⑪祝杯
「……うひ〜っ、調子に乗って撃ち過ぎたぁ!」
ホテルに戻ったミレはスーツ姿のままベッドに身を投げて横にごろんと転がり、うむむと唸ってから音を上げる。
「バカだなお前は……あれだけバカバカ撃てば誰でも堪えるだろうに」
そんなミレにニセロは呆れ、しかしやんわりと笑いながら話し掛ける。
「そう言えばお前、もう十八歳になったろう」
「……そーですが、それが何か……?」
「なら、付き合え。祝いも兼ねて飲みに行くぞ」
ニセロからの思わぬ提案に、枕に顔を埋めていたミレは顔を上げる。
「ふえっ? 確かにそうですが……」
「保護者同伴なら問題無いだろ」
「ニセロさんは保護者じゃないです!!」
隣のベッドに腰掛け足を組み、ニセロがミレにそう告げるとちょっぴり筋肉痛気味の彼女は渋々従い、ちょっとだけならと付き合う事にした。
まだ他所行きの格好な二人はホテルのレストランに到着すると、ニセロは案内係に二本指を立てる。すると恭しくお辞儀しながら店内の静かな一角に案内する。こうした場に慣れているニセロに任せてミレは周りを眺めながらぼーっとしていると、食前酒ですとワイングラスに朱色の液体が注がれる。
「……今日は色々と世話になったな、ミレ」
「うわ、何だかこそばゆいぃ……」
「うるさい、黙れ……いや、それはともかく十八歳おめでとう」
「うわっ、もっとこそばゆいっ!!」
冗談か本気か判らぬニセロの言葉に、ミレは身悶えしながらワイングラスを掲げてから縁に唇を付ける。
「……ふむぅー、若い青葉と濡れたフェルトの臭い?」
「慣れない言葉を吐くな、みっともない」
見様見真似なミレの呟きにニセロは苦笑し、しかし何処か嬉しげである。そして昼に聞いた通り、ニセロはぐーっとグラスを上げて一息吐いてから給仕を呼び止めてボトルを頼む。やがて二人の前にワインと共に洒落た料理が次々と運ばれてくるが、冷菜やサラダの合間にエビワンタンや点心もちらほら見受けられ、このホテルが東海地域下に在る事を如実に感じさせられる。だが、ミレにはどれも久方振りに食べる冷凍食品以外の料理である。
「うわっ、これ美味しいぃっ♪」
ただ、この一言に尽きた。
「……久々に食べたな」
「うぅ〜、お腹いっぱい!」
色とりどりの多彩な料理を二人は残さず食べ終え、各々満足そうである。だが、控えめに気を付けながら飲んだミレと対照的にニセロは、旅の疲れもあるのか、かなり酔っているように見える。
「……なぁ、ミレ……私は怖い女か」
「何よ急に〜! 別に怖くないけど……」
「……そうか、なら……良かった」
かくかくと頷きながらニセロは呟き、ぼーっと天井に吊るされたライトを眺めて話し始める。
「……私は、スカベンジャーになれなかった……」
「だろうねぇ、あんまり向いてなさそうだもん」
「……だから、スカベンジャー達が無事に帰れるよう情報を集めてだな……おい聞いてるかミレ……」
「うん、聞いてるよ?」
そのまま次第に饒舌な口調になるかと思ったが、酔いもありその喋りはたどたどしい。
「……銃は、上手じゃなかったし……足も、遅くて……聞いてるか、ミレぇ……ぐぅ……」
だんだん途切れがちになりながら話していたニセロは、遂にかくんと頭を下げて眠ってしまった。
「……んんぅ、ああ……んっ?」
枕を抱いてぐっすり眠って居たニセロが目を覚ますと、いつの間にかホテルのベッドに寝ていた事に気付き暫く枕を抱えたまま記憶を辿ってみる。
……ミレと共にレストランに行き、彼女の十八歳を祝った。飲み慣れない酒で少しは面白い姿が見られると期待したが、美味い料理についつい飲み過ぎたのは自分の方……で、って……はて、その後どうしたのか……?
