⑧一瞬の出来事
「……そんなに高価なんですか!?」
夕闇に包まれた元居留地の端、カルト教団が巣食う廃集落を見下ろす高台でミレが声を上げる。何故かといえば、今回マデュラが持ち込んで来た夜間暗視装置の値段を聞いて驚いたのだ。
「うーん、そう言われてもな……いや、スマホのアプリに暗視機能に近い映像が出せる端末も有るが、安価な代わりに見ながらだと片手が塞がっちまうよ」
身を隠す為、迷彩柄のテントを張りその中でマデュラが打ち明けた理由は、装着しながら動けて操作も容易からだと説明する。普段二人が使っている複合素材のヘルメットに苦も無く装着出来る上、小型バッテリーで六時間以上使用可能だ。それだけの性能を誇りながら軽量で小さく纏まっていれば……必然的に値段も跳ね上がる。光学機器は性能を維持しながら小型化すれば、比例的に高くなるのだ。
「但し、強い光源の有る場所では使えない。例えばこちらが装着していると判れば、複数でライトを照らせば視界は完全にアウトだ」
「そうですか……一方的に見えれば楽なのに、そんな上手い話はないんですね」
「まあ、光量に合わせて感度を調節出来る機能も有るが、機械は全て万能じゃないのさ」
ミレはそう聞いて少し落胆するが、しかし真っ暗闇の中でも悠々と動き回れるのは正直凄いと思う。そして、その暗視装置を二人で使いながら……カルティストが巣食う教団内部に踏み込み襲撃するのだ。ミレがマデュラにそう持ち掛けられた時はかなり戸惑ったが、やがて彼の提案を受け入れた。
「……紛争で殺し合いをしている脇で物資を奪うのも、直接手を下して奪うのも同じでしょう……」
そう答えたミレは、今回こそ自らの手で誰かを殺すのだと覚悟する。猟師が獣を撃って捕らえるように、自分は人間を狙って殺す。食うか食われるかの状況ならば、相手が近親者や知り合いで無い限り同情の余地は無い。それに、相手は法や道徳に縛られない過激思想のカルティストなのだ。
「……そうだ、そうやって固定したら視界が明るくなるなるまでダイヤルを回し、光量を調節するんだ」
「……おおぉっ!! これは……凄いですねぇ」
操作方法をマデュラから教わり、ミレが単眼型暗視スコープを装着する。そして適切な位置にダイヤルを合わせると、今まで黄緑一色だった世界が不意に明暗で区切られてはっきり見えるようになる。
「手元もちゃんと見えますし、遠くに何があるか直ぐ判ります」
「でも、見慣れない景色だろうから安易に判断するなよ。物陰にしゃがんで身を隠せば暗視は効かないぞ」
「はい、気をつけます」
昼間なら直ぐに見つかるような単純な隠れ方でも、色彩を欠いた暗視画像では効果的だ。そうマデュラに説かれミレは気を引き締める。
「……ここからが本番だ。動くものに注意しろ、そして……引き金を引くのに躊躇するな」
「……はい」
「ヒトを撃つんだ、余計な事は考えるな」
「……はい」
マデュラがそう繰り返し、ミレが頷く。実際に人を撃つと強調された彼女は、ただはいと答えるしかなかった。
狭い居留地に複数並ぶコンテナハウス、そして離れた場所に礼拝所らしき背の高い建物が見える。ミレは来た事の無い廃居留地に足を踏み入れ、徐々に緊張感が増していく。
手袋越しに感じるフルオートSMGの銃把をきつく握り締めると、掌にじわりと汗が滲む。遮蔽物の多い環境に合わせ、二人は取り回し易い銃身の短い銃を持ち込んだ。全長の長さより弾倉の長いSMGは精密射撃が苦手な半面、反動も低く一瞬の制圧力は高い。装填されている9ミリピストル弾は貫通力が低いが消音器を付けている為、発射音も小さく周囲に自分の居場所を知らせる事も無い。
……だからといって、油断していた訳ではない。相手はカルト教団、戦闘特化のテロリストではないし夜になれば睡眠は取る。だが、軍隊にすら手を出す頭のイカれた集団のくせに警戒だけは怠っていなかった。
暫く居留地の中を静かに歩いて進むと、マデュラがミレに頭を下げるよう促し、トレーラーハウスの陰から弾薬庫らしきアルミコンテナの守衛の男を狙う。照準の中心に相手の頭を入れ、引き金を絞る。ポポポシュッと気の抜けた発砲音と共に頭が砕け散り、遅れて身体がどさりと倒れ込んだ。
