①初仕事
ミレは久方振りの緊張感に包まれていた。それは例えば初等学校で席替えになった時、隣に誰が来るのかといったものに近い。気になる男子が来てくれればと祈り、可もなく不可もない男子が来た時は複雑な気分になったものである。但し、彼に罪は無い。ついでに言えば気軽に話せるそんな彼の方が、話し掛けるだけでも緊張する相手よりずっと良いと知ったのは随分後になってからだが。
『気にするな、お前の役割りは変わらん』
ニセロにそう言われたミレだったが、マデュラと別れて以降ずっと独りで気ままにやって来た彼女である。気が乗らなければさっさと撤退したし、その気になれば幾らでも深追いしてきたのだ。だが、今日は違う。
「気にするな、好きに漁って来い」
リーダー役のガラルドはミレにそう言ってくれたものの、他人の視線に晒されると漁りに没頭出来ず何となく勘も働かない。しかし理由を口にする程ミレは世慣れしていないし、現場で男性を相手取って話した事も無いのだ。
(……好きに漁れって言われてもなぁ……)
やり難い事に彼女の一挙手一投足を見られている気がする(それは気のせいだとしても)し、更にここは戦場なのだ。他人の視線よりいつ敵対勢力が現れるかと思えば、緊張感も割り増しである。
しかし、仕事は仕事だ。各々の役割分担が決まっていて現場監督のガラルドから好きにしろと言われたのだ。
「……じゃあ……どうしよう?」
気を引き締め直し、ミレは自分が居る空間地域の事を考える。この辺りは戦前、企業の保養施設が軒を連ねるリゾート地区だったが、その界隈も戦火を免れなかった。そして今居る所は大きな通りに面した洒落た造りのコンドミニアムが並び、その一軒目の扉の前である。普通に考えればそのまま中に入るか、それとも更に大きな建物を漁るかである。
(……待って、戦場になった別荘地なんだから……普段は空っぽなんじゃない?)
バカンスに来ていた客が巻き込まれた、と考えても先ず有り得ない。金持ちがわざわざ休暇中に危険な場所に行くか? 余程の物好き以外居ないだろう。
では、この付近に何も無いのか……そう考えたスカベンジャーは数多居た。だが誰も高価な物資を持ち帰れず、保養施設は只の暇潰し場所と揶揄されてきた。しかし、ミレは腑に落ちない。何か、何か引っ掛かる。
(……例えばさ、脱税した金品を隠してたり……としたら、地下室だよね。でも、前に聞いた話じゃ大抵の別荘には地下室が有るらしいけど……全部調べる時間も無いし……)
……と、ここでミレは気付く。大抵の場所にある……なら、逆に他の地下室と違う特別なのがあったら……何が有る?
咄嗟に閃いたミレは普段なら決して使わない携帯を取り出し、リゾート地区なら繋がるかもと淡い期待と共に通話ボタンを押した。
『……珍しいな、スカベンジー中に電話とは』
「すみません、ニセロさん急いでるんです! もしかしたら近辺の建築申請履歴とかって調べられます?」
『……面倒な事を……高くつくぞ?』
電話に出たニセロが調べないなら諦めるつもりだったが、手間賃は高くなると答えを聞いた瞬間、探りを入れたつもりのミレはにやりと笑う。
「ふふっ! 断らないんですね……それじゃ、深く掘ったり地盤を固める工事とか……金をケチらないで地下室を掘った別荘を……」
ニセロとの通話を続けるミレを、ガラルドは周辺警戒を続けながら観察する。只の少女に毛が生えた程度の娘だが、妙な勘の鋭さはある。前の件もモデロがショットガンを撃ちまくったお陰で無駄な出費になったが、こいつは一発の弾も撃たず逃げ仰せたのだ。スカベンジャーとしてどちらが上か、子供でも判るだろう。
(……つまり、金の卵を産むニワトリの番犬って訳じゃねぇか)
大した美少女でもない小娘一人を、東側で散々地獄を見てきた自分がお守りするとは……そんな風に自嘲しかけた直後、ミレが通話を終えるとガラルドに向かってぺこりと頭を下げる。
「……調べたい番地まで走ります! それまで警戒とサポートしてください!」
