⑧袋のネズミ
望まない戦いという表現は存在するが、では自発的に戦いを望む事があるのか、という疑問が生じる。平凡で退屈な毎日に膿み澱んだ結果、戦闘未経験者が戦場に身を投じ上手く立ち回るなんてのは、お伽話の中だけである。
スカベンジャーは基本的に、戦闘を好き好んで選ぶ訳では無い。対立する意見同士が衝突し、結果的に武力で決着させる。その過程は避けられぬ場合のみ発生し、ミレのように荒事に近い環境で常に活動しながら、出来る限り戦闘に至らぬよう立ち回る方が生還率が高いのだ。
スカベンジャーは良く盗賊に例えられるが、有る意味でそれは一致している。索敵能力に秀で余計な戦闘を避ける点は同じなのだが、それでは現代戦に於いて個々の戦闘能力に差が有るのかと尋ねられれば……違いは大して無い。銃器に装填出来る弾種と装弾数、そして防弾チョッキの耐久性と着用者に必要な筋力が均衡を生み出し、そしてその均衡が崩れれば勝負が決まる。つまり、実に純粋な物理理論の結果に過ぎない。
「……はぁ、はぁ、はぁ……参ったなぁ……」
ミレは重い荷物を背負ったまま呟き、コの字型に囲まれた壁の間で息を整える。崩れかけたシャワー室の一角でそうしながら、外の気配を探ると追手は一時的に巻けたように思えるが、
「……そこまで簡単じゃないか……」
彼女は楽観視せず、更に逃亡する道筋を考える。ここは周囲を壁に囲まれているが、逆に詰められれば逃げ場は無い。ならば一刻も早く場所を変えるべきだが、ここまで一方通行だったからそれも難しい。
「……窓!」
咄嗟に閃いて明り取りの窓に飛び付き、そっとハンドルを回して階下を見る。装備を先に降ろせば位置を悟られず降りられるかもしれないが、複数追手が居れば外で見張っていて気付かれる可能性が高い。だが、戦闘は最終選択でまだ諦めるには早い。ミレは持ち物を思い浮かべ、最適手を選ぶ。
……鎮痛剤、筋力増強剤、精神緩和剤、滑車付きカラビナ、ロープ、インパクトグレネード、スタングレネード、スモークグレネード、スタンガン、ハンドガン……防犯アラーム、罠用ワイヤー、カモフラージュネット。
(……真正面から戦える装備じゃないから、待ち伏せて一回撃ったら即退却しか出来ないな)
持ち物を考えてミレはうむむと唸り、軽装で来た事を少しだけ後悔する。だが、ニセロに激戦区だと念押しされてもここを選んだのは自分だ。そしていざとなったら全速力で逃げれば何とかなる、と楽観していたのも自分だ。結果、確かに戦利品は多く手に入れたが引き際でしくじったのだ。
「……よし、迎え撃とう!」
全員倒せなくても良し、手負いにして撤退させられれば十分だ。但し、相手は自分以上に装備は整っている筈だ。
カサッ、と小さな物音に反応し先頭の男が立ち止まる。それが足元に撒き散らされた紙屑だと知り、用心深く姿勢を低くして視点を変える。
「……や、やっぱり、わ、罠だ……」
やや吃音気味で呟きながら後退りすると振り返り、
「……あ、あいつ……お、俺達を罠に嵌めようとしている……」
そう伝えて反応を待つ。
「判ってる、俺達が狙ってたPCパーツを持ち逃げした割りに慎重な奴だからな。ただ、しくじるなよ?」
「……わ、判ったよ……」
後続にそう言い捨てられ、先頭の男は俯きながら再び視線を低くする。すると、キラッと細く光るワイヤーが左右に何本も張り巡らされているのが見えた。
「……ひ、低い位置にワイヤーが有るよ」
「そりゃ体重が掛かればピンが抜ける奴だろ、触って張ってたら切れよ」
「……び、微妙な感じなのは?」
「……テンションが掛かってなけりゃダミーだろ」
答えに満足出来なかったのか、暫くそのままの姿勢で男は固まっていたが、やがて懐からプライヤーを取り出してワイヤーを挟み、一本目をパチンと切断した。
「……い、一本目は切れた……」
「二本目は跨いで通り抜けろ、どうせ最初が解除可能なら次はダミーだ」
相手の手を見透かすような二人目の発言に先頭の男が頷き、言われた通りに一歩前に踏み出すが、その足元の違和感で咄嗟に手を壁面に当てて荷重を抜く。
「……に、二段構えで……」
「頭の良い奴だな、爆発しなけりゃたぶんセンサーか。向こうに情報を与えたな」
「……こ、怖かった……」
一歩間違えれば爆死していた可能性に先頭の男は冷や汗をかくが、二人目の男は相手がトラップ用のグレネードを持っていないと確信する。
「ワイヤーを見つけたらマーキングしとけよ」
「……そ、そうする……」
互いにそう言い交し、先頭の男は細いスプレー缶でワイヤーの在り処をマーキングし、後続に注意を促す。
「……まどろっこしいなぁ、突っ切らせればいいだろ」
「あいつの目は確かだ。それにもし遅延爆破だったらどうする? 間抜け面晒しながら昇天出来るぜ」
「ちっ、面倒くせぇ……」
どうやら後続は二人居るらしく、続くもう一人は先頭の男を見下しているように思える。だが、彼の能力を認めている方にそう咎められ舌打ちしながら進んで行く。だが、先頭の男が手を挙げて後続の二人を制し舌打ちした男が苛つきを隠さず怒鳴り返す。
「てめぇ! 偉そうに指図すんじゃねぇ!!」
「……ド、ドアが閉じてる……で、でも紙屑噛んでる」
