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美しい教え子

〝うわ。やっぱ凄いわ。〟

 油断すると金属音のような耳鳴りがしてきた。セインは深く息を吸い込んでもう一度しっかりと扉を閉める。それでも足元から這い上がってくる虫の集団のようなざわざわとした感触が気持ち悪い。

〝やっぱり、帰ろうかな。〟

 クリスマスパーティを楽しむ人たちの笑い声を背に踵を返そうとした。

「あら、先生。遅かったじゃないですか。」

 そこへ、ソプラノの澄んだ美しい声が響いた。

 顔を上げると、シックなモーブ色のドレスを着たミナがグラスを片手にこちらへ向かってくるところだった。

「やあ、ミナ。」

 セインは又慎重にドアが閉まっているかを確認すると、ミナに向かって笑顔を向けた。

 ミナは意志の強そうな輝きを宿す魅力的な瞳をセインに向けてにっこり笑った。20代後半くらいの年齢でしっかりとした印象と、周りの雰囲気を明るくする華やかな雰囲気を持っている。

「先生。待っていたんですよ。今年は珍しく先生がパーティに出席するって聞いたものですから。」

 セインは気まずそうに頭をかいた。今日は珍しくジャケットを着て、銀色の長い髪は後ろで束ねてある。

「そうだね。僕が誘うくせにいつも僕が欠席だからね。すまない。今日はゆっくり楽しんで。」

 ミナは笑顔を浮かべたまま、セインの腕に自分の腕を回し、店の隅のソファに誘った。


 今日はクリスマスイブ。エドガーの店に来ていた。

 毎年、エドが店の常連客や友人などを招いてクリスマスパーティを開いていた。 セインももちろん毎年誘われるのだが、自身は教室の生徒などを呼ぶくせに、いつもドタキャンだった。行こうとは思うのだが、人の集団の中に身を置くことを考えると、神経が過敏になるのだった。自分の特殊な能力を最近はずいぶんコントロールできるようになった。〝聞きたくない〟と思えば、〝聞こえない〟ようになった。それでも大多数の心の声を全部がシャットアウトできるかといえば、そうではない。

 あの感触が嫌だった。虫が這い登ってくるようなあの嫌な感触。

 人が集まる場所が苦手なセインがこのパーティにやってきたのには理由があった。


 ミナに腕を組まれたまま隅のソファに腰を下ろしたセインがカウンターの方に目をやると、アンナと談笑していたミルフィーユがこちらをみて微かに笑った。

 そう、ミルフィーユに是非と誘われたからだ。

 店内には20人程の男女がグラスを片手におしゃべりをしたり、中央の大きなテーブルに用意された料理を思い思いに皿にとって、食べている。今日は赤と緑のクリスマスカラーで店内は装飾され、華やかな音楽がBGMで流れていてとても華やかな雰囲気だ。

 隅のソファに腰を落ち着けたミナに、セインはテーブルからスパークリングワインのグラスを持ってきた。

「ありがとうございます。」

 頷き、ミナの隣に腰を下ろす。ちらりとカウンターの側のミルフィーユに目をやると、彼女はアンナと一緒にテーブルに出す料理を整えている。

「今年は嬉しいですわ。先生と一緒にパーティに出られるなんて。」

 ミナはそう言って微笑んだ。パーティの華やかな雰囲気そのままの笑顔だ。

 セインは何て応えてよいのかわからず曖昧に笑った。

 キャンバスを介している空間では、会話もスムーズに出るのに、こういった場所ではいつも一緒にいる生徒であるミナに対してもぎこちない態度で、会話の糸口が見つからない。そんなセインに構わず、ミナはこのパーティのこと、エドや店の客についてのことや、自分たちのクラスの仲間のこと、あれこれと話題を探し、セインに話しかける。

 セインはふと思った。

 来年にはミカエル展に出す作品を決めなければならない期日がやってくる。ミナだってとても気になっていることだろうに、その話題には触れない。セインがどう思っているのか聞きたくてたまらないだろうに、あえて彼女はその話題には触れず、楽しい会話を続けている。セインがパーティにやってきたことが嬉しい様子に見受けられる。

 いい人だなあ。

 と、彼女の人柄に好意を持った。あえてその話題には触れないのは、この場の楽しい雰囲気を壊したくない気持ちと、その話題を出せばセインが困るだろうと察してのことだろうと、彼は見抜いた。

 始終にこやかに話す彼女の横に座って、セインは2杯目のワインを取りにいくタイミングを計っていた。

 ミナと一緒にいるのは楽しいが、このパーティに来た目的は別にある。

 ミルフィーユもセインのほうをちらちら見ているが、こちらには来難い様子だ。


 そこへ、ダークブラウンのスーツに、にアスコットタイを結んだ初老の男性が近づいてきた。

「やあ、ミナじゃないか。」

 その長身の穏やかな感じの男性は口元に笑みを浮かべ、ミナの前にやってきた。

「あら、ロバート先生。」

 お久しぶりですわ、と立ち上がり会釈をするミナの横に立って、セインは自分が座っていたソファをその男性に勧めた。

「いやあ、これはどうも。」

 どうもミナの知人のようだ。セインはよいタイミングで席を離れられたと思い、ふたりにワインのお代わりのグラスを運び、会釈をしてその場を離れた。


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