「……よし、邪魔者は居ないな。急いで中を漁るぞ」
マデュラはそう言いながら頭の無くなった死体から鍵を奪い、コンテナの扉を開ける。中に入り暗視スコープのまま積み上げられた箱を次々と開けては互いのリュックに詰め、十分な量を確保した二人はアルミコンテナから抜け出した。だが、外に出た二人に気付いた誰かが問答無用で撃ってきた。そしてマデュラが脚を撃ち抜かれた瞬間、ミレは振り返って素早く一弾倉撃ち切った。
「……れ、ミレ! 撃たれなかったか?」
無我夢中で引き金を引いていたミレの肩を強く揺すりながらマデュラが叫び、漸く彼女は我に返る。銃弾を撃ち切るまでミレは気付かず撃ち続けていたが、力が抜けたように引き金から指を離して何とか答える。
「……あ、ああ……大丈夫です」
「なら、よかった……鎮痛剤を飲む……」
と、マデュラが言いながら片手でポーチを開けようとする様子で、ミレは彼が撃たれた事に気付く。
「わ、私が出します! 何処を撃たれたんですか」
「……済まないな、太腿だ……骨折はしなかったが痛みが酷い……」
止血し始めるマデュラの代わりにミレが鎮痛剤を出し、彼の口元に差し出しながらボトルのキャップを捻る。
「……連中は、ボディアーマーを貫通出来るアサルトライフルを装備してるから……銃弾は抜けてるだろう……くそっ、それでも痛いものは痛いが……」
鎮痛剤を蒸留水で飲み干しマデュラが呟くが、止血帯が巻かれた銃創部は服の上に血が滲んで黒ずんで見える。本格的な止血を行わないと、手遅れになるかもしれない。
「肩を貸します、早く抜け出しましょう」
「……こういう時の為に、君を雇ったんだが……はは、なかなか……上手くいかんな……」
ミレが手を貸すとマデュラは脚を引き摺りながら立ち上がり、苦痛に顔を歪めながら進み始める。
「……鎮痛剤が、効き始めてきた……足が軽い……」
「……」
「……昔は、カルトじゃなかった……ここの連中は、自衛の為に……銃を、買ったんだ……俺からな……どうして、こうなっちまったかな……」
いつに無く饒舌なマデュラが呟き、ミレは暗闇の中を彼に肩を貸しながら進む。
「……痛みは、生きる為に必要な情報だ……それを、遮断する事は……生きながら、死に向かうに等しい……」
「……」
話し続けるマデュラに、ミレはただ頷くのみ。重い彼の身体を担ぐようにしながら小柄なミレは一歩、また一歩と少しでも速く進もうと足を動かす。
「……ミレ、君に伝えておきたい……もし、俺が死んだら……妻の、メイに……」
「そんな事は、言わないでください!」
「……メイに、一人で渡航しろ、と……言ってくれ……」
「……渡航?」
「……ああ、そうだ……それだけ、言えば判る……」
思いもよらぬ言葉にミレは戸惑うが、マデュラは続けて更に話す。
「……今まで、蓄財してきた分で……彼女一人だけなら……この国から脱出……出来る」
荒い息のままマデュラは話し続け、ミレは彼の様子にただ黙って聞くだけだった。
「……ミレ、君には迷惑を掛けたな……」
「……そんな事、ありません」
「……いや、ともかく……隠れ家は、君が好きに使えば……それで良い……」
少しづつ廃居留地が騒がしくなる中、ミレとマデュラは外部に向かって進む。だが、彼の血痕が見つかったのか背後を追うようにライトが交差し、二人は焦りながら走る。
「……君は……死ぬな……」
「マデュラさん、諦めないでください!」
「……夜明けになったら……トクナレ達が、迎えに来る……それまで……」
そこまで話したマデュラは言葉を切り、意識を保とうとして喋らなくなった。
廃居留地から抜け出したミレはマデュラと共に集合地点に辿り着き、彼の止血を試みた。だが、マデュラは脚の大動脈から出血していた。そうして出来るだけの手当てをしながらミレはトクナレ達がやって来るのを待ち、そして日の出と共に彼等は到着した。
……ミレは、合流するまで間に合わず出血死したマデュラをオフロードバギーに載せ、ステーションに帰還した。




