⑥意外な事実
ガチャッ、と鍵を挿し込んでドアを開けてミレは直ぐ横にあるスイッチを入れる。そしてジ、ジジ……と僅かの間だけ燻ぶってから照明が点く。
新たなハンドガンを買ってミレがやって来たのは、マデュラから引き継いだ武器庫を兼ねた拠点である。以前母親と共に住んでいた場所はこことは違う断熱コンテナのモジュールに移し、生活とは別の用途の時しか訪れていない。但し母親に何かあったら直ぐ判るよう、短通信型の見守り端末は引いてある。心配だからそうしている筈なのに、いざ母親の様子を知る為に通話ボタンを押そうとすると、ミレは知らない内に胸が苦しくなる。
「……お母さん、起きてる?」
「……ミレ、起きてるわよ……ごほっ、ごほ……」
端末越しに呼び掛けると、母親は弱々しい声で答えて直ぐ咳き込み、そんな様子にミレは何も言わず落ち着くまで辛抱強く待つ。
「……薬じゃ、よくならないわ……自分でも、それは判る……の」
「うん、でも苦しいままじゃ治る病気も良くならないよ? お薬は必ず飲んでね……」
「……ああ、ミレ……あなたが、無理をしてまで……薬は必要無いから……」
「……うん、でもお母さんが苦しいのは、私は……」
母親の心情を判っているはいるけれど、ミレはそうとしか答えられない。もし逆の立場になればきっと、母親も今のミレのように手段を選ばず病魔の影を少しでも家族から遠ざけようとするだろう。
「……だから、薬だけは必ず飲んでね、絶対に……」
「……ごほっ、ミレ……そうね……」
だからこそ、母親はミレと押し問答をしてもいずれ素直に聞いてくれる。それが延命に繋がらず、ただ漫然と死への歩みを遅らせているだけだと互いに判っていても。
自分の母親と通話を終えたミレは端末の前で壁に肩を押し付けたまま、
「……お母さん、ミレは大丈夫だよ……お母さんが、苦しまないようになるなら……大丈夫だから……」
そう繰り返しながら、ずるずると硬い壁面で身体が傷付くのも構わず座り込む。
「……マデュラさんも、奥さんの為に頑張ってたんだよ? 私には、お母さんしか……居ないんだもん……」
そう言いながらミレはぽろぽろと涙を零し、自分の身体を自分の腕でぎゅっと抱き締める。そうして暫く壁に背中を預けてじっとしていると、不意にかっと目を開けて立ち上がり、ゴシゴシと袖で涙を拭きながら購入したハンドガンを袋から取り出す。
「……五億あったら、お母さん助かるかもしれない……うん、一億かもしれないし……だったら不可能な金額じゃないもん」
ぐしっ、と鼻を吸ってからハンドガンを提げて奥の扉を開け、真っ直ぐ伸びた通路の先に立つ的付きの鉄板を狙う。鉄板の後ろには砂の入った土嚢が積まれ、的から外れた銃弾があらぬ方向に飛ばないよう工夫されている。
「……サッカー選手だって練習しないで、プレミアリーグで得点出来ないもんね……」
その呟きを合図に、ミレの中のスイッチが入る。構える、撃つの動きの中に少しでも不純物が混ざらぬよう。ただひたすらそれだけを念頭に置きながら、弾倉の十七発と本体の一発を刻むようにリズミカルに撃ち尽くす。
「……うん、大丈夫! サッカー選手のPKは一回しか蹴れないけど、私は十八回も撃てる!!」
勢いに任せて叫びながらミレは空になった弾倉を交換し、続けてトリガーを引き最速で連射する。カンカンカンッ、と矢継ぎ早に銃弾が的に命中するが、彼女は満足せずまた新たに銃弾を用意すると弾倉に一発一発詰め、空になったシリンダーに一発装填する。そして弾倉に最後の一発を詰め直すと、再び速射の練習を開始した。
「……うーん、凄いかも! 今までこんなに集弾した事なかったな……」
良い買い物をしたぞと自画自賛しつつ、ミレは改めて新しいハンドガンに見入る。艶消し黒の武骨な外観とグリップより短い銃身はバランス感も良く、更に各作動部分の精度の高さが際立ちそれが集弾性に直結しているのだろう。そして何よりミレを惹き付けたのは……
「でも、ホントに軽い! 前の銃は重くて直ぐ手が疲れちゃったからな……」
かなりの弾数を試射したにも関わらず、ミレの小さな手の平にすっぽりと入るサイズと軽さで負担感は限り無く低い。これなら一発でも多く狙った場所に撃ち続けられるし、その精度も落ち難いだろう。
だが、こうして新たなハンドガンを手に入れて嬉々としているように見えるミレだが、母親の病状が改善しない事で彼女の精神は少しづつ疲弊していた。どれだけ高価な薬を与えても、母親はきっと回復しない。まだ四十代の年齢の割りに回復が見られないのは、彼女自身の持つ自己治癒力が必要水準に達していない事を示している。長期療養が出来る設備の整った病院に入れれば望みも有ったが、今の西側陣営の各国に一般市民を受け入れられる余裕のある公営病院は限られている。人の命の価値は残念ながら紛争のせいで極端に軽くなり、ミレの母親と同じような病状の患者は国中の至る所で病に苦しんでいた。
「……んっ、何の通知だろ? ……えっ、でも何で……?」
モヤモヤとした心中に目を背けながら試射に没頭していたミレだったが、不意にスマホの振動を感じてポケットに手を入れる。そして取り出したその画面に視線を落としていたミレは、予想外の相手が彼女と連絡を取りたがっている事を知って首を傾げた。
