母の面影
数日後、エドの店。
陽光が差し込む窓辺に、白い額縁の写真立てが飾られていた。深いブルーの瞳に長い金髪が細面の顔を縁どっている。穏やかに笑っている顔が、どことなくリラックスしている時のセインと雰囲気が似ていた。
「もうすぐセインたちがやってくるよ。今日はお祝いだからね。」
エドガーが写真立てに向かって話しかけた。
「アメリア。」
そこへセインがドアを開けて店に入ってきた。
「あれ。」
すぐに窓辺に飾られた写真立てに気がつくと、飛びついてその枠を取り上げ、
「これ、もしかして俺の?」
「そうだ。アメリアだよ。」
セインは目を丸くし、息を止めて、穴が開くほどその写真を眺めていた。
「息しろよ。」
はあー。肩で大きく息をすると、彼は、
「なんだよ。エド。母親の写真なんて一枚も残っていないなんて嘘つきやがって。」
そうなのだ。母の顔が知りたいとねだるセインに、エドガーはアメリアの実家が焼けた時に、一枚残らず灰に帰したのだと嘘をついていたのだった。
「だって、アメリアの写真を、アメリアの顔を見るのが辛かったんだ。今でも。」
しんみりそう言うエドに、
「そうか。今はもう吹っ切れたのか。」
初めて見る写真の中の母親の顔に、目元、口元など自分と同じ遺伝子を感じながら、エドに尋ねると、
「まあまあだ。」
はぐらかすようにカウンターを拭き始めたエドに、セインは苛立たしげに髪をかきむしると、
「まったく。エドもまだ若いんだからさ。いつまでも俺の母親に未練残してねえで、結婚でもしろよ。」
「まあそうなんだけどな。この年じゃなかなか相手もね。」
そう言ったエドだが、まだ30代後半だ。
「知らないの?エド。こないだアンナに聞いたんだけど、店のお客さんでさ、エドのことがいいって言っている人がちらほらいるみたいなんだよ。」
「え、何それ?誰?」
急に嬉々として飛び跳ねながらセインの側に寄ってくると、彼の肩を掴んで揺さぶった。
「ほら、よくカウンターでひとり飲んでいる丸顔の美人がいるだろ。」
「ミス・マープルだよ。彼女まだ独身なんだって。」
「へえー。」
エドは頭の中で、ミス・マープルのふっくらとした女性らしい丸みを思い出し、ニンマリした後で、ふと、我に返って、
「そういえばお前、髪の毛どうしたんだ。」
今日初めて、セインの正面で彼の姿を見、いつもと違う様子に気づいたようだった。
春らしい薄いスモーキーブルーのシャツに、濃いベージュのジャケットと同色のパンツで、背筋を伸ばして立っている彼は、いつものくしゃくしゃの皺だらけのシャツにジーンズ姿ではなく、どことなく凛々しく、彫刻のように美しい。
それよりも、際立って目を引いたのが、彼のその髪型だった。
腰まであった髪はスッキリとカットされ、少し長めに残した前髪以外は短く、襟元の長さで整えられていた。
「だって、今日はお祝いだからね。」
先程のエドと全く同じセリフを口にしながら、少し照れくさそうに髪に手をやったセインは、母親の写真を指差しながら、
「本当は幼い頃から髪の毛を切ることを嫌がっていたのは、エドが喜んでくれるかなって思っていたんだ。」
「へえ、喜ぶって?」
思い当たる節のないエドが聞き返すと、
「まあ、俺の自己満足だろうけど、俺は母親に似ているといつもあんたは言っていた。長い髪の毛が美しい人だったって。だから、髪を伸ばせばより一層母親に似るんじゃないか。それを見てエドが喜ぶんじゃないかって思ってたんだ。だけど、まあ、大人になってからは、別にそんなことしてもさほど、だから何ってこともないだろうって思って、切ろうと思ってたんだけど、なかなかきっかけがなくてね。」
「はあん。そうかあ。」
口では呆れたようにそう言ったエドだが、多少は嬉しかった様子で、恥じたように鼻をかき始めた。
嬉しいことがあっても素直に人前で表現することの苦手な彼が、鼻をポリポリとかくのは、嬉しい気持ちの現れなのだということを知っているセインは、それを見て満足し、だけど、昔から心に引っかかっていることを口にした。
「途中から、本当は辛いのかなって。」
「辛いって。」
聞きながらエドはわかっていた。セインにアメリアの面影を見るとこが、嬉しい半面、次のステップに行けないもどかしさと、勇気のなさの一因になるのだと、自分でよくわかっていた。だけど、あの一件以来、エドはこれからの自分の人生を真剣に考えるようになった。過去を振り向くまい。セインも一人前の大人になった。アメリアのことを忘れることは出来ないとしても、新たに同じ道を歩いていく人を探そうと思い始めていた。
「いや、もういいんだ。いつまでも同じところをウロウロしてたって仕方ないし。次のことを考えていかないとね。」
「ミス・マープルのこと?」
茶化すようにセインが言うと、
「アホか。いや、まあそれもあるかも・・・」
思案しながら腕組をしたエドが、
「それよか、お前もだろ。」
急に真面目な顔に戻ったエドが、射抜くようにセインを見つめた。ミルフィーユのことを言っているのだと、セインは瞬時に理解した。
〝わかっている。わかっているよ。でも、すぐに気持ちを切り替えることなんてできないよ。〟
心の中でつぶやくと、エドは首を縦に数度振り、
「そろそろ、テーブルセッティングを手伝ってくれ。」
話を変えた。
自分の中で、模索し、考え、行動し、結論を出す。そして次のステップに歩みだす。セインはその一連の流れを、ひとりで熟考し、やり遂げることが出来る人間だと、エドは理解していたので、それ以上何かを言うことはやめた。




