衝撃
準備室には、ミカエル展に出展する作品を展示し終わった余韻が残っていた。事務用のテーブルと椅子があちこちに散乱し、部屋の隅には機材や荷物が積み上げられていた。
こぢんまりとした部屋の隅で、椅子を引き寄せ、ふたりは腰掛けた。
先に口を開いたのはカズマのほうだった。
「ミルフィーユの父です。娘が世話になったそうで。」
どう口火を切ったらよいか、迷い、迷い言葉を選んで、やっと口を開いた。そんな感じだった。
やはり彼女の父親か。仮定が事実に変わった。
「いえ、僕は。別に。」
〝ミルフィーユはどこにいるんですか。今、何をしているんですか。家に帰っているんですか。〟
彼女の安否と近況を聞きたくて、言葉が喉元まで出掛かったが、自分の気持ちを父親であるカズマに感づかれてしまうのは、気恥ずかしく、ため息と共に胸の奥へ飲み込んだ。
「何といってよいのか。僕はまさか君に会えるとは夢にも思わなかったから。」
カズマのその台詞で、セインはミルフィーユに最後に会った時のことを思い出した。
何か言いたげな物憂げな表情。キスをしたときのあのひんやりとした空気。母の琥珀のペンダントを見て驚いたあの顔も、何かひっかかる。それが何かはっきりしなかったが、カズマの台詞が確信した事実を告げていた。
〝やはりあなたは。〟
自分をじっと見つめるカズマの目が濡れていた。優しい目だった。か弱く、何も持たぬ小動物のようなはかなさを感じさせる目だった。カズマはせりあがってくる慟哭を抑えるように、握った拳をズボンの膝に押し付けるようにして、小さく言った。
「本当に・・ジョーイなんだね。」
〝ジョーイ?〟
ジョーイと呼ばれてセインは訳がわからず、口を開こうとしたその刹那、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「ジョーイ・セイン・ディケンズ。それがお前の本名だ。」
「エド!」
振り返ったセインの目にエドの姿が映った。扉の脇に立っていた彼が、いつからいたのか全く気がつかなかった。
様子が変だ。いつものシャツに濃い色のスラックス。銀縁の眼鏡。いつもと同じ格好なのに、全く別人のようだ。薄暗い落ちかけた陽に照らされた彼の姿は、髪の毛が逆立ち、固く結んだ口。睨みつけるような視線。何故か狂気を感じた。
言葉を失ったセインの耳に、勢いよく倒れる椅子の音が響いた。
元の位置に視線を戻すと、真っ青な顔をしたカズマが立ち尽くしていた。
「ひさしぶりだな。バラン。」
セインは我が耳を疑った。地の底から響くような重く暗い声だった。今まで聞いたこともないようなエドの声が聞こえたと思ったら、突風が部屋の中に吹き荒れた。
バターン!バターン!
物凄い音がして、準備室の開け放たれていた扉という扉がすべて次々と閉じられる。その振動で、軽く部屋が揺れた。体にもその振動が伝わって、セインは、軽いめまいを覚えた。
何故エドがここにいるのか。カズマがいることを知っていたのか。何故何もしないのに扉が閉まって、部屋が揺れたのか。疑問が次々と頭の中を駆け巡る。だが、 それもほんの一瞬のことで、次の瞬間には、セインは激しい衝撃と共に、部屋の隅に押しやられていた。
何が起こったのかすぐには理解することが出来なかった。真正面から息も出来ないくらいの風圧がかかってきたかと思ったら、突き飛ばされるような格好で、部屋の片隅に吹っ飛んでいた。
「な。」
肩で息をしながら、壁を背に起き上がろうとするものの、何か大きな力で押さえつけられているようにまったく体の自由が利かない。セインは呻いた。
「何なんだ。エド。」
真正面からカズマを睨みつけたエドが、セインには目も向けず、「そこにいろ」とだけ短く突き放した。
背筋が凍るような危険を感じた。




