禁止なのに一人暮らししてる奴がいるってのも変な話だが。勿論学校には内緒だけど。

「ちょ、ちょっと外で待っててくれぃ! ちょうど今バイト……いや、お、お手伝いが終わるのでせっかくだから一緒に帰ろうじゃないかっ!? ……というかもう正直に言おう! 弁明させておくれい!」

 えらい焦りようで、胸の前でばたばた手を振っている枝村。そんな姿はなるほど可愛いものであったが、何やら俺の中で悪戯心が働いてしまった。

「え〜どうすっかな〜」

 腕を組んで若干流し目をしながら嘲笑うように見せてみる。

「あ〜、そんな事いう〜! んじゃ、この今日の夕飯らしき材料達はぼっしゅー! レジうってあげないよっ!」

「ちょ、それだけは勘弁!」

 いつの間にか攻守が交代していた。慣れないことはするもんじゃないな。

 

 

 外で待つこと五分。一応ユニフォームである、ど太いマジックペンで『南田』と乱暴に書かれたエプロンを剥ぎ取った紺のブレザー制服姿の枝村が、「うおーい」と手を振りながら走ってきた。

「そんな急がなくてもいいのに」

「いやいや〜、人を待たせるとろくな事が起きないんだよっ! ってどっかのお偉方のヒゲのおじいさんが言ってたよっ!」

「そりゃどこのじいさんだよ」

 枝村は徒歩で、俺は先程通ってきた隣町とを結ぶ林を越えたちょっと先にあるという枝村の家まで、自転車をひいて行くことにした。

 なんだろう……。よくよく考えたら女の子と二人きりなんて初めてじゃないか。そう思い始めたらなんか異様に緊張してきたな。何か話題話題――、

「ねえってば草野くん!」

「わあああ! ななななんだ!?」

 後頭部辺りを軽いチョップで小突いてくる枝村。一人緊張していたせいか、何度も呼ばれていた事に気付かなかったらしい。

「どしたの、ボーッっとして?」

「いや、なんでも……」

 どうやら気にしているのは俺だけのようで、様子がおかしい俺を枝村はきょとんと真ん丸で黒曜石のような瞳で眺めてくる。

「それよりさっきのバイトのことなんだけどさ……」

「あ、ああそれさっきも気になってたんだけどさ、学校終わってからまだ一時間くらいしか経ってないのにあがっちゃっていいのか?」

 学校は十時頃に終わり、現在十一時半ちょっと前。一時間バイトなんて雇ってもらえるのだろうか?

「いいのいいの! ホント、アルバイトっていうよりお手伝い感覚なのさ! 店長が知り合いで、暇な時だけ来ていいよ〜って言われてるから、まあちょっとしたお小遣稼ぎだよっ! だから……、」

 そう続けて枝村はぷるっと弾けるような唇の前で人差し指を立てた。

「これは草野くん、いや春樹くん……だっけ? と私だけの約束だぞっ!」

「なぜにいきなり名前呼びに?」

「ふっふっふ〜! 秘密を共有してしまったら、もう私たちは友達同士も同然! 私も春樹……いやハルくんと呼ぼう! だから、私の事も葵って呼んでいいかんね〜!」

 へへっとはにかみ嬉しそうに持っている通学鞄を蹴飛ばす。木々の隙間から差し込む光も相俟って、彼女の笑顔は宝石のように輝いていた。そんなことを面と向かって言われるのは初めてで少し気恥ずかしい。

「おっと、どうやらここでお別れなようだっ! そんじゃねハルくん、また明日ガッコで会おう〜!」

 やいやい話を交わしているうちに、林を抜けて十字路に着いてしまった。島にて遭難中の冒険家が一隻の船を見つけて助けを求める時のように大きく手を振って見せる枝村だが、

「そうそうハルくんの秘密もちゃんと共有してるからねっ!」

 一瞬何の事かわからなかったが、枝村はすぐに俺の買い物袋を指さした。

「その材料の量、一人暮らしだろう? いやっ、いいんだ、事情は言わないでくれい! 私も詮索したりはしないよっ! だって人には、」

 どこぞの演劇女優みたいに身振り手振りで感情を表現する枝村だったが、途中で言葉を切って、

「……それぞれ言えないものがあるものだから」

 元気印の彼女からは想像できないほど、憂いのある表情を一瞬だけ見せたが、すぐに真っ白で綺麗に整った歯を見せて笑顔で手を振った。スカートを揺らし走り去って行く彼女を眺めながら、俺は一つ心残りを呟いた。