「……気にするんじゃねぇ、それが俺達の仕事だ」
ガラルドがそう答えながら後ろに手を振ると、フェイスマスクを着けたモデロが無言でミレの脇から進む。そして前に出る寸前、東側訛りのキツい言い方でボソッと呟いた。
「……メスガキ、お前ぇが糞踏んだら俺達まで踏む事になる……判ってんだろぉ?」
「平気だよ、私も汚れ仕事はやってきたから」
「そういう意味じゃねぇっ! ボスの面に泥塗るような真似したら……」
ミレの返答にゴーグル越しの目がぐっと狭まり、糸のように細くなった視線が彼女を貫き更に激しい言葉が出そうになるが、絶妙なタイミングでボンゴが割って入る。
「……も、モデロ……さ、先に行くよ?」
「……ちっ、うるせぇ! フロントマンは譲らねぇぞ! おいクソガキ……番地は何処だ!?」
「番地って言うか……この二ブロック先に……」
まだ言い足りない様子だったが、ミレが示す場所に向かってモデロは舗装された歩道を駆けていく。
「あ、あの……別に大丈夫で……」
「……も、モデロって……ち、ちょっと血の気が多いから……ね」
ミレはボンゴに平気だと伝えようとすると、彼はそう言って少し耳を澄ませてから、
「……も、モデロ……つ、着いたよ……」
そう言って後ろを振り向く。ガラルドはその言葉に頷く。
「相変わらず仕事の早い奴だ、全く」
(……良く考えたら、この二人……何か変……)
目的の別荘に辿り着いたミレだったが、到着と同時に周辺を偵察し終えタバコに火を点けているモデロと、その煙を吸わないよう風上に移動するボンゴを見る。確かモデロが出発したのはついさっきだが、その短い時間で別荘の周りを見終わったにしては早過ぎる。だが、それもそうだがボンゴも複雑に入り組んだ道の先まで行ったモデロが、ただ物音を聞いただけでどうやって到着したと判ったのか。いや、そもそもそんな先の物音をどうやって聞き分けられるのか?
(……似てはいないけど、マデュラさんみたい)
何処か超常的、と言うべき理解不能な力がこの二人にも備わっている……
「よし、そいつを吸い終わったら仕事だ。地下室が何処にあるか探すぞ」
……きっと、その何かについてガラルドは知っている。だが、今は彼の言う通り地下室を探す方が先決だ。そうミレは思い直す。
「ボス!! 地下室だ!!」
庭と別荘の境目付近で芝生の踏み跡を調べていたモデロが巧妙に隠された蓋を持ち上げると、地下室の入り口が現れる。直ぐにガラルドとボンゴもやって来るが、モデロは口にはしないが明らかに得意げだ。
「確かにあったが、これの何処が目の色変える代物なんだ」
「それは見てのお楽しみ……なんですけど、うわっ! 変な虫っ!!」
早速地下室に繋がる狭い階段を降りつつガラルドが尋ねると、ミレは答える前にカマドウマやゲジゲジを見つけて飛び上がる。
「何だこんなもん……焼けば食えるぞ」
「奇食グルメでマウント取らないで貰いたいですっ!!」
そんな遣り取りも地下室の最下部に着くと鳴りを潜め、ライトに照らされる扉の鍵をガラルドが手際良く開錠……いや破壊し、ひんやりと湿っぽい空気に満ちた室内に踏み込む。
「……何も無い……いや、棚か」
ガラルドは一瞬落胆しかけるが、その視線が四つの壁面に設置された棚のカバーを捲ると一転する。
「……おい、嬢ちゃん……」
「はい?」
「……あんた、こいつがあるって知ってたのか」
ミレに向かって棚から取り出した黒っぽい瓶を突き出すと、彼女はニヤッと笑う。
「えー? だってお金持ちっていったら……ジャグジーと高そうなワインですよね? だからニセロさんに役所の端末をハッキングしてもらって、高額納税者で別荘に深い地下室の工事申請した記録を調べてもらったんです!」
「……で、あんたはこいつが何だか判ってるのか」
そう言って瓶のラベルに積もった埃を拭き取ると、そこには【ロマネ・コンティ 1984年】と泣く子も黙る印字が誇らしげに刷られていた。




