⑤戦時下の暮らし
「あの……あなたが【ヒバリ】さんですか?」
「はい、【ミミズク】さんも来てくれてありがとうございます」
ミレが駆け寄って声を掛けると相手は丁重にそう答え、通りのバス停にあるベンチを指差しながら座って話しましょうと促した。
「えっと、早速ですが【ミミズク】さん、これで良いですか?」
「……はい、大丈夫です。じゃあ【ヒバリ】さんが欲しかったこれでお願いします」
ミレと相手は互いに持ってきた物を見せ合いながら交換し、そのまま戦時下の不便さについて話してしまう。二人が物々交換したのは生理用品や軽めの頭痛薬等の女性向けの物で、交換サイト上では良く扱われるが詐欺等の危険度は低い。そのせいか警戒心が解けると共通の話題が広がり、ついつい止まらなくなってしまう。
「……でも、その服って配給リストで見た事無いなぁ〜」
「そう! だから欲しかったらリメイクするか、交換サイトを気長に探すしかないよ」
「あー、リメイクかぁ……」
「私、学校の選択授業が家政科だったからさ」
「うわぁ、役に立ってる!」
「うん、まさか使い道が有るなんて思わなかったけどね」
ミレは【ヒバリ】と自己紹介した相手の服を見て羨ましがると、【ヒバリ】は答えながらリメイク自体は楽しいが着て出掛ける機会が乏しくて嫌になると愚痴る。紛争状態が続き臨時政府の統治下では、気軽に出掛けて人に会う事も難しい。三人以上の集会は決められた場所でのみ許可されるが、集合時刻や開催時間は厳しく制限される。政府はクーデターを警戒して様々な規制を設け、住民も配給を受ける為に従うしかないのだ。
(……でも、きっとスカベンジャーにならなかったら私も……)
ミレは同年代の【ヒバリ】と話しながら、配給を受けて生活している彼女の事を少しだけ羨ましく思う。紛争が無事に終わり彼女が生き残れたなら、慎ましくも平凡な一生を終えられるかもしれない。いつか夫と結婚し、子を授かり平安な暮らしを過ごすだろう。だが、スカベンジャーとして生きているミレは彼女と違い、桁違いの危険と引き換えに平凡な暮らしでは絶対に拝めない富みを得ている。当然ながら終戦を迎えるまで生きている保証も無いが、戦時下の今は誰でも同じかもしれない。
「では、また機会がありましたら!」
「ええ、また!!」
互いにそう言い交しながら二人は別れ、ミレはステーションに戻って行く。公共交通機関が当てにならない状態なので市内循環バスも動いていない。だからミレは歩いて戻るが、その道で近道を選んだ事が災いした。たった一ブロック分裏路地を抜けて進んだ後、その先の人通りの少ない場所に差し掛かった時にミレは気付く。
(……尾けられてる?)
背後から人の気配を感じたミレは歩む速度を変えずに角を曲がり、そこで視界に入った非常階段の格子戸を脇の壁に足を掛けて飛び越す。すると背後から迫って来る足音が無人の路地に響き、
「……くそっ、逃げられたか?」
「いや、遠くには行ってないぞ」
声を潜めながら話し合いつつ、ミレの隠れた非常階段の辺りで男二人が周囲を探し始める。
(やっちゃったかなぁ……ついいつものクセで人通りの少ない場所ばかり歩いちゃったし……)
スカベンジャーとして働いているせいか、ミレはそう考えてしまう。しかしそれは少しだけ違い実は【ヒバリ】と会っていた時から目を付けられていたのだが、ミレと違い裏道を使わなかった【ヒバリ】は直ぐ見逃されただけである。
(……まあ、ここもすぐ見つかるかもしれないし、どうしよう)
非常階段に身を潜めたままミレは考え込み、隙を窺って相手を観察する。まだミレを見つけられていない二人組は彼女より若干年上だが、武器の類いは持っていないようだ。どうやら物盗りというよりもミレを拐かして何かするつもりだったのか、と彼女は考える。
(こっちは特に何も持ってないし、叫んでも誰も気付かないか……)
手持ちの荷物は軽いものばかりで、武器になるような物は無い。非常階段にも棒切れ一本すら見当たらず、徒手で男二人に立ち向かうのは不利だろう。但し、先手を取らず黙って見つかるまで隠れていればだが。
(……やってみるしかない!)
ミレは決心し、非常階段をそっと上がり二階まで登る。地の利を生かすには外に出て戦うより、この場所の有利をこちら側に保つ必要があった。
「……誰か、助けてーーっ!!」
スッと息を吸ってから、ミレは出来るだけ大声で叫ぶ。すると今まで彼女を見失い彷徨いていた二人が気付き、血相を変えて非常階段に向かって駆けてくる。そして最初の一人が格子戸の横から中に侵入しようとしたその時、ミレは見計らって一気に階段外側の手摺り壁を駆け降りる。
「……とうっ!!」
若干間の抜けた叫び声と共にミレは跳躍し、格子戸の脇で内側に飛び降りようとしていた一人目の側頭部に膝頭を叩き込む。駆け降りるミレの全体重と落下速度が膝に乗り、その勢いはほぼ削がれず男の頭蓋骨と頸椎に到達する。
「おごっ!!」
例え格闘技の知識があったとしても、人間の身体は不意を衝いた一撃には耐えられない。一人目の男は見事に不意打ちを食らい、奇妙な叫び声と共に格子戸の向こうに消えていった。
(……よし、これで片方は無力化出来たかな?)
頭からアスファルトの上に落ちた男の事を、ミレは全くの他人事として捨て去る。相手から見れば只の華奢で小柄な少女が豹変し、突如牙を剥いたのだ。だが、もう一人の男は相方の無事よりも目の前に立つ程良い肉付きのミレの身体に興味が向いていた。
(くそっ、空手か何かやってんのか? でも、こうなったらどっちでも同じだ!)
男はミレの細い手足と肩幅を見て、ついさっき仲間が瞬殺されたのは只のまぐれだろうと楽観していた。接近して体当たりすれば引き倒せそうだし、そうなれば後はどうにでもなる。丁度この場所が非常階段のお陰で視線は妨げられるし、何度か殴ればきっと黙らせられるだろう。
……と、一見するとミレの貞操最大の危機になるかもしれないその状況は、残念ながらガラルト達に散々叩き込まれたシュチエーションだった。
「おらっ!!」
一人目と同じように格子戸の脇から非常階段に降り立った男は、数段上で構えるミレに掴み掛かった。そのままミレの細い足首を掴めれば、伸縮性に優れる布地越しに彼女の柔肌を堪能出来ただろう。しかし、現実はそうならない。ミレは掴まれる寸前で足を引き上げ、伸びた手の甲を容赦無く踏み付ける。そしてそのまま体重を掛けてニ歩目に繋げ、勢い良く前蹴りを繰り出して相手の顔面を捉える。だが、追撃の手を緩めずミレは片手を付いて手すりの付いた欄干の上に乗ると、
「やっ!!」
……また気を削がれる掛け声と共に、再び容赦無い前蹴りが飛ぶ。一撃目で僅かに意識の飛んだ男はミレを見失い棒立ちしていたせいで、二撃目は綺麗に眉間を捉えた。結果、男が失神する前に見えた光景は、ふにっとしたミレの白い太股と黒い肌着のコントラストだった。