「……葵って呼べなかったなぁ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 買い物からの帰り道。行きは心地良い下り坂も、帰りは地獄の上り坂に早変わり。俺は、錆だらけで漕ぐごとにギシギシと悲鳴をあげているマイバイシコーと共に、足に乳酸を溜めながら必死に、しかしちょっとずつ坂を登って行く。自転車から降りて押して登ればいいと思われるかもしれないが、やってみるとわかるが疲れ具合はどちらも変わらない。足か腕かの違いだ。どうせ疲れるなら君も一緒に悲鳴をあげようじゃないか我が相棒チャリくん。もし自転車が気持ちを表現できるなら、振り落とされてタイヤで頬を踏み潰されても文句はいえまい。もう三十年後くらいには、坂道では歩道がエスカレーターになっていると嬉しいのだが。

 そんな馬鹿げた事を考えている頃に、ようやく坂道を登り終えた。足もチャリも断末魔をあげている。

 

 その時だった。

 麓の方から聞こえ出すまるで悲鳴のような音。

 俺のトラウマを抉るベルと警報。

 消防車だ。

 二、三台の警告音が混ざり合って、事の重大さが知れる。

 得体の知れない暗黒物質のような物が胸の中でざわつく。

 二年前の走馬灯が頭の中を高速で駆け巡る。

 

『逃げて……春樹……早く…………!!』

 

「この音……さっき枝村と分かれた近くじゃ……?」

 自分の心音が高速の低音ドラムのように聞こえる。肺を失ったのではないかと感じるほど呼吸が難しい。坂を登りきった汗も、今では冷え切って頬を伝う。

「…………行かなきゃ」

 それでも俺の身体は勝手に自転車に跨がって、再び坂道を急降下していた。思う程大きな騒ぎではないのかも知れない。知り合いが被害に遭うなど微生物ほどの確率である。ただ火事に関してはだけは、俺の中では知り合いだろうがなかろうが駆け付けなければ気が済まないものとなっていた。

 何よりあの時(・・・)と同じで、胸騒ぎが止まらなかった。

 もう同じ過ちを繰り返したくはない。

 俺はもう逃げない。

 逃げたくない。

 

 無我夢中でペダルを漕いで、警告音が鳴る方へと向かう。音との距離を詰めるごとに、だんだんと野次馬の声が聞こえてくる。更には周りの温度も上がっているように感じる。先程枝村と分かれた林前十字路に着き、音の鳴る方へ耳を澄ますと、どうやら枝村の家とは逆方向らしい。

「とりあえずは良かった……」

 一息ついて、ワイシャツの袖で吹き出す汗を拭う。だがふと上を見ると、ここからでも確認できるほどの黒煙があがっていて、事態の大きさを表している。

「あ、あの、すいません! この先で何か遭ったんですか!?」

 黒煙がなびく方から走ってきた主婦らしきおばさんに声を掛ける。

「大火事よお! 随分古いアパートで人もあまり住んでなかったらしいんだけど、最近この辺りで放火事件が多発してたからねえ……ってちょっと、危ないよそっちは!」

 お礼を述べるのも忘れて、更に自転車を走らせる。

 放火と聞いて苛立ちもある。しかしそんなことよりも人命救助が専決。漫画のように素人が水を被って業火に飛び込み、救出できるなんて甘い考えは持っちゃいない。それでも、ほんの些細な事でもいい。俺にも何かできることはないか。

 そう思いながら着いた現場では、既に火は弱まっていて消火活動も終盤であった。多くの野次馬で消防士の姿を確認することができないが、掛け声だけは届いてくる。火は弱まってはいるが、人の多さもあってか熱気が凄まじい。まるでサウナにいるようだ。

「すいません! 中の人、助かったんですか!?」

 再び人混みの中にいる中年サラリーマンに事情聴取。

「うーん、助かったんだけどね……。可哀相に、高校生くらいの女の子と妹らしき子たちはまだ小学生ぐらいだよ……」

 俺の慌てようからか、中年サラリーマンはほら見てみなっと俺の背中を押して人込みの隙間に押し込んでくれる。野次馬の先頭に踊り出ると、俺の目に飛び込んできた光景は、いくつかの頑丈な柱だけが煤けたまま立っているだけの跡形もないアパートの無惨な姿。

 そして――――、

 

 身体中に灰を張り付け、顔をくしゃくしゃにして大泣きしている小学生くらいの女の子二人を両脇に連れ、世界の終わりを知ってしまったかのように無気力で立ち尽くしている……――――、

 

 碧原一葉、その人であった。

 その姿は、さながら国を失った王女のように、ただただ真っ直ぐ陥落した城を見つめていた。

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