8.ビギナーズラック
シュリアは朝からサンプル作りに勤しんでいた。作ってもらった判子は大小注文していたため、小さい方をラベルにどんどん押して行く。シュリアはつくづく判子を作って良かったと思った。
お昼ごはんを食べずにマーケットへと向かう。
今日はもう、1つくらいは売れているだろうという期待は端からなかった。それよりどうサンプルを配布しようかと馬車に揺られながら考えていた。
「こんにちは、ホーリーさん」
「ああ、ウォルナッツさん。こんにちは、そしておめでとう!」
「え?」
「これが、初めての売上だ!」
「あ、ありがとうございます…!」
満面の笑みで小さな小さな布袋を手渡してくれる。
売上金だ。
シュリアはつい両手でそれを受け取った。
軽いのに、とても重く感じる。心に花が咲く様にふわりと暖まって、肩の力が抜けていく。
台を見ると、全種類1つずつ売れたらしい。初めて受け取った売上金と台を交互に見て、顔が綻ぶのを止められなかった。
「良かったね、ウォルナッツさん。今日も心配で見に来てたのだろう?」
「いえ、今日はサンプルを持ってきたんです」
「もう作ったのかい? 早いね、素晴らしい」
少し照れながらシュリアは微笑む。
レンタルスペースはマーケット管理局からランダムに割り当てられるが、シュリアは管理人がホーリーで本当に良かったと思った。管理人の中には、借り主とはあまり関わらない人もいると聞く。両親は中々会えないため、相談したり褒めてくれるホーリーがとても頼りに感じられた。
「ここに置いておくだけだとあまり手に取ってもらえないよ」
「そうですよね…直接配っても大丈夫ですか?」
「もちろん良いよ! ああ、ちょうどいいところに…おーい、マットさん!」
ホーリーが声をかけたのは壮年の男性だった。知人らしく挨拶を交わしている。シュリアは邪魔にならない様にと端に避けたが、ふいに声をかけられた。
「この子がね、新しくうちの台をレンタルしてくれた人。回復薬のサンプルを配ってるんだ。マットさんもぜひ使ってみてやってくれ」
「ほう。私はマット・ロセター、冒険者をしている」
「シュリアリース・ウォルナッツと申します」
「ウォルナッツ? ユッタさんとは親戚かな?」
「母です」
「そうかそうか。いくつか貰っていいかい? 仲間にも配ろう」
「ありがとうございます! ぜひよろしくお願いします」
マットは籠に入れたサンプルを豪快に一掴みしてポケットに突っ込み、一言二言ホーリーと言葉を交わしてから雑踏に消えて行った。
シュリアはホーリーにお礼を述べた。
「お安い御用だよ。気にしないでいいさ」
「本当にありがとうございます」
「私も息子の結婚式費用をかき集めないといけないからね。ウォルナッツさんの薬が売れれば私も儲かる。ついでに横にある私の薬も買って貰えれば万々歳だ!」
調子よくホーリーがウインクする。どうやら隣のスペースはホーリーのものらしい。
自身の父親もシュリアの誇りだが、きっとホーリーの息子もそうだろうなとシュリアは思った。
それからの日々は穏やかだった。
2、3日に1回はマーケットに行きサンプルを配り、売れている時は売上金を受け取る。まだまだ少しだが売れている日も出てきた。
液体の薬は1ヶ月ほど保存が効くが、シュリアは半月で売れ残っているものは処分することにしていた。中身を捨て、瓶は綺麗に洗浄、消毒して入れ替える。薬の材料は庭で採れるものばかりなので、原価はほぼ瓶代だ。
明日持って行く分のサンプルや薬を作り終わった頃、独特のリズムで窓を叩く音がした。
コココン、コココン、コココン
「いっちゃん!?」
叫ぶが早いか、1階奥の研究室と化している部屋から一目散に外へと飛び出した。ぐるりと庭へ走ると、窓枠に子犬サイズの魔リスがいた。薄紫色の毛に赤色の瞳は彼女で間違いない。
両手を広げると胸に飛び込んでくるが、ずっしりと重くて尻餅をついた。
「いっちゃん、また大きくなった? 冬眠準備にはまだ早いんじゃない?」
地面に座り込んだまま苦笑する。シュリアの言葉に反論するかのように、魔リスはお腹の上で跳ねている。つい仰向けになって「ごめんごめん」と謝るが、ずしんずしんと来る重みすら可愛い。
「ワウ!!!」
「あ、ジルさん。オリーブも。また一緒に遊んでたの?」
「…ワウ?」
血相変えたように走って来るなり威嚇したジルを見て、シュリアは間抜けな程軽い声で呼びかけた。ジルのすぐ後ろにはオリーブもいる。
毎日ここにいるオリーブと、最近ちょくちょく来るジルのペアはもう見慣れた程だ。本当に仲良しなんだなと何だか嬉しくなった。
「ジルさんは初めてかな? 魔リスのいっちゃん。瞳が苺みたいに赤くて可愛いでしょ? イチゴちゃんを略していっちゃん」
その言葉にジルがオリーブを睨んだ。オリーブはどこか嬉しそうだ。
「グルル…!(騙したな…!)」
「カア。(魔獣来た、言ったダケ)」
ふふ、と笑いながら仲良しペアから魔リスに視線を戻す。
イチゴは特にあの2匹には興味がなさそうで、シュリアからの愛撫に目を細めていた。その姿を見て、シュリアも顔を綻ばせた。ふらりとやって来てはふらりと去ってしまう気まぐれな魔リス。前回来てくれたのはいつだったか。
「皆でおやつ食べようか。マフィンがいっぱいあるから。」
シュリアの言葉に3匹が一斉に顔を上げたのを見て、シュリアはつい声を出して笑った。
彼女は血筋なのか、根っからの研究者気質だ。何を作るにしても自分が納得できるまでとことん追究してしまう。料理に関しては今はマフィンだ。ちなみにその前はハムだった。父がいると文句が出るので、同じものを食べても飽きにくい朝食にするのが定番になっていた。その為必然的に朝食に合いそうなものを選んでしまう。
オリーブとイチゴには小さめに崩し、ジルにはそのまま皿に乗せて出すと、それぞれ器用にマフィンを食べていた。シュリアは3匹を見て微笑むと、自身もマフィンにかぶりついた。今回のは会心の出来だ。そろそろ次に行ってもいいかもしれない。
そんな穏やかな日常が崩れたのは、それからぴったり1週間後のことだった。シュリアの薬がほぼ売れる様になったのだ。
喜びに湧き、嬉しい悲鳴をあげたのは2週間程だった。
徐々に少し売れる程度に戻ってしまい、とうとう1つも売れなくなってしまったのだ。