とそこで突然、バッ!! と身を起こしたニセロはベッドの上で白い羽毛布団を捲り、自分が着ていたスーツをいつの間にか脱いで下着だけで寝ていた事にやっと気付く。
「……いや、待て……うん、別に男と飲んだ訳じゃないからな、心配要らん……っ?」
だが自分が寝ている広い布団の片隅に、こんもりと一人分の膨らみが見える。それはきっとミレに決まっているのだろうが、床の上に自分とミレの二人分のスーツがあちこちに脱ぎ散らかされて見える。
「あー、うん……たぶんこれは……」
それなりに落ち着きを取り戻しながらニセロは考え、しかしどうしてこうなったのか判らないまま再び布団をべろんと捲り上げる。すると自分と同様に下着姿のミレが横たわり、脇腹なんぞ掻きながら寝ている訳である。
「おい、ミレ。一体どうして一緒に寝ている」
「……んぁ、おはようございます……」
「いや朝じゃない、まだ夜だ」
「……んぁ、こんばんは……」
「そうじゃない、とにかく起きろ」
時計の針はまだ日付けの変わらない時間帯である、ニセロはミレの脇に座ったまま背中をペチペチ叩いて事の経緯を聞き出す。
「……酔っ払ったニセロさんを、お店の方に手伝って貰って部屋まで運んだんです……」
「それでどうして服を脱いだ」
「……最初は、ニセロさんが脱ぐ脱ぐって言いながら……で、放っておいたら私にも、脱げ脱げって……」
彼女の為に弁明すれば、普段のニセロはそこまで酒に弱くないし乱れもしない。どうやら旅の疲れと責務を終えた解放感で、違う一面を曝け出してしまったようだ。
「……済まんな、本当に」
「……いいんですよ、いつもお世話になってますから……」
「ふむ、そうか……」
ミレから思わぬ世辞を言われ、ニセロは少し気恥ずかしくなる。それも普段は散々子供扱いしてきたミレからだからこそ、それらを含めニセロの心象は複雑である。
「よし、飲み直すぞ」
「……はぇ?」
「ほら、さっさと服を着ろ。出掛けるぞ」
と、何を思い付いたのかニセロはミレを抱えるとシャワールームまで運び、支度しろと言い出したのだ。
「ふえぇ……眠いぃ……」
「よし、冷水シャワーは目覚ましに効くぞ」
「や、やめてくれませんかねっ!?」
無理くりに準備を促すニセロに抗いながら、しかしミレは素直に従い脱ぎ散らかした服を掻き集め、二度目の飲み会に駆り出された。
「……ふむぅ、あれが名物二階建てバスですか」
「お前、あれが名物だと何故知ってる」
「だいたい二階建てバスって名物じゃないですか?」
「ですか、じゃないだろ……だが概ね合っている」
ホテルを出た二人は、まだ若干昼間の熱気を帯びた歩道を歩く。東海地域特有の湿気を伴う暑さは夜闇に打ち消されてはいるが、進む距離次第でいつでも顔を出すかもしれない。
見本市を開催している企業が在る東海地域は、大陸の東端に広がる元共産国家の経済特区を柱に発展を遂げた都市である。その文化的特徴は一言で纏めるなら【混沌】そのものだろう。町中でガソリン、電動モーター両方の移動車両が混じり合いながら渋滞を作り出し、その脇をリヤカーに食材を満載させて自転車が引いて行く。人も道具も、文化も貧富も関係無く寄せ集まり、多様性などと簡単には区別出来ない猥雑な都市国家を形成している。そして、その特殊性は街の様相にも良く表れている。
「……ニセロさん、あの建築現場……何か曲がってませんか」
「ああ、あれか。足場を竹紐組みで組んでるからだ」
「……バンブー?」
「東海地域じゃ良く使われる木材だ。良く曲がり良く粘り、軽くて安いから重宝されているが折れる直前まで兆候が出難いらしいぞ」
「何だか凄いですね……」
二軒目の店を目指して夜の街を歩くミレとニセロは、工事半ばの二十階建てビルの壁面を眺めてそんな話をする。やがて見慣れない字体のネオンサインが輝く一軒の店の前に着くと、ニセロは迷わず扉を開けて入っていく。
「……ここ、何屋さんなんです?」
「夜は酒を出す店だが、昼間は海老雲呑麺と海鮮粥で有名らしい」
「らしい、って来た事ないんですか」
「来た事ある訳ないだろう、知ってるのはタブレットに打ち込む検索ワードだけだ」
ニセロの説明に当てになるのやらと心配しつつ、ミレは歩いてきたせいで喉は渇いていた。その事を伝えるとニセロは店員に手を振り、
「……このラズベリースタウトを二つ、そしてこれとこれを頼む」
テーブル上のメニューを指差しながら注文すると、店員は微笑みながら現地語で何か言って立ち去ってしまう。そして直ぐ良く冷えたジョッキ二つと海老雲呑、海老小籠包が各々載った皿が運ばれてくる。
「……では、これからも大儲けになるように乾杯」
「ぷふっ、何ですかそれ……乾杯」
ニセロの言葉に軽く吹きながらミレもジョッキを掲げ、ほんのり酸味と甘みを感じる一風変わった発泡酒をくぅーっと飲み干す。果汁特有の爽やかな風味が苦さを緩和し、酒というよりも果実の香りを楽しむ雰囲気である。そして海老雲呑と小籠包はぷりっとした歯触りと柔らかな皮が弾ける食感が小気味良く、酸っぱいポン酢に付けて食べる度に再びもう一口食べたくなる。
「……良く食うな」
「だって、おいひぃれすよ?」
「だから噛みながら喋るな、みっともない」
ヒョイパクなリズムで交互に食べ、ラズベリースタウトと共に咀嚼するミレ、そしてそんな彼女をニセロはやれやれと眺めながらラズベリースタウトを飲み干す。
「……ところで、ミレ」
「……仕事の話れふか?」
「ブレない奴だな……」
見事にフォーク一本で食べ終えたミレに、ニセロが話し掛ける。そして続く言葉にミレは締めのデザート、ザクロゼリーのクリーム添えを返答と共に飲み込んだ。
「……悪い事は言わん、そろそろ単独行動から足を洗え」




