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母の墓参りに

「紅葉と雪の組み合わせってすごいな。」

 誰に言うともなしに、セインは呟いた。開け放した窓から、エンジや深緑に彩られた木々、そしてその向こうの頂には真っ白な冠を被った山が見える。

 「寒いぞ。閉めろよ。」

 エドガーが不機嫌そうな声を上げる。

 その声を無視して、セインは窓から乗り出すようにして外の空気を肺に入れる。

「受動喫煙って知ってる?」

「何だ?それ。」

「人が環境たばこ煙に曝露されること。」

「難しいこと言うなよ。」

「だから、ひらたくいうと吸いたくもないたばこの煙を吸って、吸っている本人より害をうけているってこと。」

 エドがタバコを吸うこと。しかもひどいヘビースモーカー。子供の頃からセインにとってエドのひとつだけ嫌なところだった。だけど、当の本人は気にしているふうもなく、セインの前でもスパスパと遠慮なしに吸っている。

「はい、はい。すいませんね。」

 それでもエドは吸いかけのタバコを灰皿に押しつけて火を消した。


 もうすぐクリスマス。アメリア、そう、セインの母親の命日がやってくる。年に一度、セインはエドと共にアメリアの墓参りにこの地方を訪れる。彼らふたりにとっても、ここは出生の地であり、思い出が一杯詰まった故郷。だけど、アメリアとの忘れえぬ思い出と共に、胸を痛める悲しい想いが置き去りにされている地でもある。

 セインはエドの横顔をちらりと眺める。いつもと同じ落ち着いた様子で鼻歌なんぞ歌いながらハンドルを握っている。

〝ここへ来ることは母さんのことを思い出してつらいのではないか。幼い俺を連れてこの地を出たのはどうしてだったんだろう。〟

 エドは幼いセインを連れてこの地を出た。何故故郷を離れたのか。何故セインを引き取ったのか。詳しいことは何も彼の口から聞くことはなかった。

 ただ、年かさも離れていないセインのことを、兄のように見守り、育ててくれた。

「で、どうだったんだ?」

 紅葉と雪に彩られた山道を走りながらエドが尋ねる。

「何が?」

 セインには彼が何を尋ねているのかわかってはいたが、わざと惚けて見せた。

「何、惚けてんだよ。」

 それを聞いて、セインはやれやれといったふうに首をすくめた。

「ミルフィーユだよ。」

 この間彼女を送っていったことを言っているのだ。

「別に。」

「別に、ってことないだろ。あの後、どこへ行ったんだ。ちゃんと送っていったのか。」

「ああ。ちゃんと彼女のアパートの前まで送っていったよ。」

「それで。」

 エドはそれ以上に何かを聞きだしたい様子で、身を乗り出すように助手席のセインの方に身体を傾けた。

「危ないよ。ちゃんと運転しろよ。」

 慌てて彼の身体を運転席の方へ押しやると、エドは納得したように頷き、

「まあいいさ。ちゃんとやれよ。」

「何?ちゃんとやれって。」

(ミルフィーユ。いい子だろ。お前にあうんじゃないか。つきあえば。今までの子は長続きしなかったけど、ミルフィーユなら大丈夫なような気がするし。)

 ミルフィーユのことを話題に出され、焦ったセインの脳にエドの声が響いた。

「なっ。」

 絶句したセインに、

「読むなよ。人の心を。」

 鼻歌を歌うように軽い口調でエドが言った。

 いつもなら少なからず動揺するくせに、読んで欲しいときだけ、俺の能力を目のあたりにしても余裕をかますんだから。セインは憤慨した。

 でも、エドが心配してくれていることはよくわかっていたから、それ以上は何も言わず黙っていた。


 人に触れると電流が走るように身体に痛みが走る。何故かはわからない。思春期を過ぎた頃からだと思う。好きな女の子ができる。その子に触れてみたいと思う。ごく自然な感情に身を任せようとしても、その肌に触れると、その身体を抱きしめると痺れるような痛みが身体を突き刺すし、それ以上進むことが出来ない。本当に心を開いて付き合いたいと思う相手に対して、自分の内に恐れと理解してもらえるだろうかと疑う壁のようなものがあるのかもしれない。セインはそんなふうに自分の特異な力に対して理解していた。だけど、どこか諦めきれない思いで一杯だった。

 人に触れたい。触れて欲しい。理解したい。理解して欲しい。だけど、人が怖かった。

 好きな子ができるとその子の心を知りたいと思う。だけど、知ってはいけないこともたくさんあった。知ったばかりに心が離れていくこともあった。恋をすると人は相手の心を知りたいと思うが。本当は知らないほうがいいのだと思う。

 苦しくてセインはいつしか恋をすることをやめた。人に対して心を開くことが怖くてたまらなくなった。

 それでも、唯一エドはセインにとって親であり、理解者であった。

「心を読まれると確かにびっくりする。知られると困ることもたくさんある。だけど、もし俺がどんなにいろんなことを思っていても、根っこの部分では、俺はお前を愛している。アメリアの子供だから。いや、今では彼女の子供でなくても俺はお前を愛している。だから俺を信じて、何でも話してくれ。」

 思春期を迎えた不安定な時期にあったセインにエドはそう言ったことがある。

 セインは今でもその時の言葉をはっきり覚えている。それが折れそうな心を今でも支えてくれている。


 同じような山道の単調な景色が続いていた。時折、反対車線を走る車が通り過ぎる。

「あの後、橋の上で弾き語りを聞いた。公園に寄って、スタンドでココアを買って、それを飲みながらミルフィーユの家まで送っていった。」

 セインは口を開いた。

「ふうん。いいじゃん。」

 エドは満足そうに口の端をあげた。


 ずっと手を繋いで歩いた。痛みは走らなかった。代わりにふんわりとした暖かいエネルギーのようなものが彼女の手から伝わってきた。穏やかな気持ちで人と歩く。それだけのことが嬉しくて、何度もその時の手の感触をセインは反復していた。


 車はやがて山道を下り、市街地に向かう大きな幹線道路へと続く細い道へと入っていった。

「この辺りだけ時が止まっているように思えるよ。」

 セインが呟いた。

 事実、何年たってもこの幹線道路へと続く道だけが、整備もされず放置されたままだった。その先にある幹線道路は綺麗に整備され、市街地に向かう車でいつも混雑しているのに。

 道路脇は、草が伸びたままになり、所々コンクリートの継ぎ目が割れている道の上は、通る車が左右にガタゴトと揺れる。他の道を通ればいいのにとセインは思ったが、エドに言わせると山道から幹線道路に出るにはこの道しかないらしい。

 ハンドルを握るエドの横顔はいつもになく硬い表情だ。

 セインは前を向いた。

 草が伸びたままの道路脇からは、いくつかの大きな建物が見えた。コンクリートと鉄筋で建てられた何かの施設は、もう何年も放置されたままらしく、所々壁に染みが浮きでて、門扉は錆びている。施設を案内する看板は文字が薄れていて何が描いてあるのかすらわからない。

「どうしてこのまま放っておくのかな。」

 誰に問うともなくセインが呟く。エドは黙ったままその問いに応えようとはしない。


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