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薬師と従魔  作者: 春夏しゅん
本編
7/47

7.名前

 袋包を玄関に置くと、シュリアはキッチンへ向かった。魔犬は玄関に入るのを戸惑っていたが、ドアを開けて「そこに置いてくれると助かる」と言うと、おずおず入ってすぐに出るという身のこなしをみせた。ついシュリアが「なんてお利口なワンちゃん…!」と零せば、魔犬は遠い目をしたが彼女は気付かない。

 手伝いをしてくれたのは魔犬だったが、オリーブにも肉を、魔犬には何がいいのか分からずハムやらクッキーやらを用意した。開けっ放しの玄関にいる2頭の前にそれらを置く。


「お礼に食べて。オリーブは何もしてないけど」

「カァ」

「ワウ」

「ふふ、お口に合うといいけど」


 器用に食べる2頭を横目に、シュリアは母から届いた袋包を見た。

 大きな袋の1つに手紙が付けられており、大事そうに丁寧に開いた。そこには卒業おめでとうと体調を気遣う文、今どこにいて何をしているかなどが綺麗な字で書かれていた。目を細めて母を思い浮かべる。

 不健康そうな父やシュリアと違って、日に焼けた小麦色の肌、溌溂とした猫目の瞳はスカイブルーと、いつも豪快に笑っている大きな口。シュリアと同じ胡桃色の真っ直ぐな長い髪は、後ろで適当に纏められていて、小さな背中の上でいつも揺れていた。


