③訓練
ミレが希望した訓練は、実戦的な対人格闘と近距離戦闘だった。
「あの、着替えたりしないんですか?」
簡素な道着に着替えるつもりで普通の服装の下にインナースーツを着てきたミレは、特に着替える様子もないガラルトに尋ねてみる。
「そのままだ、でなけりゃ戦闘服だな」
「お前なぁ、戦争する為にいちいち着替えるつもりか?」
「そんなんじゃないけど……違うの?」
見物のつもりで付いてきたモデロにそう言われ、ミレは少し不服そうに答える。
「前にも言ったが、どんな環境でも対応出来るように訓練する。そうじゃなきゃ意味が無いだろ?」
「まあ、そうですね……判りました」
結局、普段着のままミレは訓練を始める事になった。普段着といっても、一応動き易い膝丈のスキニーと丈の短いジャケットにTシャツの組み合せである。
「……基本はな、相手に掴まれるな」
「……えっ?」
「お前の筋力と体格じゃ、掴まったら即終わりだ」
そう言いながらガラルトが無造作に手を伸ばし、ミレに掴みかかる。無論、黙って捕まる気の無いミレは彼の手から逃れようと相手の右側に向かってすり抜けようとするが、ガラルトは肘を基点に回り込んでブロックしながら立ち塞がる。
「……すばしっこさは、有りますからねっ!」
ミレは発言と同時にステップでフェイントを掛け、素早く足を踏み変えて彼を出し抜こうとする。だが、ガラルトは予想外の俊敏さを発揮して真下からミレの脇腹目掛けてタックルし、彼女を軽々と持ち上げる。
「……まあ、並みの連中なら逃げられたかもしれんが、相手が悪かったな」
「うきぃーーっ!!」
掴まれてジタバタと暴れるミレを肩に担いだまま、ガラルトは涼しい顔でタバコを咥えて火を点ける。
「……人間ってのはな、歩幅と筋力で移動距離が決まり、骨格と筋肉量で打撃力が決まってるんだ。ドーピングしても多少の差は出るが基本は変わらん」
「じゃあ、ガラルトさんと私じゃ勝負にもならないんですか」
「……なるさ。そいつを今から教える」
ミレを降ろしながらガラルトは煙を吐き、モデロに向かって手招きする。
「……実験台って訳ですか、ボス」
「まあ、そんな所だ。ミレ、モデロと向き合え」
ミレがモデロの前に立つと、ガラルトはポケットからゴム製のナイフを出してミレに手渡す。
「いいか、今からそいつでモデロの急所を狙え。但し、モデロは立った場所から動かないがお前もだ」
「……了解しました」
ナイフを持ち、モデロに向けながらミレが構えるが、モデロは欠伸しながら頭を搔く。
「……ボス、反撃しちゃダメですよね?」
「して構わん、しなきゃ訓練にならんぞ」
そう言いながらガラルトはモデロの周りの地面に足先で輪を描き、ここから出なきゃ好きにしろと告げる。
「何だか、バカにされてる気がする……」
「クソガキのクセに、勘が冴えてるじゃねーか」
モデロにそう言われ、ムッとしながらミレは構えたナイフで彼の胸を突くが、モデロは手の甲で軽く跳ね上げて微動だにしない。ミレはムキになってナイフを振り上げて何回も斬り付けてみるが、モデロはさっきと同じように片手だけでミレのナイフを防ぎきってしまう。
「はぁ、はぁ……」
「ボス、ミレに本物のナイフ持たせましょーよ」
「ああ、そうだな。渡してやれ」
息を切らすミレと対照的に涼しい顔のモデロがそう言うと、ガラルトが応じて腰から十五センチ程の刃渡りのナイフを出し、モデロに渡す。
「ほら、クソガキ使えよ」
「……本気ですか?」
「モデロなら心配要らん、心臓を貫かなきゃ死なねぇ」
「ボス、吸血鬼みたいに言わないでくれません?」
ガラルト達の呑気な会話を聞きつつ、ミレは手渡されたナイフの重さを掌で感じ、ずしりとくる重量感に息を呑む。
「ほら、クソガキ続けるぞ」
「……クソガキクソガキっうるさいよっ!」
ミレが改めてナイフを構えるが、相変わらずモデロに緊張感は無い。先程と変わらぬ立ち位置のまま真正面でミレと向き合い、特に構える様子もない。そしてそんなモデロの気の抜けた調子にミレは手を止めかけるが、
「……モデロ、倫理観抜きで本気にさせてやれや」
ガラルトの冷え切った鋼のような声に、モデロが表情を変える。
「おいクソガキ、手加減抜きでやるから殺す気で来やがれ。でなきゃ……手足切り落として北海漁船にでも叩き売るからな? 飽きられりゃ生きたまま海に捨てられちまうぜ?」
「……っ!!」
普段はどれだけ感情的になっても性的暗喩な含みを言葉にしないモデロが、ミレに対して露骨な発言を投げつける。その途端、ミレはさっきまで躊躇していた筈の突きを繰り出してモデロの腹を刺した。一瞬刃の半ばまで衣服を貫いてナイフが彼の身体に埋もれたものの、ぬるっと切っ先が押し戻される。
「あ、あっ!!?」
「……くそっ、やれば出来るじゃねぇか」
突然の出来事にミレは混乱するが、モデロは痛みこそ一瞬だけで出血も僅かである。だが、並みの人間なら冗談では済まされない怪我を負わせた筈なのだ。
「おい、クソガキ」
「……は、はい……」
「何で萎縮してやがる、さっさと続けろ」
「えっ!?」
自分が今しがた刺したばかりのモデロに促され、ミレは血の気が失せた青い顔のまま驚くが彼は一切応じず更に辛辣に言い放つ。
「いちいち血を流させた位で手を止めるつもりかよ? 言っとくが何処でも弱っちい奴は玩具にされて殺されるぜ。軍隊でも監獄でも、男も女も無えぞ、クソガキ」