「ミレっ!! あんた随分稼いでるって話じゃない! 危ない橋渡ってんじゃないの!?」
「いやいや、そんな事無いですし臆病だから危ない橋なんて……」
久方振りに会った相手はミレにそう言いながら彼女の姿を眺め、ちょっと背も伸びたかもねと笑いかける。ミレの連絡先を調べてアポを取って来たのは、あの夜以来会っていなかったトクナレ姐さんその人だった。
「……でもさ、あんたのお母さん……結構具合悪いみたいじゃない。こんな世の中だから満足な治療も出来なくて辛いと思うけどさ、自棄になるもんじゃないよ?」
「そうですね、はい……」
トクナレはどこで聞き入れたのか母親の事を気遣い、そんな彼女の言葉にミレは涙が出そうになる。初めて会った時も何かとミレに声を掛けてくれたが、荒っぽい稼業の割りに元々の人柄が良いのだろう。
「まあ、それはともかく……ミレに教えときたい事があってね。ここじゃ何だから、うちの事務所で話そうじゃないの!」
「……? そうなんですか、でしたらご一緒します」
推しに弱い性格だからか、トクナレにそう勧められてミレはその提案に従う事にする。それに母親の病状の事から少しでも気持ちが離れた方が良いかもと思ったのも事実で、そんな自分の心情が彼女の中で僅かに燻ぶったが。
「ま、狭いとこだけど座ってちょうだい!」
「いえ、そんな事ないですよ……あれ、ターポンさんは?」
「んー? あいつかい? 車両絡みの野暮用で出掛けてるよ」
ミレが通されたトクナレの事務所は、ステーションから離れた工場が密集した地域に在った。まだ若いミレには余り縁が無いそんな場所にその事務所は古い自動車整備業の看板を出していたが、
「……えっ!? あれ装甲車じゃないですか!?」
「そうだよ、民間払い下げの奴さ。機関銃は外してあるけど整備は欠かしてないからね! その気になりゃタクシー代わりで迎えに行けるさ!」
二階の事務所の窓から下を覗いたミレが声を上げると、トクナレは自慢げにそう説明する。周囲の目を遠ざける高さのフェンスで仕切られた敷地内には、装甲車や例の四輪バギー、そして巨大なタイヤを履かせた四輪駆動車等、更に物々しい見た目の様々な車両が整然と並べられていた。そんな光景に目を見張っていたミレが事務所の各所に置かれた椅子に座ると、トクナレは用意していたポットから香りの良い紅茶をカップに注いで彼女の前のテーブルに置いた。
「……ところで、お話があるって聞きましたが……あ、この紅茶凄く香りが良いです!」
「そうかい! ま、今じゃそうそう手に入んない物だからね……悪くないだろ?」
相当高い物なのか、一口含むだけですーっと気品の良い香りが広がる一級品らしくミレは素直にそう褒めた。
「まあ、紅茶は冷めないうちに飲んで欲しいからさ、話のついでで構わないけど……これを見て欲しいのさ」
だが、トクナレは茶飲み話がしたかった訳では無いようで直ぐ本題に入る。彼女はミレの前のテーブルに数枚の書類を並べると、それを読むように促す。
「……これ、マデュラさんの政府内調査書じゃないですか!?」
「ああ、そうさ……でも別にマデュラが怪しいと思って嗅ぎ回ってた訳じゃないのは信じてくれな」
ミレはその内容に驚くが、トクナレはそう言いながら入手した経緯を説明する。
「……元々はね、ターポンに古い軍用車両の競売入札について調べさせてたんだけど……その入手先ってのが紛争中に鹵獲(敵の投降等の理由で無傷のまま車両を手に入れる事)されたらしくて、その時に投降した東側兵士の一人ってのがマデュラだったんだよ」
「確かにマデュラさん、自分でも東側から亡命したみたいな事を話してましたが……装甲車ごとだったなんて一度も聞いてなかったです」
「だろうね……一応、投降した兵士は箝口令に従わなきゃ駄目だろうし」
マデュラに対する新たな情報の意外な出所にミレは驚くが、何故そんな重要書類が漏れ出てきたのか興味が惹かれたのも事実である。
「でも、軍関係の重要書類が漏れるって珍しくないですか? あんまり聞いた事無いです」
「まぁね、でもこの書類に関しちゃ単純な仕舞い忘れじゃないかねぇ……意図的に漏らしたってんなら別だけど」
と、そこまで互いに思いつきを口にしていた二人だったが、トクナレが意図的にと言った瞬間、ミレとトクナレの視線が交差する。
「……意図的に漏らした? わざわざそんな事して……何か得になりますかね」
「そりゃ……こうやって公的な文書に載りゃあ、色々な意味で裏付けになって……」
「それじゃ、マデュラさんがわざと捕まる為に軍用車ごと降参したみたいじゃないですか……」
「……本当に、マデュラは投降したのかね」
「どういう意味ですか?」
「……本来、国境を越えられない事情持ちだったとしてさ、軍用車両ごと投降したら鹵獲した車両に注意が向いて……マデュラって人物の偽造された身分証明書だけであっさり西側に来れる……て筋書きも作れるだろ」
余りにも突飛な考えに互いの顔を見合う二人だったが、記憶の中のマデュラが本当にマデュラという人物なのか、その真贋を見極める方法は結局思い付かなかった。




