35 【幕間3・前編】 いかに児童教育上よろしくない存在か
深夜の宙港は静かだった。
ただ一機の航宙機が予約客を待つ中、小さなラウンジでは小さな小さなセレモニーが行われていた。
長老とミッドラントCEOの無線での会談が行われてから、何日も経っていなかった。
旦那さんがまた知識を取り戻してからでは、余計別れがつらくなるだろう。
長老とミッドラントCEOの思いは一致した。
◇◇◇
その日、ラティーファは冷静だった。
いや、冷静に見えた。
むしろ、涙ぐんでいるのは、坊っちゃんだ。
ラティーファは笑顔で、坊っちゃんと握手して、話した。
「また、会えるよ。きっと」
「うん」
坊っちゃんも涙を流したまま、ほほ笑んだ。
旦那さんは何が起こっているのかわからないという表情だった。
(ラティーファは、時間をかけてじっくり教えてくれると言ったのに、何でこんな早くこの惑星を離れることになるんだろう?)
そんなことを考えていた。
「最後まで教えてあげられなくて、ごめんね。きっとまたどこかで会おうね」
「はい」
ラティーファは、旦那さんとも握手した。
旦那さんは、相変わらず何が自分に起きているのか、よく理解できていない様子だった。
ラティーファのまなじりは、少しずつ潤んできたが、意識して耐えるようにした。
「何か、前にもラティーファには、いろいろ教えて貰う約束をしていたような気がします。ぜひ、また、会っていろいろ教えて下さい」
(馬鹿っ。何でそんなことだけ覚えてるんだよ。しかも、こんな時にっ)
旦那さんの悪気のない一言に、ラティーファの涙腺は決壊寸前になった。
「じゃっ、また」
ラティーファは握手していた手を振りほどき、逃げるように立ち去った。
「あっ」
反射的に追いかけようとした旦那さんの前に、長老が立ちはだかった。
「次は私の番ですな」
思い出話をまくしたてる長老に、旦那さんはラティーファの追跡をあきらめざるを得なかった。
長老、そして、ミラーは懐かしそうに思い出話を、坊っちゃんと話した。
旦那さんには、何が何だかわからなかった。
しかし、不思議と居心地は悪くなく、ずっと三人の会話に耳を傾けていたいような気がした。
◇◇◇
送る側の最後の登場人物はシラネだった。
シラネは思い切り力を込めて、坊っちゃんと握手した。
坊っちゃんも力を入れて、握り返した。
そのまま、腕相撲に突入するのではと思えたほどの力が入った後、二人同時に力を抜いた。
そして、笑顔になった。
「坊っちゃん。君も旦那さんほどじゃないにしろ、随分、言いたいこと言ってくれたね」
「うん。ごめんね。姐御」
「これだよ。いかに旦那さんが児童教育上、よろしくない存在か、よくわかるわ」
「貴方の兄上だよ」
「そうなんだよなぁ。参るわ。ホント」
二人は声を上げて、大笑いした。
「坊っちゃん」
ひとしきり笑った、シラネは真面目な顔になった。
「はい」
「そうなんだ。こんなんでも、あたしの兄貴なんだ。よろしく面倒見てやってくれ」
「はい」
「あたしも『偵察局』辞めちゃったけど、いつでも遊びに来い。ここは僻地だけどな」
「うん。本当に僻地だね」
「全く。旦那さんに似て、口が悪いな」
「姐御ほどじゃありません」
「この野郎」
二人はもう一度大笑いした。
◇◇◇
「さてっ」
シラネは旦那さんの前に立った。
「まぁ、そのぉ、そのぉなんだ。あたしはおまえの父だ、じゃない、あたしはおまえの妹だ」
「そうですか」
「予想はしたが、相変わらずのリアクションだな~。本当に何も覚えてないのか?」
「記憶にございません」
シラネは反射的に旦那さんの胸倉を掴んだ。
「てんめぇ~」
「わぁっ。暴力反対」
「まあまあ。シラネさん。今回はお別れ会なんだから」
ミラーが宥める。
「これはもう『様式美』だよね。これが見られなくなるとは惜しい」
坊っちゃんは、笑顔のまま言う。
「いいかっ。よく覚えとけっ。あたしは『シラネ・スカイ』。てめぇの妹だっ。てめぇの名前は『ホタカ・スカイ』だっ。忘れるなっ」
シラネの気合の入った言葉に、旦那さんは、
「努力します」
とだけ答えた。
「はぁ~あっ」
シラネは大きな溜息をついた。
「どうせ、忘れちまうんだろうなぁ。ラティーファちゃんのことは少し覚えているくせに」
「ラティーファ?」
シラネの何気ない一言に、旦那さんはピクリと反応した。
(わっ、わわわっ、やばいっ)
シラネはあわてた。
「ま、まあ。あたしも元とは言え『偵察局員』だ。会うこともあるだろう。また、ゆっくり教えてやるよ」
「ゆっくり、教える?」
旦那さんは、また反応した。
(うわっ、しまった。やばいっ)
シラネの焦燥は加速した。
「まあまあ、積もる話もあるでしょうが、航宙機の離陸予定時刻も迫っている。ここでいったんお開きにしましょう」
ミラーがフォローを入れた。
(ふぅ~)
シラネは一息ついた。
(ミラー君。伊達にシラネさんの亭主やってないな~。こうでないと務まらないだろう)
長老は妙なところで感心した。
◇◇◇
坊っちゃんは航宙機に搭乗する直前まで、何度も何度も振り返り、手を振った。
その時には、旦那さんも、一緒に振り返り、一度だけ手を振った。
送る側は、長老とミラーはゆっくりと、シラネは最後まで激しく手を振った。
◇◇◇
航宙機はゆっくりと離陸すると、次第に加速し、あっという間に消え去って行った。
「もう、見えなくなった。さすが、ミッドラント製の航宙機は高性能だねぇ」
シラネは半分呆れたように言う。
「ふふふ。褒めても何も出ませんよ」
笑って言うミラーに、
「ははは。今のは議長を褒めたんですよ」
と、やはり笑って返すシラネ。
「ははは。そうでしたか。そのとおりだ」
ミラーは大笑いした。




