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乱れる心


 駅で高山と別れ三十分。構内で杏里を待っているが未だに来ない。

おかしい。絶対にここを通るはずなので、行き違いになるはずがない。


 先に帰ったのかとも思ったが、何となく駅から出て杏里を探してみる。

するとあのベンチに杏里が一人座っているのが見えた。


 バッグを横に置き、地面を見つめている杏里。

気になって俺は杏里の目の前まで歩み寄る。

地面には水が落ちたような跡が何か所もあった。


「杏里、こんな時間まで何してるんだ? 早く帰ろう」


 顔を上げ、瞼に涙を浮かべながら、今にも泣き出しそうな顔で答える。


「司君? ごめんね、心配かけちゃったね。でも、司君には関係の無い事なの……」


「そっか。それで、何があったんだ?」


 俺は杏里の隣に座り込み、話を聞いてみることにする。

恐らく自習室で話していたことに関係があると思ったからだ。


「何でもないの。私の、私が勝手に考えてしまっているだけだから」


「そんなこと言うなよ。杏里も言っていただろ? 『一緒に同じものを共有したい』って。杏里が悲しんでいたりしたら、俺にも共有させてほしいんだ」


 そっと杏里の手のひらの上に俺の手を乗せる。

詳しくは分からない。でも、こんな所で一人涙を出すなんて、よっぽどの事があったに違いない。


「いいの? 私の事嫌いにならない?」


「心配するな」


 杏里が俺の手を握ってくる。

その手はいつもなら温かみがあるはずなのに、今は心なしか冷たい。

きっと、杏里の心が冷たくなっているからかもしれないな。


「彩音はね、司君の幼馴染の彩音だったの。さっき写真を見せて、確認したから間違ない。でもね、彩音も司君の事覚えてないの、多分だけど。それでね、その時私、心の中で喜んでしまったの。彩音が司君の事覚えていないって言った時、私はそれを喜んだの……」


 杏里の瞼から大きな涙が零れ落ちる。

それは、止まることなく、頬から顎に、そして地面に吸い込まれていく。


「私は心の狭い、ひどい女なの。友達の思い出が無くて、司君を覚えて居なくて喜んだ、ひどい女なんだ!」


 両手で顔を押さえた杏里。

俺は、どう答えればいいんだ? どう声をかけてやればいいんだ?


「杏里、そんな事無いよ。ただ、昔の事は覚えてないから、俺も杉本さんも特に気にしてないだろ?」


「違うの! そうじゃないんだよ。彩音と司君が幼馴染で、本当はそこに私が入っちゃいけないと思ったの。でも、私は司君と一緒にいたいの。彩音を、私は彩音を裏切ったんだよ……」


「そんな事無い。昔、俺と杉本さんの間に何かあったとしても、それはもう過去の事だ。今は、俺と杏里、二人でここに居るだろ? 今を見ろよ」


「でも、彩音はきっと思いだす。このまま同じ時間を司君と一緒の時間を過ごしたら、きっと思い出すよ。その時、私は、どうしたらいいの? 帰る場所が、また無くなってしまうの? そんなの嫌だよ……」


 杏里の涙は止まらない。よっぽど衝撃的だったのだろう。

俺も、まさか杉本が同一人物だとは夢にも思っていなかった。

母さんの話を聞かなければ、きっと一生知らずに済んだだろう。

でも、俺は後悔していない。


 あの日、あの夜に母さんから聞いた話。

そして、杏里に公園で想いを伝えた事、俺は後悔なんてしていない。


「思いだしたらその時はその時。でもな、聞いてくれ。たとえ杉本が思いだしても、俺の想いは変わらない。心配するな。ほら、もう帰ろう」


 俺は立ち上がり、杏里の手を取って立ち上がらせる。

そして杏里のバッグを肩にかけ、改札口に向かって帰ろうとする。

が、杏里はベンチの前から動こうとしない。


「ほら、帰ろうぜ」


 涙目の杏里が俺の目を見てくる。

頬には涙の流れた後。少し髪も乱れている。


「不安なの。司君と離れるんじゃないかと思うと、ものすごい不安なの……」


 俺はバッグをベンチに戻し、杏里の目の前に立つ。

そして、両手でしっかりと杏里を抱きしめ、背中をポンポンと、優しくたたいてやる。


「心配するな。俺はずっと杏里の側にいる。公園でもそう話しただろ? だから心配するな」


 俺の胸の中で杏里はうなずく。


「ずっと、そばにいてね……」


 どうやら少しは落ち着いたようだ。

しかし、杏里は心が少し不安定になっているのか?

この先、杉本とうまくやっていけるのだろうか?


 恐らく大丈夫だろう。もう少し時間が経てば、いつも通りになるはず。

さて、杏里も落ち着いたし、そろそろ帰ろうか。


 杏里を抱きしめながら、視線を駅の方に向ける。

少し離れた所にうちの生徒が見えた。この時間に珍しいな。


 そして、その次の瞬間、俺の心臓は止まるかと思った。

その生徒は杉本彩音。

なぜこんな時間まで? そうか、俺達よりも遅くに帰ったからか!


 しまった! うかつだった!

遠くの方からこっちを見ている杉本。

恐らく俺の事は遠目からでも分かるだろう。


 杏里はどうだ? 俺の腕に隠れて、杏里とは認識されていないか?

いや、さっきまで一緒だったんだ。ばれたと思っても間違いはない。


 まずい、やってしまった。

そんな事を考えていると、杉本は駆け足で駅の方に向かって走って行ってしまった。


 杏里は気が付いていない。

恐らく俺と杉本だけがこの場で互いに認識したと思う。

どうする? どうやって誤解を解く?


 ん? 誤解とかじゃないだろ?

俺と杏里は付き合っているんだ。そのまま普通に『付き合ってます!』って、言って終わりじゃ?

そんな簡単にはいかないか……。

もし、今夜杉本からメッセが来たら杏里に相談しよう。


 きっと、これからの学校生活を考えても、互いに話をしなければならないはずだ……。


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