早春の花
早春の淡い陽が差す広いホールに、ミナの作品があった。
重厚な金の枠に入れられて、ホール内でも目立つ位置に飾られていた。
光に溢れた森の風景。小川の澄んだ流れの上に光が踊っている。
3 月初旬。まだまだ寒い日が続くが、それでも空気の中に春の匂いが感じられる。清清しい新鮮な、咲いたばかりの花のつぼみのような。そんな季節にぴったりな画だった。
ミナは満足そうにじっと自分の作品を眺めていた。その眦に涙が浮かんでいるのは気のせいだろうか。セインは声を掛けるのをためらい、ドアの脇にたたずんでその様子を見ていた。
考えてみれば、華やかで陽気なミナが、実は影でとても努力をしていたことを知る者は殆どいないだろう。さして努力もせず、その才能を開花させたと思われがちな風情があるが、実は大変な勉強家でいつもより高い頂を目指し、日々精進している。レッスンの日も、誰よりも早く来て準備をし、皆が見ていないところでアトリエの片付けや掃除などもしてくれていた。セインはそんな一見派手に見えるが、実は細やかな神経を持ち、誰よりも努力をしてきたミナを知っている。ミナの眦に浮かんだ涙はその道のりの結晶だろう。
ホールにはミナ以外誰もいない。全員がもうすでに集まっているだろう。
腕時計を見ると、そろそろ時間だ。
「ミナ。」
そっと声を掛けると、セインがその場で待っていたのを知っていたかのように、彼女は落ち着いた様子で振り返り、
「何だか夢を見ているみたい。」
「現実だよ。ミナ。もうそろそろ式典が始まる。行かないと。」
「はい。」
薄いラベンダーのコートドレスを着たミナは咲いたばかりのヒヤシンスの花のようだ。セインには、女性が色の妖精に見える。美しい女性はいろんな色を備えたパレットのようだ。今日のミナは特別に美しい。
最初、ロンを選ばなかったことに一抹の後悔があった。だけど、今日この本番になってみるとやはりミナを推して良かったと思った。
式典が行われる大ホールに続く廊下をふたり並んで歩いて、セインは充足感を感じていた。美術の大きな祭典であるミカエル展に自分の生徒の作品を出せたこと。納得のいく生徒を推せたこと。たぶん街の片隅でやっている小さなアトリエから作品を出しているのはうちくらいなものだろう。名前を聞けば誰もが知っている大きなアトリエや美術教室、この世界で大きな力を持つ名士をバックに、殆どの新人アーティストが作品を出しているはずだ。こんな小さなアトリエから作品を出せたことが殆ど奇跡だった。
晴れがましい気分で赤い絨毯が轢かれた廊下を歩きながら、ふと今朝のことを思い出した。
〝いって来るよ。〟
ミナを連れて会場へ赴く前に、エドの所へ寄った。
〝おう、気をつけてな。〟
そしてミナに、
〝おめでとう。〟
エドはそう声を掛けると、セインの今日の装いについて不満を漏らした。
〝何だ、そのネクタイ。そんな地味なのしかなかったのか。〟
〝地味か?〟
その朝のセインは、ツイードのジャケットに、薄いピンクのシャツ、グレーのネクタイをしていた。
渋い顔をして、奥へ引っ込んだエドが、濃いエンジに黒の細かいドットの総柄のネクタイを手に戻ってきた。
グレーのタイをはずし、そのエンジのタイを結びながら、
〝グレーのタイでは惚けた感じだ。こちらの方が若々しい。〟
そういって微笑んでいた。いつものエドだったが、どこか寂しそうで陰のある雰囲気が気になった。
先日のこともある。エドの様子が気になって心が翳った。
「どうしたんですか。先生。」
セインの思いつめた表情に気がついたミナが心配そうに顔を向けた。
「いや、何でもないよ。」
無理に笑顔を作って、心持ち明るい声で返事をする。
無言で柔らかな微笑をもってミナが頷く。




