シュリアと魔獣 (オリーブ視点)
ある昼下がり、オリーブは魔リスの姿のシュリアと向かい合っていた。イチゴとあの魔犬も一緒だ。
この4匹で話をしたいと、とても嬉しそうに提案した彼女。
もうすぐ、お嫁に行ってしまう。
『……聞こえる?』
『聞こエル!』
『大丈夫よ』
『良かった! ずっと聞きたいことがあったの。私が作った薬のことなんだけど。どんな味がする? 不味くない?』
それはシュリアがずっと聞きたがっていたことだと、オリーブも知っている。
そのために従魔になるだなんて。まったく、人間のことは理解できないと思いつつも、彼女らしいなとも思う。
出会った時から、彼女は不思議な少女だった。
初めて会った時は、まだ上手に長く飛べない幼鳥だった。
一緒に生まれた他の2羽と違い少し身体が小さくて、何をするのも少し遅く、いつもその2羽に苛められていた。親は止めなかった。仕方ないといった顔で2羽を見て、こちらは一瞥する程度。その回数すら減っていることに、ずっと気付かないフリをしていた。
そしてある日、あの森に置いて行かれた。捨てられたのだと思う。
静まり返った森は、ただひたすら怖かった。時おり感じる人の気配が余計に怖かった。見つかったらきっと殺されてしまう。逃げようにもどこに行けばいいか分からない。下手に動いて、人間や他の魔獣に見つかったら。
木の実や小さな虫で食い繋いでいたが、それも数日で限界になった。お腹が空いて、でも怖くて。意を決して飛べば、そのまま上がることなく落ちていった。そんな体力も残っていなかったらしい。
滑り転げるような着地に、身体中が痛い。何かに擦りむいたのかもしれないが、もう確認する体力も、余裕もなかった。
人の気配に、ただ怯える。
どんどん近づく気配が、あるところで止まり、また消えた。
助かったのかもしれない。けれどそれももう、少し生き長らえただけだ。少し休めばもう少し飛べるかもしれない。でも飛んだところでどこに行けばいいのだろう。
そんな時、さっきと同じ気配が戻ってきた。
「カラスさん。ケガしたの?」
子供特有の高い声。
視線だけ動かすと、小さな少女としっかり目が合った。
「今日作ったお薬、あげる! きっと元気になるよ!」
小さな手の中にある瓶を、嬉しそうに見せる少女。
人間は怖い。親からそう何度も教わった。あんな幼い子供でもきっと同じだろう。目を逸らして、ここからどうやって逃げようかと考える。
「うーん、やっぱりおじいちゃんが言う通り、人間じゃ怖いのかなぁ。……あ、そうだ! イチゴちゃん! イチゴちゃん! いたら出てきてー!!」
突然大声を出した少女に、オリーブはぎょっとした。何を呼んだか分からない。というか、さっさとどこかへ行って欲しい。
最後の力を振り絞ってでも逃げ出そう。そう決意した時、頭の中に知らない声が響いた。
『大人しく黙って飲みなさい』
きょろきょろと視線を彷徨わせれば、驚くことにすぐ近くに赤い目の魔リスがいた。しかも手には少女が持っていたはずの瓶が。そして逃げるより早く、口に突っ込まれた。
……美味しい。
身体がじわじわと温かくなるにつれて、目の奥がジンとする。大きな声で叫びたくなって、誤魔化すように飛び上がった。
これ以上ここにいてはいけない。あの人間には近付いてはいけない。
まだ少しフラフラする身体に鞭打って、高く高く飛んだ。あの少女から見えなくなるように。あの少女を見なくて済むように。
そう思っていたのに、次の日には我慢できなくて、あの少女を探しに湖まで来てしまった。彼女はすぐに見つかった。今日もあの魔リスと一緒にいる。
「あれ? 昨日のカラスさん?」
咄嗟に逃げてしまった。悪いことなんて何もしていないのに、ただ何となく居たたまれなくなったのだ。
