秘密
「ミルフィーユ。」
「何?」
ゆっくりと身体を起こして、セインは彼女と向き合った。
「君といると心が安らぐんだ。君は触れても痛みを感じない。」
セインはミルフィーユなら自分のことを理解してくれるような気がした。
「痛みを感じないって?」
ミルフィーユは尋ねた。そして、思いついたように顔を上げ、
「そういえばセインは私に触れてびっくりしたような顔をした時があったわ。」
エドに言われて、ミルフィーユを家まで送っていった時。何気なしに彼女の肩を押した時のあの感触。ミルフィーユはセインに尋ねたが、セインは言葉を濁して応えなかった。
「こんなこと信じてもらえないかもしれないけど。」
セインはちょっと迷って言葉を区切った。だけど、ミルフィーユは彼のことを理解しようと、真剣な眼差しで彼の言葉の続きを待っていた。セインは意を決して、告白した。
「俺は人の心が読めてしまうんだ。」
言葉を発しなかったが、ミルフィーユの丸く見開いた目は驚きを表していた。
「読まないようにブロックしないと人の感情が入り込んでくる。集団になった虫が足元から這い上がるような感触がして、細かい石つぶてが投げられているように身体があちこち痛くてたまらないんだ。その感情の波は俺の脳に直接響いてくる。とても嫌な感触だ。さらに、人の身体に触れるとその嫌な感触は増大する。電気が走るような痛みを感じるんだ。」
セインは一気にしゃべった。息が荒くなる。少し感情的になっているようだと自分でもわかっていた。
「だからあまり人と接したくない。人が集まる場所には行きたくない。だからエドのクリスマスのパーティも今まで一度も出たことがない。エドでさえ、そうエドでさえ、俺が心を読んだことを知ると動揺する。今まで一緒に生活してきたのに。親なのに。俺だって読みたくて、読んでいるんじゃない。勝手に入ってくるんだ。どかどかと俺の気持ちなんて無視して、勝手に入ってくるんだ。」
声が荒くなっていた。又目尻に涙が浮かんできた。
何を怒っているんだろう。ミルフィーユを相手に。ミルフィーユに怒っているんじゃない。ごめん。
セインは心の中で思った。苦しかった。今までの嫌な思い出があれこれと浮かんでは消えた。
子供の頃。エドは彼を連れて街を転々とした。何故、彼がひとところで住むことをしなかったのかは今でも教えてくれない。行く先々で、最初はそれなりに友達が出来た。
だけど、物心ついた頃の記憶の中で、鮮明に覚えていることがある。
友達と遊んでいて、その子の次の行動を言い当てたときの彼のびっくりした顔。気味悪がって遠巻きに自分を見ていた子供たち。人の心を読むことが罪悪だと初めて知った。
いつもひとりだった。心を開いて話し合う友人などいなかった。
セインの特殊能力を知ると、誰もが彼の周りを去った。
〝そりゃ自分の心を読まれて楽しい人なんていない。プライバシーの侵害だろうな。〟
セインはあるときから達観した。人が自分の周りから去ることに痛みすら感じないようになった。精神を統一して人の心が入り込まないようにブロックする術を覚えたのもその頃からだった。
ひとりでいいと思った。人に会いたい。人と触れ合いたいという思いを押し殺した。その頃から画を描くことに真剣に向き合った。自分の想い、自分の感情、自分の希望、そんなものをキャンバスに向かって描き続けた。それはセインの心の声だった。自己表現であり、どこにも届くことのない想いだった。
ミルフィーユに向かって感情を露にしてしまったことを恥じた。俯いたまま彼女の反応を待っていると、ミルフィーユは明るい声で、
「セイン。私はあなたがそういった能力を持っていることを信じるわ。そして、それはあなたがあなたである証拠。この世には何も無駄なことなんてないわ。」
「どういう意味?」
ミルフィーユの言っている意味がわからず、セインは少しいらいらした。
「人の心が読めることは、あなたにとってとても苦しいことのようだけど、考え方を変えれば、自分の思いを表現することがうまく出来ない人にとっては、あなたがその心を酌んであげることでその人は救われるのではないかしら。」
「救われる?」
今までそんなふうに誰かを救ったことがあるだろうか。そんなふうに考えたこともなかった。
「思い出してみて。きっとあなたは誰かを救っているはずよ。それにあなたはひとりではないはずよ。エドもアンナも、アトリエの生徒さんも皆あなたを慕っているわ。」
エド、アンナ。アトリエの生徒。
セインは自分の周りのひとたちをひとりずつ思い浮かべた。




