兄さんを捜したい
ストーブの上のケトルが音を立て、薄暗い室内に白い湯気が立ち上る。
セインは慌てて、ストーブの上からケトルを下ろし、テーブルに置く。
ミルフィーユに背を向けたまま、セインは聞いた。
「ずっと捜していたのか。その子供をお父さんは。」
捜したと言って欲しかった。血眼になって、足を棒にして、いろんな街を、村を渡り歩いて捜したと言って欲しかった。
母を亡くし、本当の父親が誰なのか、どこにいるのかもわからないセインにとって、父という存在は、その実像がこの世に存在するのかどうかも怪しい宙に浮かんだような不確かなものだった。普段、気に留めることもないが、今のミルフィーユの話を聞いて、父のことを思った。
どんな人物だろう。
やはり、ミルフィーユの父親のように、その息子がどこにいるのか、生きているのかと、気に留めていてくれるのだろうかと思った。すると、やはり、その父もミルフィーユの父同様、息子を捜して欲しいと思った。でないと、その子供は哀れだ。
そう、自分の姿に重ねた。
「もちろん、捜したそうよ。私もママも全然知らなかったんだけど。」
妻にも娘にも気づかれずにか。
彼は息子の存在を何故、秘密にしていたのだろう。それに、これだけ情報が発達している世の中だ。人ひとり、探し出せないものなのだろうか。
「孤児院とか、施設など。そういった所を時間をかけて、しらみつぶしに捜したそうよ。」
「ふうん。」
セインは、気のない返事をした。
ミルフィーユは真剣な表情を崩さず、セインを見据えた。どこか、非難めいた不服そうな感情は隠しきれない。彼女が父の為に、自分も兄を捜そうとしていることに、まだ見ぬ兄に対する思慕が感じ取れる。だが、今のセインを打ちのめしている事実。やっと気持ちが通い合ったのかと思われたミルフィーユが、遠く去っていくこと。そのことで頭が一杯だった。
「私、兄さんを捜したいの。父が彼に会って謝りたいとずっと悔やんでいるのを見てきたから。」
「お父さんのため。」
ミルフィーユは頷いた。
「でも、半分は私も兄弟がいるのなら会ってみたいと思っているの。どんな人なんだろうとか、ずっとひとりっ子で育ってきたから、兄弟がいるということに憧れもあるわ。」
兄弟か。自分の家族は父代わりのエドひとりだ。兄弟がいる人生ってどんな感じなんだろう。
薄暗いダウンライトの灯りの元で、ミルフィーユはじっと考え込んだ様子だった。その横顔をそっと見ながら、セインはもどかしいと思った。
いつもなら、人の感情が入り込んでくること、心が読めることは自分が望まぬ忌み嫌うことのはずなのに、この時ばかりは、ミルフィーユの心が読みたい、彼女が 今何に心を捕らわれているのか知りたいと狂おしいばかりだった。
だけど、セインにはわかっていた。彼女の心を捉えているのはたぶん兄のことだろう。彼女には時間がない。留学する前のこの僅かな時間の間に、彼女はエドの店に現れ、たぶん自分の知らない時間、兄を捜していたのだろう。
この町のどこかに兄がいるのだろうか。
彼女には、成し遂げなければならないという決死の思いがある。その思いの深さは測りえない。自分にはわからないことだらけだ。
誰かを想い、好意を寄せる。相手も自分のことを想ってくれたら。
やっとそんなふうに、自分も素直に人を好きになれると希望を持ち始めた矢先だ。
人が人を想う。家族を、友人を、恋人を、周りの人々を。
セインには、人に心を寄せること自体が馴れないことで、ミルフィーユによって、やっとそれがどんなことなのか、少しわかってきたところだった。セインがミルフィーユに寄せる想い。そして小さな頃から親代わりに自分を見守り、育ててくれたエドに対する想い。そんなものと、実際会ったこともない人、ミルフィーユにとっては兄、そして自分にとっての父への想いとはどんなものなのだろう。
普段、想いもしない父。だけどどこか心の片隅では、どんな人物なのか、生きているのか、自分のことをどう思っているのかと、きっとそんな想いがあったのかもしれない。いや、ミルフィーユによって、そんな想いが芽生え始めたのかもしれない。




