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市場へ

 新年を迎え、新しい年を祝う行事もひと段落を終え、先日からエドは店を開けていた。

「市場って、アンナを連れて行けば?」

「アンナは休んでいるよ。彼氏とバケーションだ。」

 バケーションって何だよ。夏休みじゃあるまいし。

「ひとりじゃあの細かい路地を右往左往して、食材なんかを買い集めるの大変なんだよ。お前、運転手しろよ。」

「嫌だよ。」

 セインはうんざりした。

「困ったなあ。バックヤード空っけつなんだよな。」

 エドは本当に困っている様子だった。

「なんでもっと早く買出しに行かないんだよ。」

 セインは少しいらついてはいたが、ちょっと考えて、

「10分でそっちに行く。」

 そう言って乱暴に電話を切った。

 窓から覗くと、ちらほら舞っていた雪が少し激しさを増したようだ。早くしないと大荒れになりそうな天気だった。

 上着を取り、髪の毛をひとつにまとめると無造作に帽子に押し込んで、部屋を出た。

 外に出ると、うす曇の空が一杯に広がり、湿った風を含んだ雪が頬を照りつける。

 急ぎ足で、エドの店まで来ると、エドは店の前に車を出してセインを待っていた。

「悪いなあ。」

 特別悪びれた様子もなく、明るい調子でエドは言い、助手席にさも当然といった感じで乗り込んだ。

「全く。俺が市場に行くの嫌だってわかってるくせに。」

「わかってるよ。だから緊急事態だ。アンナは休みだし、ミルフィーユはいないし、バックヤードは空っけつだし。」

〝ミルフィーユはいないし。〟エドの言葉に、口を開きかけたが、すぐに思い直して口をつぐんだ。今、その話題に触れたら、動揺してしまいそうだったからだ。

 エドはミルフィーユがいなくなったことに特に過剰に反応することなく、いつもと同じように振舞っていた。そっと、心の扉を開けてみると、やはり、エドはセインに気を使って、セインが傷つくことを恐れて、知らぬ振りを決め込んでいるみたいだった。セインはそのことに少し傷つき、かといって彼女の話題に触れて慰めてもらっても傷つく。どちらにしてもデリケートな神経の持ち主であるセインにとって、エドのようにそ知らぬ顔を決め込むことが一番らしい。

 店から15分ほどで市場についた。新年を迎えたばかりの市場は多くの人で賑わい活気に溢れていた。セインは帽子を深く被り、人ごみを避けるように、路地の脇で車を停めた。

「この辺で待っているから。」

「よっしゃ。」

〝まず酒屋な。〟

 エドは勢いよく車のドアを閉め、人混みに入っていった。

 人混みに紛れるエドの後姿を眺めながら、子供の頃、エドに初めて市場に連れて行ってもらったことを思い出した。

 市場にはいろんな種類の卸や問屋が店を構え、細かい路地に入ると大小さまざまな露店が並び、商人や店をやっている店主以外にも、買い物を楽しむ女性客や、家族連れで賑わう。

 あの時も、ある店の厨房を任されていたエドが、仕入れのついでに、セインにおもちゃか菓子でも買ってやろうと連れて市場へやってきた。

〝どこ行くの。エド。〟

〝いいところだよ。お店がいっぱいあって楽しいぞ。何か買ってやるよ。〟

 コックの白い上っ張りを着たエドに手を引かれて、セインは胸の辺りがくすぐったいような気がした。自然に顔に笑みが浮かんだ。あれは、5歳か6歳くらいだった。

 普段、仕事のあるエドは、近くに住んでいた年老いた婦人にセインを預けて仕事に出かけていた。預けられていたセインは、ひとりで絵を描いて過ごすことが多く、人が多い所、お店がいっぱいある所。そんな賑やかな場所とは無縁の生活をしていたからだ。

 エドも店が忙しく、セインを連れて出かけることはあまりなく、たまたま仕入れにセインを連れて行くことが出来、喜んでいたのはエドのほうだった。少しでも寂しさを紛らそうと、楽しい思いをさせてやりたいと思うのだが、生活に追われ、仕事に追われ、他人に預けてまかせっきりを申し訳なく思っていたのだ。

〝何が欲しい。おもちゃでもお菓子でも何でもいいぞ。〟

 セインはおもちゃもお菓子もおおよそ子供が喜びそうなものにあまり関心もなく、というよりもそういったものを目にすることもあまりなかったので、エドが買ってやると言う言葉にも曖昧に頷くだけだったが、子供心にも初めて行く場所、何だか楽しそうな場所、そういったものに対する期待に胸を膨らませ、エドが運転する車から降り、エドと手を繋ぎ、市場のある方向へと歩いていった。


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