①見覚え
ミレの母親の症状は好転しなかった。無論、闘病に必要な投薬費用はミレの収入から見てそこまで高額では無かったが、医師の定期的な診察が望めない現状では仕方なかった。
日々の生活に支障は無くても、元気だった頃とは比較出来ない程ミレの母親は衰弱していた。だが、それでも二人は頼りない配給を命綱にしながら不安な日々を暮らすより、今の生活の方がずっと幸せだった。
「……でも、ミレ……お母さんはあなたが危険な目に遭うのは凄く苦しいの……」
「判ってるよ……お母さん」
蛍光灯の明かりに照らされながら、そう告げる母親の顔は青白い。元看護士だった彼女にしてみれば、自分の症状が回復出来る見込みの低い状態だと理解出来る。だからこそ、死に近い彼女の為にミレが命を張ってまで投薬費用を捻出する事が苦痛なのだろう。
けれど、ミレはそんな母親の心情と娘として少しでも快方に向かって欲しい気持ちで板挟みになりながら、今日も戦場に出掛けるしかなかった。
「……じゃ、行ってきます」
ミレの言葉に母親はただ無言のまま、ギュッと両手で彼女の手を握り締めて頷いた。
銃は万能な武器ではない。撃ち方を知らなければナイフ等より扱い辛い上、銃弾も無闇に乱射すれば簡単に負債を抱えかねない。そもそも一発の銃弾ですら、安価な糧食より遥かに高いのだ。
ごりっと固く締まったシリアルバーを噛み砕きながら、ミレは眼下で繰り広げられている銃撃戦を眺めていた。勿論これも仕事の一つで、今回はニセロに頼まれた戦況調査の為である。東方の部隊と西方の部隊が衝突した際、どちらが有利に戦えるのか調べる事は重要なのだ。
(……そうは言っても西側が強い方が有り難いけど……)
曲がりなりにも自分達が住んでいる西側の部隊が脆弱だと、政府に非協力的なスカベンジャーと言えど気が休まらない。戦利品を抱えて帰還したら国が無くなっていた、なんてのは悪い冗談にも程がある。
しかし、ミレにとってはスポーツ観戦に近い感覚で見物している訳で、更に反対側の高層マンションの廃墟には東側に属していそうなスカベンジャーの姿が見え隠れしている。皮肉な事に東西各々のスカベンジャーは水面下で繋がっていて、現場で縄張り争いをしているのは同じ陣営側のスカベンジャーの方が多いのだ。
「……うーん、すっかり膠着してるなぁ……」
今回の戦闘は両陣営共に武装車両の投入も無く、いまいち決め手に欠ける戦況だった。地理的な問題なのか、戦闘機を用いた空爆が行われないまま地味に撃ち合いを続けている。時折、負傷した兵士が後方に移送されはするが即座に新しい補充兵が配置される。その様子はまるでリアルなゲームのように見えるが、ゲームと違うのは現場で血を流して倒れる生身の兵士が居る事だ。
「ふああぁ、退屈……」
しかし、ミレにとって所詮他人事である。爆風に身を焦がしながら兵士が倒れようと、彼女には余り関係無い。戦況を眺めながらタブレットの画面を操作し、キルレートの数値を変える単調な作業にも飽きてきた。
と、そんな風に欠伸をしながら眠気と戦うミレだったが、事態が突然急変する。西側兵士の中から着弾の波を掻き分けるようにしながら何か飛び出し、銃で応射しつつ次々と相手を撃ち倒す兵士が現れたのだ。
「……何、あいつ?」
咄嗟にミレはタブレットを数値入力から動画撮影に切り替え、豆粒程度の兵士の姿を捉え続ける。だが、何か心の何処かに引っ掛かる。それがささくれのようにミレの心中をざわつかせたが、
「そうだよ……マデュラさんに似てる……!!」
無意識に口から溢れた言葉に自分でも驚くが、無論死んだ筈のマデュラが蘇る筈無い。それは彼の葬儀に立ち会った自分自身が良く知っている。だが、それでもミレの眼下の兵士とマデュラの動きが時折似通って見えるのだ。どうしてそう見えるのか、それが知りたくなりタブレットを向けながら凝視すると……
「……っ!? 今、視界の外を狙ってた……」
そう、以前幾度か目の当たりにした気がするが、マデュラもあの兵士と同様に背後の敵を撃っていた。一体どうしてそんな事が出来るのか判らないが、視覚の範囲外にも関わらず的確に狙い撃ちしている。例えばHMDに投影させた背後の画像で視野外の状況は判るかもしれないが、その場所に銃口を向けて撃てるかは別の問題だ。銃身にセンサーを取り付けてHMDとリンクさせれば可能性は有るが、それを走りながら或いは他の兵士と撃ち合いながら出来るのか。
だが、今の状況をもっと把握しようとミレが立ち上がりかけたその時、突如多数のスモークグレネードが戦場にばら撒かれて白煙を撒き散らす。そしてあっという間に視界が妨げられた隙を突いて、例の兵士が逃走を図る。その一部始終を見ていたミレは急ぎ降りようとするが、
(……行って、どうしたいっての……)
ぎりっ、と歯を食いしばりながら足を止め、白煙が晴れるまでその場に踏み留まった。
「……成る程、成る程……ね」
すっかり日が落ちてから帰還したミレが報告の為にニセロの元に戻り、彼女に事の一部始終を伝える。そしてタブレットの動画を再生させながら例の兵士について説明すると、ニセロは意外でも無いと言いたげに話し始める。
「……こいつは西側陣営から【ニンジャ・ソルジャー】と呼ばれていて、過去に何度か報告が上がっている」
「そうだったんですか……何だ、知らないのは私だけだったの……」
「そうぼやくな。こいつの事を知っている奴はそう多くないし、何より動画で残された記録自体が貴重だ」
ニセロが貴重、と言った瞬間、それまで俯き加減で落ち込んでいたミレの表情が一転する。
「じゃあ! これ高く売れない!?」
「バカな奴だな、西側陣営に何と言って売り付ける気だ? あんた方の負け試合を録画してたらニンジャ・ソルジャーが映ってたとでも?」
「……あ、そっか……」
出来るなら外部に漏らしたくない劣勢の動画である、どんな理由を付けても西側が買い取る訳も無い。そうニセロに補足されてミレは再びしゅんとするが、
「……でも、この兵士……マデュラさんに似てたんだ……」
そう付け加えるミレの言葉に、ニセロは一瞬だけ表情を変える。
「……マデュラ? ああ、お前の元仲間か……だが、こいつの何処が似てたんだ」
「何処、って言われると難しいけど……何だか、同じ匂いがする感じ、かな……」
「お前、犬みたいな事を言う奴だな」
ミレの妙な説明に少しだけ困惑するニセロだったが、続くミレの説明を聞いて再び表情を変えた。
「うんと、何ていうか……先の先まで全部見えてたりする感じが似てるかな……でも、マデュラさんは死んじゃったけど」
先の先が見えてた奴が死ぬもんか、と呆れかけるニセロだったが、録画されていた動画が再び再生されて【ニンジャ・ソルジャー】が背後や死角に銃口を向ける度、彼女の表情は仮面のようにみるみる強張っていった。