 次に、シュリアはその場に座って袋包の1つを開けた。


「わ! ジルコンスライムの干物! こっちはオルピーニの花! こっちは…」


 目を輝かせて1つ1つ見ていくシュリア。魔獣2頭はそれをそっと見守っていた。

 全て見終わる頃には、2頭はすっかり食べ終わっていた。綺麗になった皿を見てシュリアは微笑む。


「そういえば、今日も来てくれたんだね。ワンちゃん」


 そう言うと明らかに落ち込んだ魔犬を見て、シュリアはふとオリーブの昔を思い出した。「カラスのカァちゃん」と呼んで滅茶苦茶に暴れられたことを。


「もしかして、ワンちゃんって呼ばれるの嫌?」

「ワウ!」


 どうやら正確だったらしい。

 しかし同時に困った。オリーブは野生だったが、魔犬は恐らく飼い主がいるはずだ。飼い主が付けた名前以外で呼ぶのも何だか気が引ける。


「付けてもらった名前教えてって聞いたところで返事が分からないもんなぁ…うーん」

「クゥン」


 揃って首を傾げていたが、魔犬がはっとしてシュリアに近付いた。いや、正確にはシュリアの前に未だある卒業祝いにだった。その内の1つを鼻先で突く。


「ジルコンスライムの干物?…もしかしてジルコちゃんとか?」


 慌てたように魔犬が何度も首を横に振る。よっぽど嫌だったらしい。

 そもそも雄か雌かも分からない。


「うーん…じゃあ、ジルさん、とか?」


 魔犬は一度目を大きく見開き深く頷くと、続けて何度も頷いた。シュリアの顔にぱっと花が咲く。


「やっぱり賢い!ジルさんて呼ぶね」

「ワウ!」


 元気よく返事したあと、魔犬改めジルは、ぐるぐるとその場で駆けた。まるで本物の犬が自分の尻尾を追いかけて回るように。

 シュリアはそれを喜んでいると解釈したが、実際のところは恥ずかしくてのたうち回っていただけだったのだが……


「あはは、元気だね。今更だけど私はシュリアリース・ウォルナッツ。この子はオリーブ。よろしくね」

「ワウ!」

「ああ可愛い。よしよししたいけど、それはさすがに飼い主さんの許可取った方がいいよね」


 ジルは思いっ切り肩を揺らし、項垂れる様に地面に伏せた。賢いとは言ってもやはり魔獣だ。欲張りすぎるのも良くないかとシュリアはすんなり諦めた。


「カァカァ!」

「ワゥン」

「カァ!」


 まるで会話している様な2頭を見て、シュリアは弾ける様に心の底から笑った。底の底にまだ少しだけくすぶっていたうじうじしたものが、綺麗さっぱりなくなる程に。

 そんなシュリアを見て2頭は少し驚いた顔をした。オリーブに至ってはシュリアに体を擦り付け、顔を覗き込んでくる。今日は少し甘えん坊だな、と目を細めてその灰色の羽を撫でる。


「あはは、ごめんごめん。実はね、今日ちょっと落ち込んでたの」

「クゥン?」

「一昨日からレンタルスペースで薬を売ってるんだけど、今朝行ったら全然売れてなくて。やっぱり世の中そんなに甘くないなーって」

「カァ」

「でも、何かよく分からないけど君たち見てたら元気出た。ありがとう」


 すっきりした顔で2頭に笑いかけるシュリアに、オリーブはまた甘える様にすりすりと頭を擦り付けた。そして、二の腕にぽんっと温かいジルの肉球を感じた。


 まるで魔獣2頭に慰められている格好になったシュリアは、より深い笑みでもう一度お礼を口にした。





「ご機嫌だな、ジルベルト。何かいいことでもあったのか?」

「いや別に。何でもない」

「ふーん?」


 休日だったため1人で先に夕食を取っていたジルベルトに、アルノールは向かいの席に座りながら尋ねる。聞きながら、絶世の美丈夫は意地悪い顔を浮かべたが、それすら絵になる。背景が騎士団寮の食堂でも、だ。


 実際のところ、ジルベルトはかなり気分が良かった。

 朝からマーケットに行き空振りだったものの、あの魔烏のところに聞きに行くとまさかの彼女自身から薬を売ってる話を聞けたのだ。その上、彼女の本名と自分の名前の一部を知り合えるなんて。


「どうせあの恩人ちゃんのとこにでも行ってきたんだろ」

「別に何でもないって言ってるだろう」

「ははーん。あれか。名前でも付けてもらえたか? ワンちゃん」


 ぴたりと食事の手が止まる。

 いくら友人しか近くにいないとは言え、騎士が、貴族がそんな分かりやすくていいのか。騎士団に入隊した時からの付き合いである彼は、確実にジルベルトの動揺を見分ける。だからもうこの友人の前ではいつも無意識に自然体でいることも拍車をかけた。

 つり目をさらにつり上げてアルノールを睨みつけても、動揺が分かっている彼には迫力を感じない。


「ワンちゃんって言うな」

「ポチか? クロか?」

「どっちも違う」


 アルノールがくつくつ笑うと、それに比例してジルベルトの眉間の皺は深くなった。


「俺も次は一緒に行こうかな」

「…は? 何でそうなる」

「俺も魔獣の時の特別な名前欲しいし?」

「別に特別な名前じゃない」

「俺には彼女なら何て付けてくれるかなー? ジルベルトだけ特別な名前なんてずるいなぁ」

「だから特別じゃ…! 普通に"ジルさん"って…………」


 ニヤリとしたり顔のアルノール。たっぷり3秒固まったあと、しまったと思ってももう遅い。

 腹芸だらけの貴族社会は苦手だが、この時ばかりはあのスキルを習得したいと思った。この旧知の友人にそれが通用するとは思えないが――…


 ジルベルトは改めて溜息をついた。

 やはり自分は貴族に向いてない。両親や兄達の様にはなれないのだ。彼らは友人はおろか、家族にすら本心が分からない時がある。

 ジルベルトはそれがどうしても馴染めなかった。


「で、誤解は解けたのか?」

「………あ」




 因みに、2頭の会話はこうだった。


『ニンゲン、照れテル』

『そんなことない』

『オマエ、嘘、ヘタ』



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