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エドの初恋

 壁の時計が11時を指している。市場から帰ってきてからこっち降り続けた雪が路地に積もり、エドの店先にも人を阻むかのように白い壁が出来ていた。

 雪が積もる前にセインはひとり帰った。エドが出したビールに口を付けることもなく。

「いかんな。今日は。閑古鳥だな。」

 独り言を呟きながら、テーブルを回り、ライトを消す。カウンターを丁寧に吹き上げ、ガスの火を落とし、明日の朝に使うコーヒーのストックを確認する。バックヤードには今日仕入れた食材や缶詰、ビールケースが積まれている。それを見ながらエドは渋い顔をした。

「こんなんだったら無理に市場へ行かなくてもよかったかな。」

 だけど、あいつ無理にでも外へ連れ出さないと、まいっちまうからな。

 エドはセインのことを思った。

 ミルフィーユのことでかなり落ち込んでいたことは知っていた。慰めようにもこんなとき、男親って駄目だなって思っていたから、外へ連れ出して、一杯飲ませれば気分転換になるかなって思ったんだが。一杯飲ませる前に泣かせちまった。

 っていうか、あいつ。あんな涙もろかったっけ。

 エドは驚いていた。子供の頃から無愛想で無口で、自分のことなんて一切しゃべらないし、聞くと鬱陶しそうな顔で必要最低限なことを言うだけで、泣いたとこなんて見たことなかった。

 ミルフィーユのせいかな。恋をするってあんなふうになるものかな。

 脆くなるっていうのかな。何だろう。あいつがねえ。

 恋、かあ。

 エドは自分の半生を振り返ってみた。セインの母親のアメリアは近所に住む幼馴染だった。彼女は彼より4つ年上で、母親と二人暮らしだった。ティーンエイジャーの頃に事故で両親を亡くしたエドに、アメリアと彼女の母はあれこれと世話を焼き、面倒を見てくれた。子供の頃から姉のように慕っていた人である。

 それがエドにとって初恋であり、初恋の火は未だに消えずに、心の中を照らし、いつまでも燃え続ける美しい灯りのままであった。

 タバコに火をつけ、バックヤードの椅子に腰をかける。店中のライトは落として、バックヤードだけ一番小さなダウンライトをつけた。こんなくらいところでタバコを吸っていると、まるで蛍みたいだなあと、タバコの先の明かりを見ながらエドは思った。


 美しい金髪にほっそりとした面長の美しい人で、手も足も凄く細くて華奢で、か弱そうに見えて実はとても芯の強い人だった。

 エドは記憶の中のアメリアの姿を追い続ける。それはしっかりと焦点を合わして見なければ、いつまでも消えずに陽炎のように揺らめきながらもエドの側を離れずにいつまでも夢を見させてくれる。

 エドはふと思い立って、キャビネットに仕舞ってある写真を取り出した。

 暗いバックヤードの灯りに照らして、写真を眺める。


 ベビーベッドに寝転んだふっくらと丸い顔の愛らしい赤ん坊が移っていた。ベッドを覗き込んでいる人物に向かって人懐っこい笑顔を浮かべている。とうもろこしの綿毛を連想させるふさふさとした金髪が眩しいくらいだ。

 この頃は太陽みたいだった。今の銀の髪はまるでお月様の光のようだな。

 〝ジョーイ。ジョーイ。いい名前でしょ。楽しみという意味よ。生きていくことに楽しみを見つけ出して欲しいの。この髪のように、きらきらと輝いて、周りをそして自分を照らす太陽のように明るい子に育って欲しいわ。〟

 アメリアが振り返る。エドに向かって話しかける。満ち足りた笑顔で、赤ん坊に向かって話しかける。

 まだティーンエイジャーだったエドには、真っ赤でくしゃくしゃな顔をした猿のような物体はただ気味が悪くて、アメリアに勧められても触ることすら出来ず、遠目にその赤ん坊を見ていただけだった。だけど、初めてわが子を抱いたアメリアは今まで以上に美しく、側にいると気後れするほど神々しい輝きを全身から放っていた。


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