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百合っと皇女の猫  作者: WAKA
15/36

アヤクリ 8

全ては皇妃様の一言から始まった。


「それでね、クリステルのためにマッサージ師を雇おうと思っているの」


 その言葉に私の思考は停止した。


どこの馬の骨とも知れない奴が、あの可憐な肌に触れるだと。

クリステル様は野道の奥でひっそりと咲く白百合のように繊細かつ美しい。気安く触れようとすれば、その茎はポキリと折れてしまうだろう。


「え、ええとその」

「あの子、この前も疲れて倒れそうになったでしょう? だから毎日体に疲れを溜めないように、マッサージしてくれる人を探そうって」

「あ、奥様」

「誰がいいかしら、国で有名なマッサージ店はたしか――」


両手を合わせて考え込む皇妃様に、私の声は届いていない。

ここは押さねば。


「奥様!」

「あら、驚いた」


 しまった、思わず声を荒げてしまった。

 クリステル様の肌に誰かが触れると考えてしまっただけで私は。


「アヤメちゃんどうしたの?」

「その、マッサージ師のことですが。クリステル様はなんと?」

「まだ話していないけど」

「では早急な判断はどうかお控えに、クリステル様はマッサージがお嫌いかもしれませんし」

「クリステルはマッサージ大好きよ。小さい頃はよく私がしてあげていたのだけど、とっても気持ちよさそうだったわ」

「で、では奥様がクリステル様にしてあげてはいかがでしょう? そうすることで親子の絆も」

「皇帝と私ね、しばらくお仕事で国外へ行かないといけなくなったの」


 がっくりと膝が崩れ落ちる。

 嫌だ、クリステル様の体には誰も触れてほしくない。

マッサージ師とて人間。クリステル様の体を前にして正気を保てる保証はない。肌に触れるうち、変態的所業に及ぶのではないだろうか。風紀紊乱な世の中だ、可能性はある。

もしマッサージ師を見かけたら、私は刀を抜くのではないだろうか? 


「今アヤメちゃん面白いこと言ったわね。マッサージすることで絆を深めるとか」

「・・・・・・いえ、それは」

「ならアヤメちゃんにお願いしようかしら」


 ハッとして顔を上げると。満面の笑みの皇妃様がいた。


「私にそのような技術は」

「私がきちんと教えてあげるわ。じゃあ今夜私の部屋に来てね、まずはあなたに整体の素晴らしさを体験してもらいますから。体で覚えてもらうわよ」


 ふふふ、と口元に手を添えて上品な笑みを零しているが。笑顔が怖い。


「ご教授いただけることは光栄でございますが、マッサージは・・・・・・私はくすぐったがりで、体を触られると」

「なら仕方ないわね、今すぐマッサージ店に電話を――」

「やります! やらせてください!」


 

・・・・・・・・・・


 翌日、早朝。


 時刻は午前五時。その時刻特有の青白い光が城の廊下に漂っていた。


 私はおぼつかない足取りで自室へと向かっている。


 皇妃様のマッサージは気持ちよかったというよりは、くすぐったいだけで終わった。指で押されるとすぐに体を硬くしてしまう私を見て、面白がった皇妃様は一晩中それを続けた。体に弛緩と安らぎをもたらすはずのそれが、ただの苦行だった。


「あれ、アヤメちゃんだ」


 見るとルリが城内の庭園で顔を洗っていた。


「ルリか、早起きだな」

「うわ、どうしたのその顔。ゲッソリしてるし、なんかフラフラしてない?」

「夕べちょっとな」

「夕べ?・・・・・・そういえば、一晩中アヤメちゃんの笑い声が響き渡っていたような」

「そうか? 犬か何かの遠吠えと聞き間違えたのではないか?」

「う~ん・・・・・・そうかも。えへへ」

「ははは、では私は部屋に戻る。あと数時間で仕事だ」

「え!? 今日仕事するの」


 ルリは目を丸くした。


「っていうか何してたの? すっごい疲れた顔」

「マッサージの秘術を伝授されていた」

「なんのために?」

「クリステル様のためだ。私がマッサージを請け負うことになってな」

「うはっ、エロいやつだ! エロいやつでしょ?」

「軽々しいことを言うな」ボカ

「きゃあっ、痛い! アヤメちゃんひどい!」


なぜマッサージと聞いただけでこうなる。

ルリの思考の半分は卑猥で、できている。まあ、年頃であるから興味があるのだろうが。道徳的大敗は否めない。


「私とクリステル様はお前が考えるよりも清い関係なんだ。そのように目を輝かせても無駄だ」

「とか言ってしょっちゅうイチャイチャしてるくせに。キスだけで満足しちゃってるの? その先が怖いだけじゃないの?」

「うるさい」ボカ

「ぎゃっ」


・・・・・・・・・



 その日の夜。クリステル様の部屋に戻ると――


「アヤメさんお帰りなさい」


 清らかなクリステル様が、慈愛溢れる笑みと共に両手を広げている。

 ああ、尊い。

 私は歩み寄ってクリステル様の肩にそっと顔をつけた。

 細い手が背中に回って抱きしめてくれる。彼女の甘い香りと体温が、徐々に私の中に入ってくる。


「クリステル様、会いたかったです」


「私もだよ。離れ離れで寂しかった」


 欲しかった言葉を言ってくれる。私だってとても寂しかった。

 クリステル様の肩に手を回す。こうして抱きしめると、世界から囲っているようだ。誰にも触れさせない、渡したくない。


「ここに勤める以上、こういうことはあるものと覚悟していましたが。あなたに会えない一日が長くて」


「長かったね。頑張ったね」


 頭を撫でられてこそばゆい。


「とりあえず湯あみをしてきます」


「お風呂? じゃあ私も」


 クリステル様は私の元を離れ、箪笥からタオルを二枚取り出すと、再び小走りで戻ってきた。


「一緒に入りましょ」

 


 

 湯につかると、どっと疲れが出た。うぅ、眠たい。


 いや、駄目だ。まだ眠るわけにはいかない。


「あの議員さんたら会議中にお菓子の話ばかりして――アヤメさん?」


「・・・・・・」


この後控えている任務がある。皇妃様から直々に手ほどきを受けたマッサージ。やがて来る本番のために頭の中で何度もイメージを繰り返す。お風呂から上がったらすぐに――


「お、おーい。アヤメさん」


「っは、はい。なんでしょうクリステル様」


「もしかして凄く疲れてない? 顔色が」


心配そうな顔をしている。

クリステル様は人を気遣う優しい方だ。だが、今はいけない。私のことで心労になるなど、あってはならない。

 額に伸びるクリステル様の手を握る。


「いいえ、問題ありません」


「でも、目の下に隈ができてるみたいだよ」


「気のせいでしょう」


「そうかなぁ」



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