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人の感情の渦

 初めて見る市場は、とても賑やかな場所だった。狭い路地にいくつもの店が軒を並べ、肩と肩がぶつかるくらいの距離で行き来をする人の群れでいっぱいだった。特産品や仕入れたばかりの品を大きな声を張り上げ、売り込む店主たちや、値段を交渉する買い手。セインはそれを遠巻きに眺め、その賑やかさや、人の多さに肝をつぶした。

 エドは固まったように動かないセインの顔を、膝を折り覗き込むと、にっこり笑って、〝大丈夫か。〟と聞いた。セインは頷き、そろりと市場の通りに足を踏み入れようとした。すると、どこからともなく甘く香ばしい良い香りがする。その方向を見ると、キャラメルをまぶしたポップコーン売りの店があった。

〝エド。あれ何?〟

 その方向をセインが指を指すと、

〝あれはポップコーンだ。食べるか?〟

 問われて、セインは頷いた。

 その瞬間だった。甘い香りに誘われて、初めて来た場所での緊張がほぐれた彼に襲い掛かってきたのは、人の感情の渦だった。

 音のような音ではないものが次々と矢のように飛んできては、彼の脳髄を直撃した。

〝これいくらなの。〟

〝早く買っていきなよ。今ならこの値段だよ!〟

〝ちょっと。あなた、どこなの。ぐずぐずしないで次のお店行くわよ。〟

〝あ-、お父さん。これ買って。〟

〝このコーヒー豆でこの値段は高くないか。もうちょっとまけてくれよ。〟

〝一杯飲んできなよ。サービスだ。〟

 人の声に人の声が重なり、音が音とも分別さえ出来ず、ただの騒音となり、鼓膜に叩きつけるように音が乱暴にセインを痛めつけた。頭の芯が痺れたように痛くなり、その場に立っていられずセインは膝からくず折れた。顔面は水を打ったように蒼白になり、額から首筋から脇から冷たい汗が流れ出し、体が諤諤と震えた。頭を抱えてセインは唸った。目から涙が溢れ、鼻水が垂れ、口からも泡を吹きかねない様子に、当時まだ年若かったエドは仰天し、セインを抱きかかえた。

「どうした!セイン!」

「大丈夫か。どうした!」

 半狂乱に取り乱したエドがセインを抱き揺さぶるが、セインにはエドがかける声すら耳を突き破るが如く耐え切れず、エドから離れようと手足をバタバタさせ必死にもがいた。

 訳がわからないエドは、てんかんの発作でも起きたのかと慌てふためいて、周りの人の群れに向かって叫んだ。

「誰か!誰か。救急車を呼んでくれ。子供が大変なんだ!」


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