甘い卵焼き
――トントントン
段々と意識が覚醒していく。
耳に入ってくる音は、聞きなれた音。
「司君、そろそろ朝だよ。まだ寝てるのかな?」
扉の開く音と共に、杏里の明るい声が聞こえてきた。
それと同時に味噌汁のいい匂いが漂ってくる。
無言で寝返りを打ち、起動準備に入る。
まだ起動まで数十秒かかるだろう。俺には高速起動のオプションはついていない。
布団の中でもぞもぞしていると、ベッドの隣に杏里がやって来た。
ベッドに座った杏里は、俺の頬を優しくなでてくる。
「ま、まだ寝てるのかな? ん、可愛い寝顔……」
か、可愛いって。そんな顔しているのか俺は?
よだれとか垂らしてないよな?
「んー……」
俺が声を出すと、杏里はすぐに手をどけて、ベッドの横に立ち直した。
杏里の瞬発力は相当なものだろう。まさに高速の動きだった。
「ほら、そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ!」
「今、起きる……」
「そりゃ!」
盛大に布団をはがされ、暖かな温もりが全て吹き飛んで行った。
杏里さん、そこまでしなくてもいいじゃないですか……。
「……おはよ」
「おはようっ。そろそろご飯出来るよ。顔洗ったらご飯にしようか」
「随分早いな。もう準備できたのか?」
「そんな事無いよ。早起きしただけだから」
俺はのそのそ起き上がり、顔を洗って食卓に行く。
そこには杏里だけで作った食事が並んでいる。
以前見た時と異なり、普通だ。そう、まったく普通の朝ごはんだ。
椅子に座った俺に、杏里はご飯と味噌汁を分けてくれた。
何だか照れてしまうのは俺だけか?
「ありがと」
「お代わり、まだあるからね」
対面に座った杏里も自分のご飯を準備して、俺の方を見ている。
ここはひとつコメントでもした方がいいのだろうか?
「朝から頑張ったんだね。とてもうまそうだ」
「はい、自分なりに頑張りました」
「食べてもいいかな?」
「もちろんです。たくさん食べてくださいねっ」
「「いただきます」」
味噌汁を飲んでも、普通だった。
いや、むしろうまいぞ。内心ドキドキしたが、ちゃんと出汁もきいているし、何より味噌汁の味がする。
たった数日でこの成長、先生は嬉しいぞ!
そして、この卵焼き。見た目は黄色く、普通の卵焼きに見えるが一口食べてみる。
衝撃的だ。甘い、激しく甘い卵焼きだ。母さんの作った卵焼きに似ている味がする。
「卵焼き、うまいな」
「はい。お義母さんに作り方教わりましたから。今日のお弁当にも入っていますよ」
微笑みながら杏里は話してくる。
昨日の表情が嘘のようだ。たった一晩でこんなに変わるものなのか?
昨日見たあの表情や心境は俺の見間違いだったのか?
「弁当、楽しみだな」
――ピローン、ピローン
俺のスマホが鳴り響く。こんな時間に誰だ?
手元にあったスマホを操作し、内容を確認する。
『今日もお弁当作って行っていいですか?』
杉本からだ。昨日の件もあり、連絡をよこしたのだろう。
俺はそのメッセにすぐに返信をする。
『今日は弁当持参にするよ』
『では、デザートだけ持って行きますね。またお昼一緒に食べましょう』
弁当は断ったがデザートはついてくるみたいだ。
ま、それくらいなら別にいいか。
ふと、杏里を見てみると、俺と同じようにスマホを操作している。
「もしかして……」
「そ、彩音から。今日もお弁当作っていくかって。司君は断ってね。私は彩音のお弁当を貰う事にするから」
「杏里は弁当もらうのか?」
「別に断る理由が見当たらないの。変に断ったら、何か違和感がある気がして」
「そうか……。なぁ、俺達の事、あの二人に話した方がいいかな?」
「私も同じことを考えてたの。でも、その話はテストが終わってからにしない?」
「そうだな。一段落したら、あの二人には話すか……」
「あのね、私いろいろ考えたの。私は司君が好き、彩音の事も好き。それが私の正直な気持ち。だから、彩音にも真っ直ぐに向かい合ってみたいの。でも、それはテストが終わってから。それでいいかな?」
「いいと思うよ。それが杏里の素直な気持ちだと思うから」
何とか杏里との話もまとまり、とりあえず試験に集中する事にする。
色々あったがここで赤点を取ったり、俺達の関係が崩れてしまっては元も子もない。
一度勉強に集中し、その後に考えよう。
俺も高山に真っ直ぐに向き合う事ができるのか?
正直恐い。どんな結果になるか分からないからだ。
仮に素直に話をしたら、俺と高山の関係はどうなる? 今までと同じように、過ごす事ができるのか? 分からない……。答えが、出ない。
朝食も終え、俺達は二人で駅に向かい学校のある駅で別れる。
二人で乗る通学電車は何となく嬉しく感じてしまう。
「じゃ、また後でね」
「おう。また教室でな」
ホームで別れ、杏里が先に学校へ向かい。
しばしの別れだ。でも、こんなことしなくても一緒に教室まで行きたいんだがな。
杏里はあの事件まで結構人気があった。
それにファンクラブまである。恐らく今でも人気があるだろう。
高山もそうだが、もし俺が彼氏だと学校の面子にばれたら、俺はどうなる?
イジメの対象か? 上履きが無くなったり、教科書が紛失したり、机に落書きとかされるのか?
そんな学校生活では困る。みんなに話をするとしても、対策を取っておかなければ。
杏里の隣を歩いても問題が無い男に。学校の面子に突っ込みを貰わない程度の男にならなければ。
とりあえず、試験で良い結果を出す。そして、杏里の隣を歩いても違和感がない男を目指そう。
きっとできる。いや、やらなければならない。俺なら、絶対にできるはずだ! 多分……。
そして俺は耳にイヤフォンを入れいつもの曲を流す。
この曲を聞くと落ち着く。なんでかは分からない。気が付いたらそうなっていたんだ。
いつもの音楽を聞きながら、いつもと同じように一人で学校へ向かう。
いつか二人で並んで学校に行ける日が来るのだろうか。
その時、高山と杉本は俺達を笑顔で迎え入れてくれるのだろうか……。




