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彼女が去った後で

 だけど、聞こえなくてよかったのかもしれない。

 ミルフィーユが乗った車の後尾を食い入るように見つめるセインは胸の中にそんな思いを抱いた。彼女の気持ちは自分と同じだと確信していたが、だけど、その口からは聞くことが出来なかった。彼女の胸の内を、本当の想いを知りたいと願ったが、知らなくて、そう、聞こえなくてよかったのだと、今は思っていた。

 最後に聞こえた彼女の心の声。

 かすかに、だけど、それは、自分と同じ思いだったと思う。

〝今度・・・〟

〝会えるときは・・・〟

 でも、その声をしっかりと聞いてしまえば、もう自分はその場から動けなかっただろう。そして、彼女も。

 その場所に立ちすくみ、前にも後ろにも行けず、どこへも進むことが出来なかっただろう。

 同じ父親の遺伝子を持つ異母兄弟。

 そう、聞こえなくてよかったのだ。


 別れ際、ミルフィーユは涙で少し腫れぼったくなった目で、セインを見つめ、笑った。

「これ、お互い持っていましょうね。勉強していてつらくなったら、きっとセインも頑張っているわねって、このペンダントを見て頑張るわ。」

 ミルフィーユは、琥珀のペンダントをセインの目の前で揺らした後、ゆっくりとした動作でそのペンダントを身に着けた。

 その手の中にある同じ茶色の石は、この先セインの折れそうな心を支えてくれるものだろう。だけど、時間とともに、この石に対する思いは少しずつ変わっていくだろう。変わっていかなければならないのだ。いつまでも愛する人の形見のように、心を縛り付けているものであってはならないのだ。

 だけど、今は、彼女と繋がるものがあって、そのことだけでもセインの心は軽くなった。彼女を思い出したいとき、そっとこの胸先にぶら下がっている石に触れ、その存在を感じ、心を慰めるだろう。

 セインは彼女の去った店先で、その琥珀の色をじっと見ていた。春の陽光に照らされてその小さな石は、光の渦を巻きこんで光っていた。


「おい。もうそろそろみんながやってくるぞ。」

 店先で魂を抜かれたようにぼんやり立ち尽くしているセインに、遠慮がちにドアを少し開け、エドは上目づかいでセインの様子を伺った。その眼の色には、同情とも取れる少し潤んだ色が宿っていたが、声色はいつものエドらしいさばけた感じで、軽い調子が混じっていた。

 それで良いとセインは思った。変に同情もされたくないし、大事のように騒ぎ立てられても困る。何事もなかったかのように、いつものエドらしく飄々としていてもらって助かったと思った。

「ああ、わかった。急いで準備しないと。」

 わざと明るく声を上げ、店内に入ろうとした彼の背中に、弾んだ声がかけられた。

「先生!」

 振り向くと、ミナが立っていた。薄いピンク色のスーツの上下を着て、いつもの華やかな笑みをたたえていた。

「やあ、ミナ。早いね。」

 準備がまだだ。料理もこれからだし。

 心の中でそう思ったセインとエドだったが、彼女は意に関せず、

「何かお手伝いできないかと思って。」

 手にしたバックの中から白いレースのついたエプロンを取り出した。

「そんな、いいのに。今日の主役がお手伝いなんて。」

 そう言いながらもエドは降ってわいた人の手に嬉しそうだ。何といってもアトリエの生徒全員が集まるので、料理の数だけでも凄いものだからだ。

「私も料理手伝いますよ。」

 エドに笑顔を向けたミナがセインに視線を戻して、素っ頓狂な声を上げた。

「やだ!先生、どうしたんですか。その髪の毛。」


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