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幸せな家庭

「おい。ミナは?」

 セインにはホットコーヒー、ユリウスにはレモネードを作りながらエドは尋ねた。

「あ、もうすぐ来ると思うよ。明日、デッサンに使う果物を取りに行ってる。」

「なんだ。お前が取りにいかないのか。」

 う、うん。とかああ、とか曖昧な返事をしているセインは、ユリウスと遊ぶのに集中しているらしく、エドの話をあまり聞いている風ではない。

「だって、早くユリウスに会いたくて。」

 ぼそっと呟くセインの横顔は、満ち足りていて、それ以上エドは口をつぐんだ。

(全く。こいつがこんな子煩悩な父親になるとは夢にも思わんかったぞ。だが、ある意味、あれでよかったのかもしれん。)

 エドは5年前のことを思い出していた。初めて心を開いて人を愛し始めた彼の相手は、実は血のつながった妹、異母兄弟だった。かなりあの後も落ち込んでいて慰めるのに大変だった。だけど。

 セインは、エドの心境も知らず、無邪気に小さな息子とクマのぬいぐるみを介して遊びに興じている。

 そう、もうセインには人の心の声は聞こえない。穏やかな日々が続いていた。


「すみません。遅くなって。」

 そこへベルの音を鳴らしてドアが開き、ミナが入ってきた。

 白いケープを外しながら、わが子に声をかける。

「ママ。」

 ミナの姿を捉えたユリウスは一目散に母親の元に駆けつける。しゃがんでその体を抱き留めたミナもユリウスに嬉しそうに頬を摺り寄せて、お帰りの挨拶をしている。

「あれ、やっぱママの方がいいのかな。」

 母親が帰ってくると見向きもされない父親は、少しふくれっ面をしてコーヒーをすすり始める。そこへユリウスの手を引いて夫の元にやってきたミナは、

「セイン。だけどクマのぬいぐるみ、喜んだでしょう。」

「まあね。」

 カウンターに腰かけながら、ミナはエドに向かって頭を下げた。

「今日はありがとうございます。ユリウスを預かっていただいて。お義父さん。」

「お義父さんはやめてくれって、言ってるだろう。ミナ。」

 口をへの字に曲げてエドは抵抗した。それもそうだ。そんなに年も変わらない嫁にそう言われた日には、ぐっと老け込んだ気がして、新妻と子作りに励む気も消え失せる。

 ミナは可笑しそうに小さな笑い声を立てた。子供を持っても相変わらずスタイルも良く、豊かな栗色の髪はいつも綺麗に巻いて上品さを保っている。


 あれから、すぐにセインはミナと結婚した。

 ミルフィーユのことで傷心癒されぬ彼の心を掴んだのは、いつも側にいて控えめながらも彼のことを励まし、その気持ちをくんだ行動が出来るミナだった。心の中にはミルフィーユの面影が消えぬセインだったが、いつの間にか、ミナにも心を惹かれている自分に気が付いた。そしてごく自然な形で彼らは結ばれ、結婚してすぐにユリウスを授かった。

 ミナはあの入選の後、めきめきと実力を発揮し、画廊のオファーを受け、いろんな作品を世に出した。あの時のミスターモリッツが彼女の強力なスポンサーとなった。彼に請われるまま個展を開きだしたミナはあっという間に有名な画家のひとりになった。夫となったセインはそんな華やかに活躍するミナを誇らしげに思い、できる限りのサポートをしている。

 セインの方はというと、相変わらずサンリータの通りのアトリエで数人の生徒を教え、こぢんまりとした活動を地道に続けている。パン屋の職人から絵画の道を進み始めたロンが、そんなセインの片腕となり、アトリエの運営を支えていた。


 ミナの膝の上でレモネードを飲んでいたユリウスが目をこすり始めた。

「あら、眠くなったかな。」

 セインが覗き込むと、ユリウスはとろんとした目つきをしている。

「私、ユリウスを連れて先に帰っていますね。」

「僕も行くよ。」

 だけど、彼女はユリウスにコートを着せながら、

「あら、いいのよ。あなたはゆっくりしていらして。」

 カップに半分ほど残ったセインの手元のコーヒーに視線を落とすと、ミナは夫に微笑んだ。

「うん、じゃあこれ飲んだら帰るね。」

「わかったわ。私は帰ってユリウスを寝かせているわね。」


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