父の過去
彼女の目に映る父親は、気が優しい故にどことなく脆さを感じさせる人物だった。
亡くなった母親は、気の弱い夫を盛りたてて半ば少し強引に彼を引っ張って、人生の大半をバラン家の切り盛りに費やした。ミルフィーユは、いつも優しく、母と自分に時間を割いてくれる父が大好きだった。いや、もちろん今でも大好きだ。だからこそ、父親の長年の後悔を晴らす為にこの町に来たのだ。
「ミルフィーユのお父さんは何をしている人?」
セインはふと彼女の父親に興味を持った。
「父は大学に勤めているわ。」
「先生?」
「そう、数学のね。」
「バランの家は代々軍人の家系なの。おじいちゃんもひいおじいちゃんもずっと軍人だそうよ。でも、父は軍人にはならなかったわ。小さい頃から数学が好きだったの。」
「へえ。」
セインは眉根を寄せた。〝軍人〟という響きが何故か嫌だった。エドの影響かもしれない。理由はわからないが、エドは軍人を嫌っていた。テレビのニュースなどでも、戦争や軍関係の話題になると不機嫌な顔をして、チャンネルを変える。もちろん、店にも軍人の客は来ない。
彼女の父親が軍人でないと聞いて、少しほっとした。
セインは、ミルフィーユの父親を、広い大学の構内の教授部屋の一室で、たくさんの本に囲まれて、研究に没頭している知的で、物腰の柔らかい人物を思い描いていた。
「それで兄さんというのは?」
「詳しい事情はわからないのだけど、私のママと結婚する前にパパには付き合っていた人がいて、その人が産んだ男の子がいるの。」
「それ、ミルフィーユのお父さんの子なの?」
「そうみたい。」
女性に子供を産ませて知らん顔をしている冷徹な人物と、気の弱い数学学者の彼女の父親と結びつかない。ミルフィーユだってそう思っただろう。
そう思って、ミルフィーユの顔色を伺うと、彼女は当惑した表情を浮かべ、唇をきつく結んだ。
「おじいちゃんには考えがあったのよ。」
彼女の祖父か。
「君の祖父とその子とどういう関係があるんだい。」
「おじいちゃんはパパを軍人にさせたかったの。そして息子を軍のエリートコースに乗せることが、彼の夢だったの。そのために懇意にしている上司の娘さんとパパを結婚させたかったのね。だから、その男の子を生んだ人とパパを結婚させるわけにはいかなかったらしいわ。」
「ひどい話だ。それで、君のパパはどうしたんだい。」
「もちろん、パパはその人と結婚するつもりでずっとつきあっていたのよ。彼女に子供が出来たと知って、駆け落ち同然に家を出たの。そして、その子が、つまり、私の兄ね。兄が生まれて一年くらいは幸せに暮らしていたらしいのだけど。だけど・・・」
ミルフィーユの言葉尻が小さくなった。セインが首を傾げると、彼女は深くため息をついて、
「それ以上詳しいことをパパは言わないの。それから少しして、彼女は亡くなって、兄も行方不明になったわ。」
行方不明?母親は死んで、子供が行方不明だって。
ただ事じゃないな。
「事件性は?警察は?」
彼女は深く頷いた。
そうだろな。
「で、見つからなかったのか。その子供は?」
彼女はまた深く頷いた。
「その、母親だという女性は?」
ミルフィーユは大きく首を振った。何も父から知らされていないようだ。
たぶん、彼女の父親は、いろんなことを思い、帰らない時間を思って後悔しただろう。どうにもならない、終わってしまったことなのに、その場所に何度も何度も立ち返って、自分に罵声を浴びせ、自分の心を痛めつけ、後悔と反省の中でずっとその半世紀近くを生きてきたのであろう、ミルフィーユの父親の心境を思った。気の弱く優しい人物ならなおさら、開き直ることも、人のせいにすることも無く、苦しんできたのだろうと思う。




