母の墓前で
エドはこのいくつかの寂れた建物が何に使われていたものか知っていた。
セインが物心つく前、20年ほど前だ。
今は失脚し、他国へ亡命してその地で亡くなった当時の大統領。その当時の国家のトップが目に付けたもの。
それは超能力者といわれる人たちの能力。
念力。透視。予知能力。テレパシー。瞬間移動。念写。
科学では合理的に説明できない超自然な能力。その力を持つ人たちは常人には出来ないいろんなことを実現することが出来る。多くの人たちがそれはファンタジー小説、映画などのフィクションの世界の中のことでしかないと思っているが、当時の大統領はそれが現実に存在するのだと信じている少数派のひとりだった。
噂によると彼の身内の一人がサイキックだった。彼はその能力を軍事力として利用できないかと考えた。最初はその身内ひとりの能力を確かめるために秘密裏に組織された養成所だったのが、そのうち国内から超能力者だと思われる人たちを集める機関に変貌を遂げていった。
莫大な報奨金に目がくらみ、または貧しい家族を養う為に、その力があると思われる人たちが自ら志願し、またはその意思もない人たちを政府が半ば強引に連れ去ることもあり、その能力があると思われる家族や身内を望んで養成所に入れる人たちもあった。
(狂っている。)
当時の政情を思い出し、エドは胸の中が苦い思いで一杯になった。
結局は、人を人とも思わない政治だ。誰にだって多かれ少なかれ少しばかり特殊な能力がある。それだけのことだ。それを軍事力に使おうだなんて。人は道具ではない。
黙り込んだエドを心配してセインは声を掛けた。
「運転変わろうか。」
その言葉にはっとしてハンドルを握りなおしたエドが、
「いや。大丈夫だ。それよりどこかで花を買っていかないと。」
アメリアの墓前に供える花の心配をし始めた彼に、
「あ、買ってあるよ。」
後部座席に首を回すようにしてセインが応えると、
「おまえ。気が利くな。」
やっとエドが笑った。
市街地の入り口付近に位置する集合墓所。
整然と車が並ぶ駐車場に車を停め、なだらかな丘に点在する墓の群生をふたりは見上げるようにして眺めた。
「今年も来れてよかったな。」
エドが呟くと、セインも黙って頷く。
枯れた芝生の上をエドが花を抱き、セインが水差しを持って後に続く。
丘の中腹にアメリアの墓があった。寒い季節、他には墓参りをする人の姿も見えない。
「アメリア。来たよ。」
エドが声を掛け、墓石の前に花束を置く。セインが水差しを差し出すとエドが黙って受け取り、その中に花を挿した。
薄い紫のトルコキキョウ。薄いケープを幾重にも重ねたような淡い色合いの花は、落ち着いた大人の女性を連想させた。母が好きだった花だという。母もこの花のような優美な女性だったのだろうかとセインはふと思った。
花を墓前に置き、ふたり並んで頭を垂れ、瞼を閉じる。セインにとって物心つく前に亡くなった母に対しての想いというものは、実際にはあまりない。親と呼べる人物はエド、ただひとりであり、この冷たい石の墓標の下に眠っているのがお前の母親だと言われても実感として感じられるものが何もないのだ。
声を掛けてもらった、抱いてもらった、服を着せ、食事をさせてもらった。そういった思い出がひとつも記憶に残っていないセインにとって、母親がどういうものなのか全くわからない。
だからこうやって墓に参ることは、本当はエドの為、エドとの共通の思い出を作る為なのだとセインは思っていた。
「母さんってどんな人だったの?」
幼少の頃は、多分こんな質問は何度もしているだろうが、あえてもう一度聞いてみた。
「そうだなあ。綺麗な人だったよ。」
エドは目を細め、ゆっくりと息を吐いた。遥かかなた昔に思いを馳せているようだ。
「おっとりとして優しくて、でも凄く芯の強いところがあって。」
「幼馴染だったんだよな。」
「ああ。」
エドはそのまま思い出に浸るように目を閉じ、墓前の前でじっとしている。
言おうかどうしようか躊躇したがセインは声を掛けた。
「エド。」
「何だ。」
目を開けてこちらをみたエドの顔は穏やかな優しい表情だった。母のことを思っていたのだろう。エドが今でも母を愛しているのだとセインは思った。
「何故母さんは死んだんだ。」
その質問をするのは初めてではない。子供の頃、無邪気にエドの足にまとまりついて、何度もその質問をしたような気がする。最も子供の頃は「死」とは何なのかわかっていないから、多分母さんはいつ帰ってくるのだとか、どこへ行ったのかとか、何故帰ってこないのかとかそういった質問を繰り返したのだろう。
エドは目を逸らし、心を読まれまいと硬い表情になった。セインも無理にエドの心の扉を透かし見ようとはしない。
彼自身の口から聞きたかった。いつか。母が死んだのは何故か。一度聞いたことがある。
〝アメリアが死んだのはあの男のせいだ。
〝あの男。〟
セインの本当の父親。
「今度話すよ。」
最愛の人の墓前で話す話題ではないとエドは判断したようだ。それとも、セインに真相を伝えることを迷っているのか。そうとも取れる。
真相を知りたい。だけど、聞かないほうがよいのかもしれない。
セインはそう思った。
聞いたとして、母が戻ってくるわけではない。
どうしてこの町を出たのかも聞いてみたかった。だけど、母の死の真相を話してくれないエドが、この町を出た理由をも教えてくれる確率は少ない。
セインはエドの心中を思った。
つらいことがあったのだろう。
それはわかっていた。墓前をじっと見つめる硬い苦渋に満ちた目を見ればわかる。
まあ、いいか。
セインは思った。
エドとの静かな生活。それだけでいい。
特殊な能力を抱えながらも、今は、自分の好きな道を歩んでいる。それに。
セインはふと、ミルフィーユの柔らかな金髪と明るい緑の瞳を頭の中に思い描いた。ふんわりとしたあの感覚。いっしょにいると暖かい海の中を漂っているような浮遊感に、変な安心感を得る。こんな思いは初めてだった。
〝だからさ。それが恋なんだよ。〟
エドが言った。
〝恋。この気持ちが。〟
母さんとエドもこんな気持ちだったんだろうか。でも、何故エドは母と結婚しなかったんだろう。また、セインの胸に疑問がふつふつと沸いてきた。
だけど、今日はいい。
また今度だ。
エドがいつか話してくれるだろう。
セインはエドの肩に手を置いた。
エドは振り返り、セインの笑顔を見て同じように口の端をあげた。
「しかし、寒いなあ。途中で暖かいものでも食べていこうぜ。」
エドは寒そうに身体を震わせ、その様子を見たセインはほっとした。
「ボルシチが食べれる店があったよな。」
「おお、ロシアンか。ウォッカでも飲みたいところだ。よし、それでいこう。」
ふたりは立ち上がり、枯れた芝生の斜面を降りていった。




