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家に帰ろう

 外に出ると、冷気の中にもふんわりと柔らかな春を感じさせる匂いがした。駐車場に停めた車に乗り込み、ハンドルを握ったセインが助手席側の外を見やると、まだ夢でも見ているかのように惚けてぼんやりと立ちすくむエドがいた。窓を開けて声をかける。

「エド。乗って。帰るよ。」

 弾かれたように肩を震わせ、今やっとセインの存在に気づいたかのようなエドがドアを開け、車に乗り込んだが、落ち着かない様子で膝を揺らし始めた。こんなふうに動揺しているエドガーをセインは初めて見た。

 ジャケットのポケットからタバコを取り出し彼に差し向けると、

「お前がこんなもん持ってるなんて。」

 やっと笑顔になった。

「エドの精神安定剤さ。」

 ふたりは顔を見合わせてクスリと笑った。やっと緊張から解放されたように。

 車をゆっくりと走らせ市街地に向かう。バックミラーにホールの建物が小さくなっていくのが映る。明日は審査の日だ。すぐに又カズマに会うことになるだろうが、セインにはそれがとても長い先の未来のことのように思えた。

 自分と同じように、ミルフィーユも父を抱かえ、会議室を後にした。ドアを開けて出て行く時、何か言いたげにこちらを向いたが、セインも同じくして憔悴しきっている義父を放っておくわけにもいかず、ミルフィーユの物言いたげな視線に頷くしかなかった。

 カズマは娘に抱きかかえられながらこちらを向き、エドガーに深く礼をした。

〝ありがとう。今までジョーイを育ててくれて。〟

 そう、心の声が聞こえた。それがエドガーにも聞こえたのか、彼は大きく頷き、同じように深く頭を垂れた。

 車内に紫煙の流れが漂っている。いつもなら眉をしかめ、文句のひとつも言うところだが、今日のセインはそれを黙認していた。ハンドルを握りながら、助手席をちらりと見やるとエドガーはタバコを吸いながら難しい顔をし、前方をじっと睨むように一点に視線を集中していた。

 だけど先ほどの氷のように冷たく荒々しい鬼神のような近寄りがたさは消えていて、生活の向きや自分の行く末に悩む一般的な一市民の物憂げな表情に変わっていた。

 あれがエドの秘めた力。

 書類が舞い、机や椅子がガタゴトと音を立てて揺らぎ、黒い渦のような力の塊がカズマをふっ飛ばした。あの時部屋の片隅に押しやられ、肩先ひとつ動かせなかったあの得体の知れない重力、圧迫感。

 思い返し、恐怖を感じた。ハンドルを持つ手がかすかに揺れた。

 それに気がついたのかエドガーがこちらを向き、

「すまなかった。セイン。」

 先程のこと謝ろうとしているのがわかったセインは頷き、

「いや、いいんだ。」

 ふと、カズマがエドのことを「アレン」と呼んでいたことを思い出した。そう言えば、母さんもエドのことを〝アレン〟と。

「聞いてもいいか。」

「何だ。」

 応えるエドの声は柔らかかった。

「何故、〝アレン〟と?」

 ひとときの間があり、

「アレン。アレン・ガーランド。それが俺の本当の名前だ。」

「アメリアの事故の時、力を使ったことによって捉えられ、収容所に送られた。〝サイキックのアレン〟忌まわしい過去の呼び名。収容所では実験のためのモルモットのような扱いだった。意思も感情もある人間としての扱いではない。拷問に近い厳しい訓練。そのうちそれらに抗うだけの力もなくなっていき、ひとつの道具に成り下がる。俺も含めて、多くの人がそうだった。」

 そこまで言うと、エドは又硬い表情に戻り黙り込んでしまった。

 聞いてはならなかったか。セインは後悔し、

「すまない。変なことを聞いて。」

 セインから奪い取ったタバコにもう一本火を点けながら、エドは言った。

「だけど、それらの忌まわしい過去や、悲しい思い出を変えてくれたのは、セイン、お前の存在があったからだ。」

「俺が?」

「そうだ。」

「収容所での生活の中、思い出すのはアメリアとセイン、お前らのことばかりだ。あれからアメリアが亡くなったことは風の噂で聞いた。だが、川に落ちて流されたお前は依然行方不明のままだとも聞き、俺は居ても立ってもいられず収容所を抜け出した。」

「抜け出した?」

「あれはラッキーだった。収容所には心強い仲間が多くいて、俺の脱走を後押ししてくれた。」

 まるで映画の世界だとセインは思った。ティーンエイジャーの頃によく観た。強硬な砦から脱出するヒーロー。刑務所から抜け出す無実の罪を着せられた主人公。

「収容所から抜け出した俺は、仲間の伝をたどって顔を変え、名前を変えて過去のIDを抹消した。それから、住み込みで食堂の手伝いなどをしながら各地を転々とし、お前を探した。」

 ああ、だからエドは昔のことを話したがらなかったのか。

 セインは今まで少しの不信感と共にエドガーに持ち続けた想いを再確認した。

 信頼の内に、時折顔を出す疑りの念は、子供の頃からよく知っているはずの年若い義父に対する戸惑いをはっきりと形に出来ないモヤモヤとしたものだった。


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