救われる
ロン。
彼はパン屋の職人で、生徒のひとりであるロンを思い浮かべた。
ロンも自分の気持ちを表現したり、人と関わることが得意ではない人間だ。貧しくて画を習うことが出来ない彼の気持ちを読んだことがある。
彼は心の底では、自分を表現したくて、自分をわかって欲しくて仕方がない思いを抱えていた。それを表に出そうとすると、顔がひくひくと強張り、声がうまく出てこない。彼もセインのように、人と関わることを諦めて久しかった。
自分の分身を見るようで、居たたまれなく、セインは彼に声を掛けた。
〝画を描いてみないか。〟
セインに絵の具やキャンバスを借りることを躊躇し、ロンは首を振ったが、半ば強引にセインは自分のアトリエに彼を呼んだ。
画を描くようになってからのロンは、日増しに明るくなっていった。無口で殆ど話をすることはないが、顔を見ればわかる。画を描くことに自分の生きがいを見出していた。それと同時に、パン職人の働きも徐々に認められるようになり、少しずついろんな仕事を任せられるようになっていた。
ロンのことを考えていると、逆にミルフィーユはセインの心を読んで納得したように満足気に微笑んだ。
〝でしょ。〟
ミルフィーユの素直さ、前向きな考え方。セインにはないものばかりで、彼はそれらを手に入れたいと狂おしいばかりに、胸が苦しくなった。だけど、それは嫉妬や羨望ではない。その資質に手を触れた嬉しさと、今までに感じたことのない充足感に胸が苦しくなった。
反射的にミルフィーユの身体をきつく抱きしめた。ミルフィーユはびっくりしたようで一瞬、身を硬くしたが、彼の腕の中で力を抜いた。
そのまま彼女の唇を求める。微かに花の匂いがしたような気がした。
やはり痛みは感じない。ふんわりとして暖かい気のようなものを感じる。
だが、ミルフィーユの反応は消極的なものだった。セインは自分だけが盛り上がっているような気がした。ミルフィーユは落ち着いていて冷静で、どこかその唇は冷やりとした空気を含んでいるような気がした。
ほんの少しの違和感を抱いて、セインはミルフィーユから顔を離し、目を合わせた。
拒絶しているふうではないが、少し迷っている。そんな感じがした。
それ以上進むことは諦め、セインはミルフィーユの肩を抱いたまま、そっと深呼吸した。熱くなった身体を少し冷ます必要があるようだ。
「ありがとう。不思議な感じだ。君が言ったようなこと考えたこともなかった。自分は疎まれて、遠めに好奇の目で見られうる存在でしかないと思っていたから。」
横でミルフィーユはくすりと笑い、
「誰でも突起しているものがあるわ。それがいろいろなだけ。セインのその力は無駄ではないはずだし、何かしら意味があるのよ。」
「君にも突起しているものがあるね。」
ミルフィーユは首を傾げて、
「何かしら?」
「そういう馬鹿素直な物の考え方だ。」
「まあ。」
セインの辛口な物言いにミルフィーユは怒ったように口を尖らせた。だけど目は笑っている。
「お茶を入れるよ。」
セインはベッドから立ち上がりお茶を入れにキッチンに立った。




