③マデュラの試験
シュッシュッ、と組み立て式の簡易コンロに載せたヤカンが湯気を立て始めると、マデュラはそれを持ち上げ茶色い粉の入ったマグカップに注ぎ、片方をミレに差し出す。
「……熱いから、火傷しないように」
「ありがとうございます」
ここに着くまで冬の気配が忍び寄る外気に晒されてきたミレは、マデュラから渡されたマグカップから湯気の立つココアを一口飲む。ずっ、と啜る音と共に薄味のそれが喉を通ると、朝から何も食べていなかった胃袋がくうっと鳴いた。
「……ステーションでしたっけ。今まで聞いた事もありません」
「普通の暮らしをしていれば、まず知らないだろうな。ここじゃ配給される食料は売り買いされていないし、何より縁が無ければ門番が通さんよ」
沸かした直後の熱湯で淹れたココアの温もりを、彼女は手と舌で味わいつつステーションの詳細を聞く。
長引く戦争で物資が枯渇し、政府は統制と配給で急場を凌ごうとした。だが、市民は毎日の食料が無ければ飢えてしまうし、やがてどんな綺麗事を聞かされても信じなくなる。そうして反政府的な思想から武装蜂起しようとする活動家が居た一方、同じ思想を保ちながら全く違う動きを見せる人々が現れる。戦時下にも関わらず、敵国の兵士や役人と繋がり互いの利益を戦前と同様に求める【ステーション】の商人達だった。
「……東側政府と!?」
「まあ、直接の繋がりはないし軍事的なパイプ役は担っていない。だが、物資の流通を行えばテロ行為を支援するのと何ら変わらんよ。だから闇市場は、政府から隠れて商売をする為に役人に相当な賄賂を渡して目鼻を潰してる」
マデュラの説明にミレは自分の置かれた状況を考慮しつつ、慎重になりながら言葉を選ぶ。
「話したかった事は、ステーションの成り立ちだけではありませんよね」
「……察してくれて助かるよ。ご覧のように俺は闇市場で卸売りをしている。だが、人手が足りなくなってな……」
卸売り、という単語にミレはどの位儲かるのか気になったが、彼が続けて話す内容に集中する。
「……一人の方が売り上げを独占出来るが、生還出来る確率はそれだけ落ちる。だから君には、万が一の時の治療法も覚えて貰いたい。出来るか?」
マデュラはそう言うとテーブルの上に一丁のハンドガンと止血用バンテージ、そして分包された錠剤一つと簡易手術用具を入れたポーチを取り出して並べる。
「……自分で自分の身体を撃って、縫合してくれ。予め鎮痛剤を飲んで効いてる間に済ませれば痛みは軽い」
まるで破れた服を縫ってくれと頼むようにそう告げてから、マデュラはミレの返答を待つ。
「……鎮痛剤は、どの位効くんですか」
「それは歯科医用のロキソニンをベースに改良された軍用処方だよ。服用すると相当ハッピーな気分になれるが、連続で使用すると死ぬからな」
最後の言葉にミレは目を閉じて考えるが、彼女は無言のまま錠剤を掴む。そしてマグカップのココアと手の平に載せた錠剤に視線を行き来させるが、
「それは水無しで飲める、戦場に都合良く紙コップや飲料水は用意されてないからな」
マデュラにそう言われ錠剤を口に含み、ミレは細い喉を伸ばしながら嚥下する。若干の渋味とチリチリする何かを感じ目を見開くが、やがて視界が急に狭まり心臓の動悸が強く脈打ち始める。
「……寒くなくなってきたか? だったら薬が効いてきたか試してみろ」
マデュラは彼女に向かってそう言うと、自分の頬を平手で叩く仕草をする。ミレはボーッとしながら彼に従い、素手で自分の頬を強めに弾いてみる。パシンッ、と乾いた音が上がるがミレは全く痛みを感じない。
「よし、では……そこに立って、この辺りを狙って撃て」
貫通した後の跳弾を考慮しながらマデュラはそう促し、ミレに拳銃を手渡す。
「……マデュラさん、どの位稼げますか」
受け取りながらミレが上目遣いでそう尋ねると、彼は小さく頷いて答える。
「そうだな……その時々で変わるが、一日百五十万稼いだ時もある」
ミレがヒュッ、と息を飲む音を鳴らしてから目を瞑り、そして声を絞り出す。
「……宜しく、お願いします」
言葉と共に拳銃で服の袖を捲った左の上腕に狙いを定め、向こう側に弾が飛んでも危険が無い事を確認してから引き金を引いた。




