④格闘術
ナイフを使った戦闘術は、現代戦に於いて窮余の策として扱われている。アクション映画のワンシーン等で力比べの方便として見かける以外は、真正面で向き合いながらナイフで戦うのは銃弾が尽きた時だけである。つまり、銃弾が尽きて自らを追い込むような愚か者が陥る状況なのだ。
ミレが望んだ格闘術をガラルトはそう説明し、そうならないよう気を配れと諭した。銃が有る環境で自分だけ弾切れになるのはマイナスにしかならず、しかも相手も同様の状態になる保証は無い。
「まあ、まぐれでも起きない限り俺に傷は付けられねぇって事だな、クソガキ」
「……判ったよ、もう……」
あれから散々手を尽くしながら、ミレはそれから一度もナイフをモデロに当てる事は出来なかった。技術の無いミレにとってナイフは只の飾りに等しく、モデロにはその鋭い刃先も彼女の手首の動きさえ見えていれば容易く跳ね除けられた。
「ミレ、ナイフってのはな、手の長さの延長にゃならん。棒切れみてぇに振り回したって無駄だし、道具としてどう使うかで生かせる代物だ」
「……道具として使う?」
息を継ぐミレにガラルトが語りながら近付き、さっきまで使っていたゴム製のナイフを取り出して彼女の前で構える。ガラルトはナイフを逆手に持ち、ボクシングの防御の構えに似た拳を握り込むスタイルで立つ。そして上体を左右に揺らしながらリズムを取ると、不意にステップを踏んで前進しミレを射程距離に捉える。
「……この場合はな、ここに突き刺すって使い方だ」
言いながらナイフを持った右手を引き、肘でミレの鳩尾を突く動作を見せて彼女を後退させた後、その着地点を予想したガラルトが逆手に持ったナイフをミレの喉元に押し当てる。そこに到るまでミレはガラルトに翻弄され、まるで導かれたように飛び退いてとどめを刺されたのだ。
「どうやったら……そんな風に出来るんです」
「ミレ、俺達は超能力者でも無えし、知っての通りの凡人だ。だからよ、同じような状況を作ってそれに嵌めりゃお前にも出来る」
サラッと言いのけるガラルトに、ミレは反論しかけて押し黙る。格闘術と聞いて素人のミレはボクシングや空手のように型や殴り方を繰り返し練習する訓練を想像していたが、どうやら違うらしい。
「ミレよ、さっき俺が動きの速いお前を捕まえた時はどうした」
「うーん、低い位置からタックルしてきた?」
「まあ、だいたい合ってるな。いいかミレ、人間ってなぁ跳ねて飛んでもタックルは躱せねぇ。逆に高い位置から掴みかかられりゃ、しゃがんで避けられる」
「うん、そうですね……」
「つまり、殴るにしても掴むにしてもよ、型から外れて動けやしねぇ。要は知識として人間の動きを知って、それを型に嵌めて対応するのが格闘術の基礎って訳だ」
脳筋だと思っていたガラルトの意外な発言に、ミレは失礼だと思いながら彼を見直したのである。
「……お前さん、俺の事を意思疎通出来るゴリラ位にしか思ってなかったろ」
「いえ! 全くそう思ってないです!」
「ボス、こいつ絶対にそう思ってるぜ……」
モデロの横槍にミレはキッと彼を睨むが、ガラルトは彼女の頭を手の平で押しながら今日はここまでだと告げた。
……ミレの訓練は、スカベンジャー作業の合間に少しづつ続けられた。但し、訓練の相手は身体的能力も技術も遥かに高いガラルト達である。ミレの身体は常に痣や傷が絶えず、ステーションの連中から彼女が何か良からぬ事でもされているのかと疑われる程だった。
「おい、俺が只のサディストだと勘違いしてるのか」
「……違ったのか」
「違うだろ……全く」
ニセロのオフィスに顔を出したガラルトは彼女に冗談だろうと言い返すが、後から現れたミレの肩や膝に残る訓練の痕跡を見て頬を掻いた。
「格闘訓練? ……ミレ、お前強くなったか」
「うーん、何もしていない時よりは……少しだけ強くなったかもしれないです」
「微弱な感想だな」
ニセロにそう言われ、ミレは確かにそうなんだけどと思う。しかし、ガラルトがミレに教えたのは人間の関節の可動角度や筋肉の位置を解剖学の観点で理解するよう促し、そしてそれらを理解した上でどう戦うかという戦術が主だった。相変わらずガラルトやモデロ相手にミレが実力で優る事は無く、せいぜい彼等が上出来だと認める程度で本当に強くなったのかは判らないのだ。
「……じゃあニセロさん、模擬戦で確かめてみません?」
ふと閃いてミレはそう言いながらゴムナイフを構えるが、ニセロは椅子に座ったまま左右に手を振って拒む。
「……運動不足のアラサーを舐めるな、お前と戦って勝てる自信は全く無い」
「ぶぅ〜、つまんないぃ〜っ!!」
「負けると判っていてやる程馬鹿じゃない、私はインドア原理主義者だからな」
ニセロに断られてミレはむくれるが、彼女が自分の実力を知る機会は暫く訪れなかった。何故かといえばミレがガラルトの教えを守って銃弾が尽きる事を避けていた上、常にガラルト達と行動を共にしていたからである。皮肉な事に戦場から離れた状況になるまで、会得した格闘術を使う事は無かったのだ。
その日、ミレはステーションから離れた街の路地を歩いていた。戦時下で多くの市民は経済的活動、つまり働いて生活する事が出来ず政府から支給される配給物資を頼りに暮らしていたが、そのせいで市民の大半は配給物資を手に入れる以外は自宅から出ず、通りには誰も居ない。
紛争が起きる以前は人々が行き交い賑わっていた界隈も、大半の商店や建物の入り口には【暫く休業致します】の画一的な張り紙が並び、閑散としている。飲食店も一部の店(政府直轄の基地内にある慰問施設だけ)を除いて営業しておらず、ミレのように配給を必要としていない者を相手に開けている店は皆無だった。ステーションのように大規模な闇市は大半の市民には無縁で、配給物資以外の物が欲しいなら専門のサイトを経由して個人同士で物々交換するしかなかった。
「……紛争が終わったら、この辺りのお店も再開してくれるのかな」
呟きながらミレは紙袋を抱え直し、誰も居ない路地を進む。多くの物が溢れる闇市のステーションといえど扱われていない品々もあり、そうした物が欲しい時はミレも交換サイトを利用していた。大抵は単価が安い消耗品等で、わざわざ闇市を探して回らなくともサイトを利用すれば手に入れられた。但し、交換相手との待ち合わせ場所までは歩いて行くしかない。
「……あ、あの人かな」
ミレが指定された待ち合わせ場所は旧建築様式が目立つ区画で、辺りの住人の大半は国家貢献度とは無縁の年金受給者が多かった。しかし今回の交換相手はミレと年齢の近い女性で、本来の住居とは違う区画を待ち合わせ場所に指定しているのだろう。向こうもミレの姿を認めると手を振り、自分がそうだとアピールしてきた。