自分でもよく分からないのは、それを3日も繰り返してしまったことだ。
「カラスちゃん! 今日はおやつ持ってきたんだ! 食べてくれる?」
4日目、少女は満面の笑みでおやつのクッキーを見せた。この子はちょっと、いやかなり変なのかもしれない。魔獣を怖がらないなんて。
少し離れたところに置かれるクッキー。ニコニコ顔をちらちらと確認しながら、誘惑に負けて口に入れた。美味し……くはない。ちょっと塩辛い。
「あれ……これ美味しくない」
しょんぼりと漏らした少女の言葉に、心臓がぎゅっと苦しくなった。
これはあの子が自分で作ったものなのだ。しかも、わざわざ一緒に食べるために食べずに持ってきてくれたものなのだ。
「ごめんね。多分、お砂糖とお塩、間違えたんだと思う。美味しくないから食べないでいいよ」
目の前のクッキーを全て平らげる。美味しくない。でも、美味しい。
「無理して食べなくていいよ! お腹壊すよ」
「カア!」
「え、もしかして美味しいの? これもいる?」
「……カア」
クッキーを持った手を差し出す少女に、心の中で「仕方なしにだからな!」と言い訳しながら近付く。あの魔リスはいないのに、彼女は全く怯えた様子がなかった。それどころか、なんだか嬉しそうだ。
「ふふ、変なカラスのカアちゃん!」
「カアカア!!」
変な名前に抗議すると、彼女は「オリーブ」という名前を付けてくれた。
特別な名前。
自分だけの、特別な名前。
『あなたの薬はね。なんだかお母さんのお乳みたいな味がするの』
『えっ。ぼ、母乳……?』
『とても懐かしくて、とても幸せな味なの』
ああ、そうか。だからあんな、満たされた気持ちになるのか。優しい気持ちになるような、泣きたい気持ちになるような、甘えたい気持ちになるような。
オリーブには母乳は分からない。けれどあの味はきっと、親に餌を口移しでもらった時と似た味なんだと今分かった。
イチゴの言う通り、幸せな味。
『他の魔獣もそう言ってた。シュリアの薬を飲むと、親を思い出すって。ここにいるのはみんな、訳アリだから』
『そうなの?』
シュリアがオリーブへと視線を向ける。オリーブはなんとなく、目を逸らしてしまった。今は魔リスの姿だというのに、少ししょんぼりした姿はあの時の少女と重なって見えた。
この人にだけは、こんな顔をさせたくないのに。
『みんなこの森に居ついちゃうのはね、またシュリアにあの薬を貰えないかなと思ってるからよ。ね、オリーブ』
『ウン』
オリーブは頷いたが、それだけの理由ではなかった。
彼女はトモダチ。不思議で、ちょっと抜けてて、優しい、大切な大切なトモダチだから。
魔狼は目を細めて彼女を見ている。大切そうな、愛おしそうな視線。
モヤモヤする。腹立たしくもある。それなのに、そんな魔狼の視線に気付いたシュリアが嬉しそうな顔をした瞬間どうでもよくなる。
シュリアが幸せなら、それでいい。
翌日から、シュリアは湖に回復薬を作って入れたタライを置くようになった。
どこから聞きつけたのか、彼女を知る魔獣が1匹、また1匹とやってきては口を付けて去っていくようになった。減っているたびに嬉しそうな彼女を見て、オリーブは身体を擦り付ける。
「ふふ、どうしたの? オリーブ」
ずっとずっと、笑っていて欲しい。
彼女の1番が自分じゃなくても、ずっとずっと幸せでいて欲しい。
不思議そうに笑うシュリアを見ながら、オリーブはそう祈った。
彼女がお嫁に行った日。
今までで一番幸せそうな彼女を見て、オリーブは歌うようにないた。
誤字脱字報告、ブクマ、感想、どれもこれも本当に嬉しいです。とても励みになっています。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。また何か番外編を思いついたら乗せたいと思います♪




