マリッジブルー
おまけ程度の番外編です。
入籍予定日まであと1ヶ月。
食事をした店を出てすぐ、シュリアは気付いてしまった。ジルベルトが手を繋ごうとした手を寸でのところで止めたことに。
(やっぱり、わざとだったんだ……)
心の奥がぎゅっと締め付けられる。
最近のジルベルトは、キスはおろか手にも触れてくれない。
(もしかして、私と結婚するの、嫌になったのかな……)
ジルベルトから貰った指輪がちらりと見えた。内側には2人の瞳の色の宝石が並んで入っている。
結婚したら、ああしようこうしようと話している時はとても楽しそうに見えるのに。ただ自分に合わせてくれてるだけなのだろうか。
ウォルナッツの姓を名乗りたいと言っていたのは。両親からの提案で今の家に2人で住んでいいと言われて喜んでいた姿は。早く結婚したいと目を細めて言ってくれたのは。
全部、演技だったのだろうか。
少し酔ったのかもしれない。ジルベルトと一緒に飲むお酒は楽しくて、気付かない内に背伸びして飲み過ぎたのかもしれない。
このまま一緒にいたら、酔いのままに彼を問い詰めて泣き喚いて、余計に嫌われてしまいそうだ。シュリアは下唇を噛み締めたあと、目線を合わせずに呟いた。
「今日は、1人で歩いて帰ってもいい?」
「これから何か用事?」
「……ううん」
「それなら馬車で送っていくよ」
「いい。大丈夫。ジルさんだけ乗って」
「シュリア?」
食い下がらないで欲しい。胸がずきずき痛む。喉の奥の奥が、息を吸う度に滲みる。
「何かあった?」
「ちょっと酔ってるみたい。ごめん……1人で帰りたい」
深く息を吐いて、目に力を入れる。間違ってもここで泣きたくはない。早くこの場から離れたい。1人になりたい。
「とりあえず、馬車に乗ろう。1人では帰したくない」
「……」
ジルベルトと御者に促され、シュリアは諦めて乗り込んだ。顔は床に向いたままだ。ジルベルトが向かいに座ると、分かっていても隣ではないことに落ち込んだ。どちらも黙ったままで、貸し切り状態の馬車の中は気まずい空気が漂っている。
先に口を開いたのはジルベルトだった。
「シュリア」
「……」
「俺のこと、嫌いになった?」
「違う」
「シュリア、こっち見て」
あまりにも辛そうな声に、シュリアはつい顔を上げそうになった。膝の上で手をぎゅっと握る。
「それは、ジルさんじゃないの」
「え?」
「ほんとは、私のこと、もう……」
ああ、やっぱり酔ってるんだ。言いたくないのに、聞きたくないのに、言葉が勝手に出ていってしまう。
「そんなことあるわけないだろう」
「うそ。だって……」
「だって、何?」
「触れて、くれないじゃない……」
ジルベルトが息を飲んだのが分かった。
とうとう言ってしまった。馬の蹄の音がやたら大きく響いて聞こえる。
「……ごめん」
呟く様な謝罪が聞こえた瞬間、シュリアはジルベルトの腕の中にいた。シュリアは一瞬何が起きたか分からなかったが、すぐにその胸を押した。
「言われたからってしないで……!」
「違う! その……歯止めが、効かなさそうで……」
「へ……?」
間抜けな声を出してしまった。抵抗していた腕ごと強く抱き締められた。
瞬きと共にぽろりと涙が落ちる。まるで堰き止めていたものがなくなったかのように、次から次へと込み上げてきた。
「きら、嫌われた、のかと……っ」
「その反対。好きだから、我慢してた。でも不安にさせてたなんて……ごめん」
タイミングが良いのか悪いのか、停留所に着いてしまった。手を引かれるようにして降りながら、シュリアは懸命に涙を止めようとした。このまま家に帰れば、あの2匹が確実に勘違いする。
「少しだけ、家に寄ってもいいか?」
「え?」
「すぐに帰るから」
「……うん」
繋いだ手をぎゅっと握る。涙は急に引っ込んだ。反対の手で目元をぱたぱたと扇ぎ、シュリアは少しでも赤味を消そうとした。
我慢の意味が分からないほど、もう子供ではない。
ジルベルトは待ち構えていた2匹にも同じ台詞を吐いて、2人揃って家に入った。
「……ん、ふ……」
扉が閉まるのとほぼ同時。強い抱擁と、噛み付くようなキス。熱も呼吸も、全てを奪われてしまいそうな気がして、シュリアはジルベルトにしがみついた。
執拗に熱を絡められると、全身がゾクゾクしながら力が抜けていく。頭の後ろと腰にある手が強くなれば、触れた部分が熱くなる。
もっと、触れていたい。
シュリアの期待とは逆に、唇が、身体が離れていく。物寂しげな視線を送れば、ジルベルトの瞳が一瞬揺れた。
「酔った勢いにはしたくないから、帰るよ」
「……」
「じゃないと……」
苦笑したジルベルトの視線が逸れる。シュリアはその視線を追いかけて固まった。
窓の外から、こちらを睨みつける2匹の魔獣。
「そろそろ、あの2匹に殺される」
「うん……」
「不安にさせて、ごめんな。これからは我慢できる程度に小出しにする」
「私こそ、勘違いさせてごめんね」
「早く結婚したい」
「うん」
もう一度だけぎゅっと抱き締めると、ジルベルトは帰っていった。
初めて出会った日を入籍日にしようと2人で決めたのだ。きっと1ヵ月なんてすぐだ。この数日悩んでいたのが嘘みたいに待ち遠しい。
入れ替わるようにイチゴが部屋に入ってきた。シュリアの足をツンツンと突くのは、変身を促す合図だ。
『結婚したら、私はオリーブと外に住むから』
『え、なんで?』
『新婚さんの邪魔はしたくないもの。思う存分いちゃいちゃしなさい』
『いちゃ……っ』
『そうしたら、オリーブを押さえといてあげるから感謝してね』
その時オリーブの声と、ジルベルトの声が聞こえた。
「カアカア!!」
「痛っ、こら、ちょ……っ」
シュリアはただ素直に頷いた。




