5.魔獣の恩返し
次にマルリッツの森を訪れたのは、それから4日後の昨日だ。
バーレットにも声を掛けたが断られ、アルノールと2人で湖を目指した。城門を出てすぐに魔獣に変身すると、わざと気配を消さずに進む。
すると予想通りに、あの灰色の魔烏が湖で待っていた。
『ニンゲン、良くなっテル。良いニオイ、スル』
『あの時は助かった。恩に着る。お礼の肉だ』
『なぜ、我々を人間だと分かってて助けてくれたんだ?』
アルノールが肉を投げながらストレートに聞く。
魔烏は放られた肉に飛びついた。魔烏の好物と聞く鹿肉だ。
『オレも、アイツ、助けてクレタ。だから、ニンゲン、嫌いじゃナイ。』
『あんな若い娘が、魔獣の君を?』
『ソウ。シュリア、良いヤツ。トモダチ。』
ジルベルトとアルノールは顔を見合わせた。俄には信じがたかった。2人共、あの魔烏はこの家で飼われていると思っていたからだ。そんな2人を余所に、魔烏は凄い勢いで鹿肉を食べている。
『その…君の主人にお礼がしたい。呼んでくれるか?』
『主人、チガウ。トモダチ!』
『すまなかった。その、友達を呼んでくれるか?』
『肉、美味カッタ。コッチ!』
魔烏について行くと、前方にレンガ造りの2階建ての家が見えた。魔烏は急にスピードを上げたので、その場で待つことにした。アルノールは少し離れた木の枝で羽を休めている。
魔烏は慣れた様に1階を覗き、次いで2階を覗いて窓を叩いた。
(あの人だ。)
新緑を思わせる鮮やかな緑色の瞳と視線がぶつかった。目を見開いて数回瞬きしたあと、視界から消え階段を降りる音がした。
ジルベルトは少しだけ喉が乾いていることに気付いた。
「ワウ!」
そっと声を出したつもりが、少し掠れていた気がする。彼女は気にも止めず、遠慮がちにこちらを見つめている。
「えっと…傷はもう大丈夫?」
一度だけ縦に首を振った。
彼女がふわりと笑った。ジルベルトは無意識に小さく喉を鳴らした。
白い肌に鮮やかな緑色の大きな丸い瞳がよく映える。肩下まで伸びた癖のない胡桃色の髪。あどけなさの残る可愛らしい顔立ち。綿素材の黒いワンピースは少し着古した感がある。
「言葉、分かるのかな?」
「……」
少し考えたが頷いた。魔烏とトモダチであれば、別におかしくはないだろう。
彼女の瞳がよりキラキラと輝いた。それをきっかけに、矢継ぎ早に話しかけてくる。
ジルベルトは顔には出さず、内心呆気に取られていた。彼女に恐怖心はない。あるのはただの興味だ。
「どっちの治りが早かったんだろう? でも自然治癒力も種族によって違うよね…ん? …治癒力……自然治癒力……そっか! うん、面白いかも! ごめんちょっとメモしてくる!」
彼女は急に踵を返し走りだす。アルノールと視線を合わすと、彼はすぐに魔烏に続いて飛び、1階の窓を覗き込んでいた。鳥が羨ましい。
「ご、ごめんなさい」
彼女はすぐに戻ってきたが、恥ずかしそうに俯いていた。青白かった肌が少しだけ紅潮しているのが見える。
漸く今日の本題であるお礼の品を転がして渡すと、今度は目を白黒させていた。なんて忙しい人だ。
「これ…え!?岩角!?」
「ワウ!」
「まさかとは思うけど…くれる訳じゃないよね?まさかね、返すね」
何度か押し問答を繰り返したが、最終的には受け取ってもらえた。軍医のおすすめだったが、彼女は恐縮しっぱなしだった。そんなに高いのか。
「本当に貰って大丈夫なのかな…もし怒られたらいつでも取りにおいでね。あと、また怪我したらいつでもおいで。あれでよければいつでも作るから。ね、約束」
どうやら彼女は飼われている魔獣だと思っているらしい。確かに魔獣に変身できる人間はそう多くはないので不思議ではないのだが。
アルノールと共に返事をすると、彼女は嬉しそうに笑った。
(ここまで警戒心がないのも…少し心配になるな。)
アルノールが帰ろうとする気配を察し、ジルベルトもそれに倣う。後ろ髪を引かれる思いなのは、心配からか。
できるならもう少し、ここに…
「賢い魔犬と魔梟だなぁ」
後ろから聞こえてきた声に思いっ切り木に顔面をぶつけ、アルノールに大笑いされたことは思い出したくなかったジルベルトだった。
「で?どうするんだ?」
「どう、とは?」
「誤解を解きたいんだろ? "命の恩人"に」
「……全く浮かばない」
そう。彼女は命の恩人なのだ。だから気にかけるのは不思議じゃない。
ジルベルトは自分に言い聞かせた。
「とりあえず、他の本も借りてみる」
気合いを入れ直してまた本を読み出したジルベルトを見て、アルノールは苦笑した。そして少しだけ意地悪い笑みを浮かべた。
「でもまあ良かったじゃないか」
「何がだ?」
「彼女の名前。これで分かっただろ」
「確定じゃない。多分、というだけだ」
「その仮の名前でも調べてみればいいだろ。あんなに良い回復薬が作れるんだ。どこかで売りに出してるかもしれないだろ?」
"シュリア・ウォルナッツ"。心の中で反芻すると、少しだけ落ち着かない気分になる。
軍医が言った姓と、あの魔烏が言った名前。そういう名前かもしれないとはジルベルトも考えたが、どこかで薬を売りに出しているとは思い付かなかった。
「それをお前が買えば恩人は喜ぶし、お前もまたあの薬が飲める」
「なるほど」
心の底から感心したようなジルベルトに、アルノールは笑いを堪えた。
「まあ、それだと犬だと思われたままだけどな」
「それは困る」
またしても深く悩み出したジルベルトを見て、アルノールはとうとう堪え切れずに噴き出した。