「だから何だってんだよ!!」
男の大声に一瞬身をすくめるが、しかし先頭の男は落ち着きを失わずに答える。
「……さ、さっき外から見たら……ま、窓閉まってた……今、きっと窓開いてる」
「な、何が言いてぇんだ……」
「……だ、だから中の奴……そ、外に逃げてるかも……」
「それを早く言えよ間抜け!!」
怒声と共にドアノブを掴んで捻った瞬間、あれだけ慎重に動いていた努力が一瞬で無駄になった。ドアがスッと向こう側に開くと同時に何かが足元から飛び上がり、激しい音と光が通路全体を包み込む。しくじった、と誰もが思いながら次に訪れる筈の熱波と衝撃に身構えるが……何も起きない。
「……す、スタングレネード……?」
「くそっ、舐めやがってっ!!」
先頭の男が咄嗟に頭を守る為に挙げていた腕を下げながら呟くと、まだ視界の中に強烈な光の余韻を残したままトラップを起動させた男が部屋に飛び込む。本来なら視界が回復するまで無闇に動かない方が良いが、頭に血が昇った男はそんな余裕も無い。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ!!」
そして叫びながらろくに狙いも定めずフルオートのショットガンを乱射し、辺り構わず拡散弾を撒き散らす。止めようとしても逆効果だろうと索敵役の男が静観していると、部屋の窓に向かって伸びたロープがスルスルと滑っていく。
「……あ、あれ……し、下に逃げてるかも」
「ちっ、面倒だな……お前、下に行って捕まえろ」
「……じ、じゃあ……そ、そっちは任せたよ……」
まだ乱射を止めない男の後ろで二人はそう話し合い、索敵役の方が廊下に出て階段に向かい、残った男は部屋に入ってまだ撃ち止めない男の肩を掴む。
「……いい加減にしろよ、弾が無駄になる」
「ああぁ!? 誰に向かって……」
「だから、頭を冷やせ」
いきり立つショットガン持ちの肩から頭に手を伸ばすと、ぎゅっと力を籠めた手がミリミリと後頭部に食い込む。
「……モデロ、俺は素直な奴が好きだ。判るよな?」
その万力のような強さで締められモデロと呼ばれた男はショットガンをガチャンと落とし、痛みから逃れようと無意識のまま手を掴むが、締め付ける指先はびくとも動かない。
「それでだ、モデロ……お前は俺の言葉が理解出来るか」
「……あ、ああ……」
「そうか、判ってくれたか。じゃあ、仕事に戻れ」
二人のボスらしき男にそう促され苦痛からやっと解放されたモデロは、ショットガンを拾って自分が破壊し尽くした室内を見回す。
「……悪ぃ、ついカッとしちまった」
「お前の良くない所だ、但し今はいい。逃げた奴が粉々になって……ないか」
二人で室内を見回してもやはり残されたロープの端が窓際に下がるだけで、他に何も見当たらない。しかし階下から索敵役の男が部屋の中の二人に向かって、
「……ネ、ネットだけ下にあって……だ、誰も居ない……!!」
大きくない割りに良く通る声でそう伝えると、次第に追われる側の狡猾さが判ってくる。どうやら相手は部屋の外に様々なトラップを仕掛けて時間を稼ぎ、その間にロープを使って階下に降りたようだ。
「何とも締まらないな、散々翻弄されて逃がしちまうとは」
「なぁ、まだ遠くに逃げてないんじゃないか?」
「判らんが、余り遊んでられねぇ。そろそろ掃除屋共がここら一帯に来る時間だ、ずらかるぞ」
掃除屋、という単語に反応したモデロが振り返り、心底嫌そうな顔になる。
「へいへい……判ったよ」
「ボンゴに伝えろ、手ぶらで構わんから帰るぞってな」
「……ボンゴッ!! 引き上げるぞっ!!」
モデロがありったけの大声で怒鳴りながら部屋を飛び出した後、独り残された男が立ち去り際に呟く。
「……良いトラップの使い方しやがる。まぁ、次に会ったらこうはいかないが」
(……諦めたって飛び出したら、待ってたりしないよね……?)
部屋のドアの裏側に隠れていたミレは漸く解放されたと思いつつ、しかし用心深く少し様子を見る。限られた時間の中でカモフラージュネットを半分に切り、片方はロープに結んで石を詰め外に吊るし、残ったネットに様々な紙屑や木片を絡み付けて被っていたのだ。
「……今しかチャンスは無さそうなら……使うか、これ……」
ミレはそう言いながら袖口を捲り、白い上腕を出すと筋力増強剤の尖端を肌に突き刺す。そしてギュッと側面を指で押し薬剤を注入させると効果が現れるまで……
「……うん、キタかも……ッ!!」
……ドクンッ、と脈拍が突然高まり視界がキュンと狭まる。それが急激な心拍数上昇とアドレナリン増加のせいだと判った瞬間、頭がクラリと揺れた気がするが構わない。
「……ふうっ、いつまで効果が続くのは……判んないけど……何とかなりそう!!」
自分に気合いを入れるべく大声でそう叫ぶや否や、あれだけ慎重に立ち回っていた彼女と別人の如く窓から階下に飛び降りる。そして一気に全速力で疾走し、そのまま脱出地点まで駆け抜ける。
……そして、精密機械のPCパーツを背負ったまま馬鹿みたいに走ると、ほぼ全てお釈迦になる事を知ってミレはPCパーツ絡みの際は二度と筋肉増強剤を使わないと誓った。




